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先輩

先ほど、入学してから、先に帰るたびに「お疲れ様です」と一言を言ってくれてから研究室を出る先輩と、「お疲れ様です。」「お疲れ様です。」「よいお年を。」「よいお年を。」と言葉を交えていた。それで、今日は先輩にとって今年研究室に出る最後の日だとわかった。

先輩は博士一年生で、発達障碍児者支援の研究をされているようだ。綺麗で気品のある素敵な女性。入学日の歓迎会では真向かいに座ってていたし、比較的によく研究室である先輩のひとりだったので、自分にとって親しみを感じる先輩だった。そして、よく質問をしに行っていた。

質問と言っても些細なことが多かった気がする。研究室の使い方とか、投稿写真の選び方とか、思い出せない日本語とか。先輩はいつも笑顔で応えてくれた。指導教官との軋轢や研究上の躓きについての相談も真剣に乗ってくれた。「いつでも聞いてね。一人で悩まないでね」と言ってくれたときに心が暖められたような感じだった。

そういっても、お帰りのあいさつの他に、朝から晩まで一言も交えずに各自の仕事をする日の方が多かった。でも、隣にいるだけで私に安心感を与えているような気がする。これってこそ、先輩としての魅力じゃないかと思う。つまり、存在自体が人に影響を与えるという人格的魅力さ。そのような先輩は研究室には実はもう一人がいる。

内向の人が生きやすい社会を作りたいという思いを抱いて、教員になるか、就職するかと悩んでいたが、ここでの研究生活に嫌気がさしてきて就職に決めたようだ。嫌気なんて全く感じとれなくて、むしろ楽しく大学院生活を送っているように見えた先輩にそう言ってもらったときに、びっくりした。「嫌気を人に見せないのはすごいなと思っています」と言ったら、「人に見せないようにしている」と答えてくれて、さらに感心させられた。

このような意志の強い先輩たちに憧れているが、嫌気を我慢することは恐らく彼女たちに真似できないと思う。ここでの研究生活のどこに嫌気を感じているかと、先輩に聞きたいが、同じことでも人によっては感じ方が違うのもあるから、これからの研究生活を楽しみにしている。けれども、目の前のことがしんどいんだと、心から叫ぶ私もいる。


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