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海外ノマドが思うマルチリンガルについて-本職の大学若手研究者ワークショップに参加して #想像していなかった未来

12歳でフランス単身留学を始め、それ以来、海外ノマド生活中の私は先日【本業】の関係で小旅行に出掛けていた。

私の本業…
研究者?
大学講師?
日本語講師?
言語学博士?

アルザスは私の原点を作ってくれた場所
そんな場所で開催されたワークショップに参加して、自分の限定となったフランスにあった日系全寮制学校に関連した発表をした。

【トランスナショナルな日本の空間】と言う課題でのワークショップ。研究者発表会と言うのだろうか

【The 7th EU-Japan Young Scholars Workshop in AlsaceTransnational Japanese Spaces
トランスナショナルな日本の空間】

に参加して来た。そこで思った自分の過去と今について書こうと思う。


語学ができると言うこと

私の発表は
トランスナショナル教育に関して

フランスの中の日本での語学学習や文化について、そこでの生活などを紹介したが、実際私はこの学校に留学してちゃんとフランス語ができるようにならなかった。

日本にいるとなぜか英語ができるだけでなんだかすごいように思われたりするし、「そんなことない」と思う人もいる。
「英語ができても仕事ができない。」なんて言われることもある。

でもこの空間は本当に別世界だった。

発表は日本語か英語
だから皆英語も日本語もできる。そして現在の所属機関は母国と異なり、その国の言語も話し、そして母国語も話す。相手によったり、話しやすいトピックだったり、皆自然にコードスイッチする。

と言うようなマルチリンガル が揃っていた。

そしてそれが当たり前の空間で誰もが相手と自分が話せる言語で会話して、ワークショップは基本英語、でも日本語も交わる。

そしてそのワークショップはフランスのコルマールで開始されているので、フランス語の会話も耳にする。

参加者の母国語は韓国語、中国語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ベトナム語…と多様で、母国語、所謂生まれた国の言語、両親の言語と優越言語、所謂自分が1番話せる言語が別の人もいる。

私は日本語-英語-フランス語#トラリンガル、この3言語は同じレベルだと言っているが、最近英語を話す機会が少なかったので、英語力が落ちた気もした。

だが、こう言う学会の発表会では日本語も難しくなるので、英語の方がわかりやすいと思う気もする。

トランスナショナルとは

何にせよこの空間は特殊で、この空間こそがトランスナショナルだよなあと思いながら、トランスナショナルとインターナショナルとインターナショナライゼイション、マルチカルチャー…

トランスナショナルとは

【トランスナショナルな関係(トランスナショナルなかんけい、transnational relation)とは、人間の諸活動が国家の枠組みを越えて展開されるようになったことから深まった、民間の個人・団体と他国の民間人・民間団体および他国政府との関係のことである。】


同じようで少しずつ異なり、なかなか定義や理解も難しいなと感じだ。

私のお題は
トランスナショナル教育

【教育機関が本来所在する国や地域とは異なる場所に学習者が所在するすべての高等教育プログラムを総称するものであり、多様な形態で実施されている。TNEは、クロスボーダー教育(cross-border education: CBE)とも呼ばれる。その中には、国境を越えた遠隔教育、2か国以上の教育機関が共同で学位を授与するジョイント・ディグリープログラム等を含む様々な形態がある。】
引用https://niadqe.jp/glossary/5357/

今となっては私はマルチリンガルなのだが、フランスに行く前は海外とは縁のない生活をしていたし、語学が得意な子ではなかった。

結局フランスに3年いてもフランス語がちゃんとできるようにならず、それからちゃんと勉強して今では一応マルチリンガルになった。
あの頃の私からしたらこうして海外にいる生活なんて想像もしていなかった。

