私の昭和歌謡56 心もよう 1970
青いペン白い便箋用意して相手のいない恋文綴る
私のラジカセ好きは、中学生からずっと続いている。
今はCDもなくなって配信の時代。すごい進歩だ。
形のない曲だけがすぐに聴ける。買える。
お気に入りのプレイリストをPCやスマホに作れる。
でも。私はラジカセが好きなんです。笑ってください。
中学生までは、叔母のレコードを聴かせてもらったり、近くのレコード店で、「これ、かけて‼️」と頼んで、どうにか聞いていた。
少し経って、折りたたみレコード再生機というのだろうか?
どこかの中古をもらって、ソノシートなんかをかけていました。
それからカセットテープが登場。
針のない、持ち運べるラジカセ。なんという文明の利器!
中学校3年生。
井上陽水とサイモン&ガーファンクルのカセットを買ってもらった。
いいですか。CDがない時代ですよ。すごいでしょ!
毎日、毎日聴いてました。すりへって5年ぐらい経つと変な音になりました。
私のラジカセ愛を語ってしまいました。
さて「心もよう」はじめとする陽水のカセット曲集は、本当に朱玉の曲集、だと、当時は思っていました。
平成を通り過ぎ令和となると、さらに懐かしくなります。でも、才能のある、これから売り出す若者のデモテープに思えてきました。
ごめんなさい。陽水さん。
ひらめいたわずかな、それでもきらりと光っているフレーズをどうにか短い曲にした。すべて、それです。
私の主人は、陽水の初期の曲はほとんど記憶にないらしい。まともなのは「少年時代」だなどと言う。ま、この曲はちゃんと作ってあると感じるところが、面白い。そうだね。
私は健全な中学生だったから「心もよう」のように、揺れ動く思いなど経験したこともないから、そうなるように、そうなるようにww
白い便箋とブルーブラックのインクの万年筆で、手紙を書いた。手紙なんか書く相手もいなかったから、書いたこともなかったし、仕方なく・・・
さみしいです。と書いた。(だったと思う)
で、あんまりしっくりこないから、どうしてか考えた。たぶん、ブルーブラックじゃ濃すぎたんだと思う。自分の万年筆じゃないから仕方ない。
陽水に浸透していたが、並行して洋楽にも興味が出てきた。大流行のS&Gは、やはりカセット歌集で聞いた。
2人の不安定なハモリがたまらなかった。
しかも、スリーコードしか知らなかった私が、メジャーセブンという不思議な響きも覚えた。
すっかりハマった。
中でも印象に残ったのは「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」だった。これは名前だろうけど誰?と調べたら、建築家だった。
でも、歌詞は建築家のライトにというより、二人の間柄のように聴こえた。
1984年にニューヨークに行った時、グッケンハイムに行くと決めたのは、写真ではない、日本じゃなく米国のライトの建物が見たかったからだ。
もうね、参りました。素敵で。
丸い渦巻きの床を歩いて、作品を見た。
アンディー・ウォーホル展をやっていたので、マリリンモンローとキャンベル缶のハガキをお土産に買った。
なんか、散漫。「心もよう」から広がった私のニューヨーク旅行。
私の昭和歌謡の終点も近いかな。
【参考資料】
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