つまらないワタシを生きることやめる
東京に向かう新幹線の中で、突然「今、このタイミングだ」と突然決断した。
それは、だいぶ前に卒業したボランティア団体のLINEグループから抜けること。
その団体を立ち上げ、7年ほど代表として活動してきたこの団体を卒業したのは、春ごろ。
今は、もうコートを着ている冬。
こんな長い間保留にしていたこの件。
代表から退いた後も、LINEグループを抜けることでそのグループに与える印象を考えるとなかなか抜け出すことができずに、「ま、いいか」になっていた。
それが、今この時と、抜けた。
今思うと、その決断が、その日新幹線で向かった先で起こることのスタートだったのだと思う。
どんなスタートだったのか?
結論から言うと、
私がこれまで頑なに握りしめていたものを手放し、新しい私に出会うスタート。
団体代表で作り上げた「私」 証明した「私」
「新しい私」を紹介する前に、ボランティア団体で私がどんな経験をしてきたかをお話ししようと思う。
そのボランティア団体は、信頼する友人(昔の職場の上司!)と一緒にたちあげた。
彼女はとても優しくて、配慮があって、ものすごく明るい。
いつも周りを照らす太陽な存在。
スタッフは、彼女の明るさに惹かれ多くの人が集まった。
団体が主催する教室でも、彼女の魅力で受講者さんが次々と集まった。
私は表に出ず、企画、戦略を練る代表
彼女は広告塔のように、人を集める代表
そんな役割分担がうまくいき、団体はどんどん大きくなっていった。
それぞれの得意を活かせていた、と言えばいい言葉なのかもしれない。
しかし、私の中は違った。
「私は人を魅了できない。」だから、企画戦略をしていた。
そんな感覚。
「私に人を惹きつける魅力なんてない」
その自己認識は、私にその枠組みを作り、この団体での活動でどんどん強化していき、
この団体を卒業するまでの数年、私を苦しめた。
「ほら、やっぱり私は人に好かれない」
「ほら、やっぱり私は人をまとめる力なんてない」
「ほら、やっぱり私はつまらない」
ほら、やっぱり私は……
私が生きた物語
実際、私はその団体の活動の中で自分の無力さを示す結果をたくさん受け取った。
・初期のスタッフの大半が、別団体に引き抜かれる
・団体活動のビジョンがないとスタッフに言われる
・私以外のスタッフは頻繁に交流し仲良し
・スタッフの不満、相談事は、私の耳に直接入らない(間接的に聞く)
・他団体からの批判
などである。
しかし、私は、当時これらは「仕方ないことだ、だってみんなは自由なんだから」という言葉で、自分を納得させいたように思う。
私の中は確実に《痛み》としてあったけれど、その痛みを感じないために、和らげるために、私はそれっぽい理由を作り上げていたのだ。
「どう思おうと、何を選択しようとその人の自由」
「私は別に人と交流したいわけではない」
「この活動を自由に使ってくれたらいいんだ」
そうやって、ますます私は団体の中で人と交流することを避けていった。
これまであった他団体との交流は必要最低限にした。
そして結果は、人が離れていく。
影では人に批判される。(妄想もあったと思う)
そして、私はその結果に、ますます「私は人に好かれない」「私はつまらない」「私は無能だ」と思い込んでいく。
そのサイクルがどんどん大きくなって、私は本当はものすごく苦しかったのだ。
こんな私なんていない方が、この団体は、うまくいく。
きっと、私がいない方がみんなは、気を遣わなくて自然体でラクに活動ができる。
私なんていない方が……
しかし、立ち上げた人間として、代表として、責任感を全うせねば。
そう思えば思うほど、私は心が苦しくなり、結果、無責任になっていった。
そうして、無責任である結果は、これまでも受けてきた他人から批判、他人との距離感である。
それよりなにより
自分自身が一番無責任であることを知っているから、誰もが私を「無責任」と思っているだろうと思い込む。
そしてここにたどり着く
私なんていない方が……
読んでいてお分かりでしょう。
これはすべて私が引き寄せているということを。
全てが、「私は無能であり、私は必要のない人間であり、私は好かれない」という前提から始まり、
ゆえに、私は、その結果を自分の行動で引き寄せている。
私はこの団体で、こんな自作自演の物語を生きていたのだ。
自作自演の物語を発見する
しかし、LINEグループを抜けたときの私はまだその自作自演の物語に生きていた自分を知らなかった。
自作自演の物語に気付いた2日の研修は、深く自分自身を見つめるような研修。(U理論)
私は、ずっとコーチングを受けてきて、いろんな自分と出会ってきた。
2019年は特に自分の内側をさらに掘り下げ、これまでの自分を超えるという体験をしてきた。
なので、正直なところこれ以上、新たな自分を見つめるものはないのでは? なんて思っていた。
私は自分の得意も不得意も知っているし、ほとんど受け入れている。
どんな自分であってもいい、と思えている。と。
しかし、私がわかっていることなんて本当に少ない。
「思考はうそをつく」とは本当だ。
大丈夫、平気。
と思っていることこそ、そこに何がかあるんだろう。
私がたどり着いた自己認識はこれだった。
「つまらない、役に立たない私」
この言葉が思い浮かんだのは、大人数での食事の場。
私は大人数で集まるのが好きではない。
