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女性の管理職比率を上げたくらいでは何も変わらない?

女性の管理職比率を上げるという数値目標にだけ固執しないことが会社にとっても、社員にとっても価値が高まる

ある女性経営者が驚いたこと

「泣いている理由を聞いたら、『管理職になるように言われたから』でした」

先日ある女性経営者の方とお話していた時のこと。

ある女性の方から泣きながら相談があったので、会社で何かいじめにでもあったのかと思って、よくよく話を聞いてみると、「上司から管理職になるよう内示を受けたこと」がその理由だったそうです。

その経営者の方は、最初は特殊な事例かと思っていたら、似たような相談が次から次へと来て、「これはなんとかしないとダメだ」と考え直しました。

日本は四半期前から後進国

いまは女性の管理職を増やそうという動きが盛んです。実際、日本では諸外国に比べると、女性の管理職比率が少ないのは事実。

このため、政府も民間も一緒になって、女性の活躍推進を図るために、女性の管理職比率を上げることに力を入れています。

この点、私がすぐに思い浮かぶのはフィリピンのこと。

私は1996年から2000年にかけて、フィリピンに駐在していました。当時日本では銀行で女性支店長が出るとニュースになるような時代でした。しかしながら、私が出向で働いたフィリピンの地場銀行では、女性の支店長はもちろんのこと、本店の部長も半分ぐらいは女性で、女性の副頭取もいました。

つまり、四半世紀前から、女性の社会進出という点では、日本はフィリピンよりも後進国だったのです。

では、当時のフィリピンで女性の活躍推進を意識していたかと言えば、現地で働いている限りそのような感じは一切ありませんでした。それよりも、仕事をできる人が普通に昇進していった結果、女性の管理職が自然と増えたという感じです。

実際、一緒に仕事をしてみると、男性行員よりも優秀な女性行員がたくさんいて、女性部長を男性の部下が補佐するのは日常茶飯事だったのです。

数字だけを追ってもダメな理由

では、「日本でも性別に関係なく、優秀な人を管理職にすれば良いのでは?」という点ではいかがでしょうか。

この場合、まず考えなければならないのは以下の3つの点です。

・「優秀な人」をどのように定義するのか
・「管理職」に求める役割を何なのか
・出産・育児に関する問題にどう対応するか

優秀な人」を定義する際、今までほとんどの日本の会社は男性中心で運営してきたため、男性の価値判断基準をベースに「優秀さ」を定義しがちです。

そして、この「優秀さ」の中には毎日遅くまで働く、飲み会も付き合うといった本来仕事の成果とは直接関係のないものまで含まれることがあるので、やっかいです。

また、「管理職」に求める役割にしても、「先頭に立って部下を引っ張る」「中心的な存在して皆をまとめる」というリーダー像を求めがちです。

しかしながら、女性の場合、先頭に立って皆を引っ張るのは苦手でも、ちょっと後方から見守って仕事がスムーズに運ぶよう気を配るのが得意な人や、段取りよく準備して、効率よく仕事が終わるよう工夫することで力を発揮できる人もいます。

この点、女性を管理職につける際、従来からの画一的なリーダー像を求めてしまうと、本来その人が持っている力を削いでしまう恐れもあります。

そして、出産や育児の問題

フィリピンでは一定所得以上の人はメイドさんを雇っている人が多かったので、女性社員も出産直前まで働き、子供が生まれたらすぐに職場する人もたくさんおられました。

しかしながら、日本では最近では育児休暇の制度があるにせよ、会社で働き続けるという点では、まだまだ課題が山積みです。

このように考えてくると、女性の管理職比率を増やすという施策は、単に数字だけを追いかけるようだと、女性にとっても、男性にとっても、そして、会社にとっても良くない結果をもたらす可能性があります。

冒頭で管理職になるのを嫌がって泣いて相談に来られた人の話を書きました。このような人が少なからずいる状況を無視したまま、単に「女性管理職の比率を3割にする」という目標を設定してしまうと、目標の数字だけが一人歩きして

とにかく女性の管理職の比率を上げることだけに力を注ぐ
 ↓
本来その女性が持っている力を発揮できない形で昇進させる
 ↓
思っているほど、結果が出ない、
 ↓
「やっぱり女性でなく、男性でないとダメだ」という意見が出る

という流れになっては元も子もありません。

本質的な課題に目を背けずに取り組む

日本の場合、解決すべき課題について、本質的な課題の部分には目をつぶって、その場しのぎの対応でなんとか乗り切ろうとすることがあります。

女性の管理職比率が世界的に見て低いから、その比率を上げるというのは安易な発想。誤解を恐れずに言えば、「女性の管理職比率を上げたくらいでは何も変わらない」です。

それはイェール大学助教授の成田悠輔先生が「22世紀の民主主義」の中で看破されているように、「若者が選挙に行って『政治参加』したくらいでは何も変わらない」のと同じ構造です。

若者が選挙に行くこと自体は誰もが賛同する施策です。このため、反対する人はほぼいないと思われますが、一方で、少子高齢化が進む中で、仮に若者が全員選挙に行っても、計算上は超マイノリティーがマイノリティーになるだけという事実を冷静に認識するがあるということ。

この場合、今の選挙制度そのものを大きく変革しないと、若者の意見や考え方が政治に反映されない訳ですが、いまの選挙制度で既得権益を得ている人がその構造を大きく変えることを期待することは難しいという現実があります。

前述の女性経営者の方とは打合せの際、「女性の活躍推進に向けて何か一緒にやりましょう」という話で終わりました。

弊社がまず取り組んでいる「女性活躍応援プロジェクト」の一つがこれです。
↓ ↓ ↓

人を突き動かす原動力である「心意気」を言語化した後、より大きな行動変容を起こすのは女性の方が多いです。

これは自己認識力との関連で見た場合、男性は年齢が高くなるにつれて自己認識力が低くなるのに対して、女性は年齢が高くなっても、自己認識力があまり変わらないという調査結果とも一致しています。

性別による差別はダメですが、その本質的な主旨は性別に関係なく、その人の特徴や個性を尊重することであるはずです。

人を突き動かす原動力である「心意気」の言語化に弊社が力を入れているのも、たとえ親子であっても、また、同じ会社に勤めている上司と部下であっても、一人ひとり感情が動くポイントは違い、それに紐づく思考の癖も異なるからです。

弊社だけではできることが限られています。もし、少しでも共感してくれる人がおられましたら、一度お話させていただければ嬉しく思います

サポートは、マインドの感情とマネーの勘定を整えることで、自己成長につながる研究費に活用させていただき、得られた気づきをnoteへの記事に投稿する形で還元します。