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(31)レコードデビュー!/あきれたぼういず活動記

前回のあらすじ)
ビクターの上山敬三からレコーディングの話を聞いたあきれたぼういずは大喜び。
初吹き込みを終えて、京都公演へと旅立った。

※あきれたぼういずの基礎情報は(1)を!

【発売ならず】

吹き込みを終えてしばらく経ったある日。
上山敬三は、内務省に呼び出された。
そこで告げられたのは、テスト盤を聴いた検閲官からの「発売禁止」の命令だった。

 いくら説明してもきき入れなかった。台本は通したが、こんなにフザケタものとは知らなかった、という。それは無理もない。誰も知らない新しいジャンルの芸なのだから。更に、戦時下の今日このように不真面目なレコードは国民士気高揚に毒だ、ともいった。前年の夏、日華事変が勃発して、戦争は日一日と進展しているときだった。

上山敬三「現代にも生きる『川田ぶし』」

 上山  頭をかかえて帰ろうとしたら、「上山君、このテスト盤、いらなくなったらくださいね」と検閲官が言った。(笑)すぐ発禁になったって手紙出せないですよ、あんた方に。あんなに喜んでくれたもん。

「オリジナル“あきれたぼういず”の想い出」座談会

なぜ、こんな悲劇が起きてしまったのか。

当時のレコードの検閲では、発行3日前までに内務省図書課にレコードと解説書(歌詞カードなど)を提出することになっている。
しかし、発売直前でストップ、となるとあまりにリスクが大きい。
そのため、事前に企画書やテスト盤でチェックしてもらう「内閲」を行うことが多かった。

今回の「アキレタ・ダイナ」「あきれた演芸会」も、先に台本を内閲してもらいパスしている。
ビクターのレコードを紹介する「月報」1938年8月号には新譜として「アキレタ・ダイナ」が載っており、直前まで発売予定だったことがわかる。
(同時に吹き込んだとされる「あきれた演芸会」はなぜか掲載されていない。)
しかし、その次の「テスト盤」で引っかかったのだ。

漫才の台本と違い、あきれたぼういずの芸を文字だけで判断することはたしかに不可能だっただろう。
また、レコードの検閲はわずか4年前の1934(昭和9)年に始まったばかりだった。
加えて、前年の日中戦争開戦。検閲基準も大きく変化していた時期だと思われる。
その芸風の新しさと、時代の変化とが、突然の発売禁止につながったのだった。

やっと漕ぎ着けたレコードデビューの夢は、こうしてあっけなく挫かれてしまった。
幻のデビュー盤となってしまった「アキレタ・ダイナ」だが、検閲官が「いらなくなったらくださいね」と言ったというテスト盤がもし発見されれば、聴ける日がくるかもしれない。

【四人の突撃兵】

 吉本ショウが京都へ行く直前、ビクターレコードであきれたぼーいずを二枚吹込み、この程、大宣伝の下に売り出しをする予定だったところ、残念乍ら発禁となりました、素晴らしい出来なンですが、皆様にお聞かせ出来ないのが残念です。
 で只今、今度は大丈夫と云う絶対盤を吹込むべく目下ハリキリ準備中。

浅草花月劇場パンフレット/1938年7月21日

落ち込む四人を上山がなんとか励まし、台本を手直しし、気を取り直して吹き込んだのが「四人の突撃兵」だ。
レマルクの小説『西部戦線異状なし』や映画「五人の斥候兵」をヒントにしたというその内容は、戦地で休む四人の兵士たちの歓談……というコンセプトになっている。

ビクター月報の宣伝文句は以下の通り。

 “あきれた・こうらす”と銘打った「四人の突撃兵」。今年五月浅草で名乗りをあげて以来、俄然東都の人気を掻浚らって来た吉本興業の新ドル箱「あきれた・ぼういず」四人男の珍芸・漫芸です。戦線の休養時、変った四人の勇士が大いに心臓の余裕を見せてフザケ散らすという趣向で、軍歌、合唱、動物の物真似、ポパイ、珍オペラ、琵琶、浪花節、俚謡……何でも御座れの達者な芸当。掛け合も手に入ったもので、唄う、ジャズる、わめく、あばれ廻る、……イヤハヤ大変なもの。突拍子もないナンセンスが、小ヅラにくい音楽的センスで運ばれてゆくのも一奇です。ユーモアの欲しい人はぜひ! 相当ハイカラな層へも向きます。