それは、話についていけないことや、何を話したらいいのかわからなくなるから。
盛りあげられる人がスゴイと思っている。
その人が中心となって、笑いが起こる。
こんな人となら食事も楽しい。
しかし、私の場合、私が話すと、シーンとするような気がしている。
実際あったかどうかわからないが私は、自分の話はつまらなく、空気を凍らせる、という怖れを持っていたのだ。
この場に私がいない方がみんなは楽しめる。
私の隣の席になった人は、運が悪い。
「私はつまらないから、いない方がいい」
だから私は、めったに多くの人が集まる場所にはいかない。
交流会なんて最悪だ。
そんなことを思いだしていると、夫の実家でのことも思い出す。
1年に2度の帰省は苦痛だった。
義父母は、孫と息子に会いたいだけ。
私は、小さな子どもがいるから必要なだけで、不要であればいない方がいい。
私は歓迎されていない。
そう思い込んでいる。
私なんていない方が……
ここでつながっていくのだ。
ボランティア団体での私の思いと。
私は基本、私なんていない方が……
と思っている。
それは、私はつまらないし、役に立たないから。
新しい物語を発見する
自作自演。
自作自演であることに気が付くと、違う部分が見えてくる。
「ねぇ、みんなあなたともっとお話ししたいのよ」
と、共に団体を運営していた友人の言葉を思い出す。
「もっとあなたと関わりたいんだよ」
私は、その言葉を受け取っていなかった。
そんなはずない。
そんな慰めいらない。
でも確かに言葉として私に届けてくれていたのだ。
私が、とことん「つまらない、役に立たない私」という物語を生きていたがために、確かにあった、思いやりやつながりを拒否し、私自ら人から離れていっていた。
この研修では、数名の人に、事前に「私について」書いてもらうアンケートをお願いした。
私は、夫、大学時代との友人、会社員時代の友人、そして、共に団体を運営していた友人にお願いした。
「役に立たない、つまらない私」を生きていたことに気付き、そこから抜け出さんとするとき、そのレポートの束を渡された。
お昼休み、一人で静かにそれを読んだ。
そこには多くの愛がつまっていた。
確かに役に立っていた私がつまっていた。
私に希望を持ってくれている人たちがいた。
私は、受け取っていないだけだった。
頑なに。
申し訳なさと、周りの人の愛情の深さに涙が出た。
古い物語に終止符を打つ
私は、もう2度と「団体は作らない」と決めていた。
なんなふうに出来な自分を証明したくない。
あんな孤独な思いはしたくない。
でも、本当はたくさんの愛とつながりの中にいた。
できたこともたくさんあったし、認めてくれる人たちはいた。
それに気が付いたとき、
「つまらない、役に立たない私」を手放すことにした。
朝、この研修のため東京に向かう新幹線で、団体のLINEグループを抜ける決意をしたとき、すでにこの手放しは始まっていたのではないかと思う。
グループから抜けるという「離れる」という行為だけれど、今は、そのグループにいるみんなとより近くになった気分。
団体を設立したこと、運営してきたこと、そして辞めたこと。
全てが「学び」となり、私の中で完全に消化吸収できた日。
そして、その消化吸収により、また再挑戦しようとする私が出てきている。
きっと、私は、また人を巻き込みながら何かをするんだろう。
そうでないと私の夢は叶わない。
今度は、しっかりと周りからの愛を受け取りながら。
つまらない
役に立たない私を生きる物語はこれで終了。
新しい私との出会い
手放しをすると、新しいものが入ってくる。
「つまらない、役に立たない私」の代わりに新しく見つけた私は、「美しい私」だった。
これは、私の中から沸き起こってきた言葉。
研修のワークの中で、この言葉が出てきたとき、躊躇した。
「美しい私」って!
でも、これ意外浮かんでこなかった。
だから素直に口に出してみたら、思った以上に自分の中に入ってきた。
その「美しい」は、決して外側のモノではない。
内側の美しさ、似た言葉だと「清らかさ」
私はこれまで、コーチとしていろんな人の美しさを見せてもらえてきた。
その人の中にある本当の純粋な願い。
表向きは、エゴにも思えるものも、深く深くその人の中に入れば、美しい願いにつながった。
その人がその願いに気付き言葉にしたときの澄んだ声は、私の心奥深くに沁み渡り心を震わせる
尊く美しい願い、想い。
それに触れさせてもらえる。
だから私は、コーチングをやめられない。
でも、私はこれまで自分の中にもその美しさがあることに意識を向けていなかった。
美しい私
私の中にある美しさを受け入れたとき、
私は、愛され、他人に役立つ自分で生きる物語をスタートすることができた。
生きたい物語を生きられる
誰もがみんな自作自演のストーリの中に生きている。
気が付かずに。
私もこれまで、いろんな自作自演の物語の中を生きてきた。
愛されない
孤独だ
そう感じたとき、自分で苦しい物語に生きている。
それはあなたが作った物語であり、真実ではない。
わざわざ苦しい物語を生きなくていいのだ。
あなたは存在するだけで、愛され、誰かの役に立ち、そして、美しい。
それを受け取り、愛され必要とされる物語を生きて行こう。
コーチングに出会って8年。
生きる物語を変えるたびに、私はもうこれ以上はないだろうと思う。
でも…この分だとまだありそうだ。
もっともっと素晴らしい世界が。
もう楽しみでしかない。