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起業家と投資家が出会える場を創る!(前編)

2004年に独立し、今の会社(株式会社イードゥービー)を2005年に立ち上げてから、気が付くと2020年10月19日をもって、はや15年が経過していました。これまでいろいろな事業にチャレンジし、多様なサービスを開発して、自分の信念を事業というカタチにして経営してきました。もちろんいいことばかりではなく、むしろ苦境とも呼べる環境の方が多かったなぁと振り返っています。
「よくぞ乗り越えてきた!」と自分をほめたい一方で、これからさらなるチャレンジを重ねていく限り、「もっと多くの壁を乗り越えていくんだ」という戒めにも似た強い気持ちを改めて抱いています。

起業したあの頃を思い返して

ふと、そんな折に起業した頃のことに思い返してみたわけです。そもそも起業を志したきっかけは何だったのか?
起業家の中には、家庭環境でとか、幼少期の体験でとか、学生時代の勢いでといったような、ちょっとかっこよいエピソードがあったりするけれど、どうも自分には違ったわけで。

就職氷河期真っ只中に、周りの友人は大企業を中心に多くの企業の就職活動をしたり、難関資格取得へ向けて勉強に励んでいた一方で、何を思ったのか自分はデザイナーになりたいという想いからピンポイントで就職活動をした結果、運よく第一志望のベンチャー出版社に入社。ベンチャーの上場企業で新規事業や新会社設立などと勢いはあったのですが、ちゃんとした経営できた組織ではなかったため、複数の子会社がいわゆる倒産というびっくり仰天な状況に陥ったのでした。
デザイナー志望で入社したつもりが図らずも営業に配属されていて、当時は一番期待されているといわれていた子会社に内定式当日に転籍していたんですが、こともあろうか倒産企業3社のうち唯一「自己破産」という一番過酷な言葉がつきつけられたのでした。ピカピカの新入社員としてがむしゃらに働いていた、10ヶ月目のことでした。

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倒産を言い渡されたあの光景は今でも目に焼き付いて忘れることができません。節分となる2003年2月3日は月曜日ではあったものの、自身にとって初の大型受注先に直行で打ち合わせにいく予定だったのです。前日の日曜日夕方、自宅のテレビではサザエさんが流れている中、普段かかってくるはずのない社長秘書の方から携帯に電話が。
「明日の直行はいかないでいいから、朝礼に絶対参加するように!」
えぇぇぇ・・・、翌日の打ち合わせに向けて気合い入れてたんですけどぉ。
という思いを持ちながらも、従順な新入社員の私は翌朝、いつも通りに会社に足を運んだのです。
異変を感じたのは、いつものように早めに出社すると入口にガードマンの姿が。とはいうものの、今日から警備が強化されたのかなぁくらいしか思わないんですね。いつものように仕事にとりかかろうかしていたところ、普段の早朝いるはずのない先輩社員たちの姿が。そこで急に、取締役の招集の声に従って、全社員が執務室に集合。なんだか普段感じることのない重々しい雰囲気の中、社長が登場。

社長:みなさんにこれまで頑張ってもらってきましたが、事業がなりいかなくなり、今日をもって自己破産となりました。申し訳ありません。

シーーーーン。。。

(な、なにを言っているんだろうか…)

社長:みんな、帰り気を付けてねっ。じゃっ✋

(どぉおぉ!!帰り気を付けるって、なっ何を?)

ほんの1分程度の社長からの倒産ご挨拶終了 \(-o-)/
こんなにあっさりしたものなんでしょうか。。。
何が何だか、理解が及ばないまま、現実に戻された感じです。実際にその後荷物をまとめてすぐに出なきゃいけなくなって、急いで会社を飛び出た気がします。ここくらいから徐々に記憶がぼんやりと。。。先輩やら同期やらで集まってブランチしながらお酒も飲んだのだろうと思いますが、さらにその後の記憶はあいまいなのです。気力が抜けてしまって本当に脱力ってやつですね。
と、まぁ新卒としては、なかなかできない経験をしたわけです。