ビクターレコード邦楽新譜/1938年12月号

冒頭で川田の歌う「皇軍大捷の歌」に他三人の「旅愁」のコーラスをかぶせるところなど、静かな哀愁あふれる雰囲気だが、続いて坊屋によるポパイの声色や様々な動物の大乱闘など、賑やかなネタや他愛ないギャグもかなり盛り込まれている。

ともあれ、これは無事に12月新譜(11月下旬発売)として発売され、晴れて念願のレコードデビューとなった。

レコードに記載されたジャンル名は「あきれたこうらす」。
本来は「浪曲」「ジャズ」「漫才」といったジャンル名となるわけだが、上山も言うように「誰も知らない新しいジャンルの芸」だったので、こんな新発明のジャンル名がつけられたわけだ。
ちなみに「アキレタ・ダイナ」のジャンルは「ジャズコーラス」であった。

  あきれぬ人々
 浅草花月ですっかり人気をあおってしまった坊屋、益田、川田、芝の「あきれたぼういず」連、かねてのレコード界進出も漸く許されてビクターで吹込んだが、何しろ此前の第一回は当局からお目玉をいただいているだけに頗る緊張、漸く今度のがパスしたわけ、然るに此四人、パスしてみればいい気なもので「俺達もそれ程あきれることもねえじゃねえか!」

都新聞/1938年11月23日

【名古屋の変名レコード】

2012(平成24)年8月23日の読売新聞に、こんな見出しの記事が掲載された。

あきれたぼういず
幻のレコード
一九三八年の音源・変名で録音

なんと、あきれたぼういずが「愉快なリズムボーイズ」という変名を用いて吹き込んだレコード数枚が、新たに発見されたというニュースだ。

発売元「アサヒレコード」は名古屋のレコード会社で、名古屋に立ち寄った歌手や芸人がアルバイトで録音することが多かったという。
ただし、契約の関係から、変名で吹き込むことも多かった。

このとき発見された音源のほとんどはCD「大名古屋ジャズ」(ぐらもくらぶ)で聴くことができる。
戦前レコード文化研究家の保利透はこのCDの解説で、その録音時期を録音番号から検証して「38年7月〜10月」であるとしている。
9月7日から28日までの吉本ショウ二度目の名古屋公演が、この時期とちょうど重なっており、この公演の合間に吹き込んだのではないかと思われる。

8月新譜で発売されるはずだったビクターの「アキレタ・ダイナ」が発売禁止になり、ゲンナリしている頃だ。
「四人の突撃兵」の吹き込みは名古屋から帰った後だと思われるので、
つまり現時点で我々が聴くことのできる、最初期の録音ということになる。

また、「大名古屋ジャズ」には収録されていない盤である「俺いらはマドロス/こんな馬鹿げた事はない」が、幸運にも今、筆者の手元にある。
A面はのちの「浜辺の叙情詩」にも通じるところのあるマドロスもののコント、B面は原語で歌う「ダイナ」のコーラスから始まり、「大人の四季」にも登場するメロディで一人ずつソロで歌うコミックソングとなっている。

これらのアサヒレコードでの録音には、のちのビクター盤等に共通するネタも登場しており、その繋がりや変化をみるのもまた興味深い。
また、「大名古屋ジャズ」収録の「バリバリの浜辺にて」(芝利英が歌い、坊屋が口で
トランペットの音をはさむ)のようなメンバーのソロのほか、割愛された中には演奏のみのインスト盤もあったようで、その内容の多様さも面白い。


【参考文献】
「現代にも生きる『川田ぶし』」上山敬三/LPレコード「コミックソング:地球の上に朝がくる」/ビクター音楽産業株式会社/1964
「座談会・オリジナル“あきれたぼういず”の想い出」益田喜頓・坊屋三郎・野口久光・上山敬三/LPレコード「珍カルメン・オリジナルあきれたぼういず」/ビクター音楽産業株式会社/1964
『日本の流行歌:歌でつづる大正・昭和』上山敬三/早川書房/1965
CD「大名古屋ジャズ」/ぐらもくらぶ/2012
ビクターレコード邦楽新譜/日本ビクター蓄音機
都新聞/都新聞社
読売新聞/読売新聞社


(次回9/10予定)丸の内へ、そして映画へ!

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