今となってはこうしてみんなが当たり前に色んな言語を話すこの環境がすごく居心地が良く、私にとってこの空間がコンフォートゾーンであって、本当に良い空間だった。

良い出会いがたくさんあって、これこ今年起こり続けている奇跡の一つだった気がする。

こう言う空間にいられたことが奇跡なのか運命なのか、視野が広がって、少し安心できて、そして今後のモチベーションにも繋がった。

そしてこうして海外に行き、語学や異文化に興味を持ち、自分の経験をこう言う機会に発表できる機会が来るなんて思ってもいなかった。

綺麗な日本語を話すこと-間違えた横文字が多い日本

ただ海外に出て思うことは外国語ができることが良いことではなく、その前に綺麗な日本語を話せることだと、私はこうして外の国に住んで思うめるようになった。

最近は日本でも横文字の言葉が増えた。私が持っている「ITの日本語」の教科書も横文字の半分インチキ日本語が並ぶ

リスケ re schedule
コレポン correspondence 
ワンオペ one operation 

これ英語じゃないし、英語の短縮系なんて言われる既に和製英語だし、そんな言葉を話しても決して英語ができる人でもなんでもない。「綺麗な日本語話せる方が良いのでは?」と思う。

私が書いたここに書いた
優越言語
コンフォートゾーン
マルチリンガル
コードスイッチ

これらも言語学では普通の言葉でも一般的には使用しないし耳にしないこともある。

その意味をちゃんと理解していないこともある。そう言う言葉に対しても誰でもが理解できるように話すこと、これこそがコミニケーションでの1番大切なことなんじゃないかと思うのだ。

語学ができると言うこと

語学ができると言うこと
それは決して能力ではなくて、他の何かをするための道具でしかない。これはコミニケーションツールでしかないのだ。
このワークショップに参加して改めて痛感した。

特にこのワークシップに集まっている人にとっては正にそうだろう。自分の研究の為に英語や日本語を使い、自分の研究の為にまた別の国の組織に移動して、そこの言語も勉強する。

だからここで出会う人たちは皆マルチリンガルで、それが当たり前みたいな空間なのだ。皆「研究者」で、大学教授、准教授、ポスドク、博士課程在籍者…

日本では博士号取得者は0 .4%だそうだ。かなり稀な人たちでもある。昔まだ博士論文を書いていた頃に
「博士号を取得するのは頂上が見えない山に登るような感じで、今までと別の世界が見える。」

と言われた。実際の景色は変わらないのに、確かに一山越えたのは確かだった。まさか12歳でフランス留学し、そこから博士号まで取得するとは夢にも思っていなかった。
本当に人生には色んなことが起こる。特に私は色んな問題にぶつかりながら来ているので博士号取得もかなり遅かった。

その後もまた全てが0に戻ったように海外の大学で馬車馬のように働いて、また少し自信も無くなって、研究からも遠ざかっていたので心配したけれど、またこうして研究発表する機会もあり、少しでも自分の本業の方へ戻っていければと思った。

私の人生は色々あって、本当にゆっくり前に進むことしかできない。ゆっくり進んで又元に戻って…
それでもやっぱり諦めずに前に進めばいつか目標に辿りつける。

ちゃんとずっとアカデミックな環境にいられたり、奨学金を貰って勉強できる方々のように、ここにいたみなさんとは私はちょっと畑が違う気もしたが、それでも今やっとこうして進んでいけていることは有り難いのかもしれない。

努力は必ず報われるのか

努力だけではどうしようもないことも多いのかもしれない。

生まれ育った環境も不公平だし不平等だけど、人に与えられた時間だけは平等だからそれをどう使うかで、継続や集中力、努力が重なり何かを成し遂げることができるんだと思う。

やっぱりそう信じたい

本当に良い出会いが多くて、刺激をもらえて、すごい空間だったなあ。と思う。

語学も一緒だ。努力して時間を費やせばきっといつかちゃんとできるようになる。そしてそれを最終的には専門として海外の大学で働くようになって、幼い時には想像もしていなかった未来がこうして待っていたりのするのだ。

継続は力なり
努力は必ず報われる

私はこれからもそう信じたい。


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