自分の力で生きていく

この貴重な新卒倒産経験を通じて、自分がどれだけ会社や社会に甘えてきたのかを痛切に感じました。もちろん、倒産直後はそんな自省をできるわけもなく、「社長や経営陣がダメだったからだ」「会社を倒産させるなんてひどい」といった被害者意識があったのも正直なところ。しかし、時がたつにつれて冷静に考えてみると、あらゆる状況は自分の選択した結果と思えるようになってきたんです。

そこで強く思ったことが「自分の力で生きていかなくてはいけない」ということ。ごく当たり前のことだけど、結構大切な気づきでした。そして、何よりも「自分と同じ苦しい経験をしてほしくない」という思いが芽生えたのです。それはメンバー(社員)として働く身としてもだし、経営陣の立場としてもそうだけど、倒産というあえてする必要のない経験ではなくても同じ気づきは得られるはずと。

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この気づきを得たことがきっかけで自分の人生を切り開いていく「起業」という道がぼんやりと浮かび上がってきました。しかし、それまでの人生とは全く異なる思考や経験が必要となるため、いきなり起業するという思いには至らず起業につながる経験をしたいという思いがありました。時間がぽっかりできたこともあり、改めて企業を調べている中で見つけたのが当時注目を浴びていたインターネット広告代理店。今でも最前線で業界トップを走り続けている有名なあの会社です。起業する人材輩出数が多い就職情報から派生した超大手情報企業からも内定はいただけていたうえ、ITバブル崩壊直後ということもあり不透明な環境が予想されたものの、より自分の成長を目的に最初に決めていたインターネット企業に入社を決めました。

この就職活動の途中、普通であれば倒産企業の社長や経営陣が先陣を切って社員の再就職先などをあっせんしてくれたりすることが経営者としての最低限の暗黙の責任ですが、全くそうしたケアがなかったところ、ほんの数回しかかかわることができていなかった社外取締役の方が何度も心配して声を掛けてくれたわけです。実は、倒産経験を通じて自身の「起業」マインドが醸成されたことも大きかったですが、将来メンターともなるこの方の存在が、自分の「起業家」としての歩みを加速させてくれることになります。

インターネット広告代理店に入社してみると、その年から採用を強化したようで、1学年下の新入社員だけでも確か100名以上もいて、みんな仲良くて、さらにいわゆるイケイケ(超前のめり)系の社風。これまでの環境との違いに、ぶっちゃけ面食らったまま何も貢献できず、気づけば1ヶ月が過ぎ去っていた状況でした。正直、歯が立たないし自分のこれまでの経験さえ無意味に感じるくらいで、しかもどう現状から抜け出したらよいかの解決案さえ浮かばない。
そんな暗い雰囲気を察知した人事部の方から声を掛けていただき、新設されたばかりの部署に転属されることになりました。業務は変わらず営業でしたが、最初に上司となったボスは、なんといっていいのかとにかく変わった人でしたが、弱った自分に厳しく手を差し伸べてくれたのでした(笑)また、同時期に入社したメンバーが同年代だったこともあり、切磋琢磨して仕事に全力で向き合うことができるようになりました。ブラック企業などという言葉がない時代でしたらから、本当に朝から夜中まで休みもなく、それでも思いっきり楽しい時間でした。

そんな生活を一年続けていたところ、営業先の一人から独立を検討している話を聞きました。インターネットを活用したサービスで一旗揚げようとする姿に、一年前の「起業」というイメージが重なり合いました。その方からも一緒にやろうという言葉をかけてもらい、自分自身の未熟さは大いに感じていながらも今がそのチャンスだと思い、その新しい会社に出資と共に参画することとなりました。それまではWeb広告を取り扱っていたのですが、ここで初めてポータルサイトの構築をいちから携わることになり、無事にリリース。その後、当時では珍しかったようなサイトM&Aという形で上場企業に売却するという流れになりました。当初目的としていたことはやりきった感があったときに、前述のメンターからの一言が事態を一変することに。

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Yoshitaka Kikuchi
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