
舞台から舞台へ。「裏方のプロフェッショナル」としてコペル∞クラ・ゼミを支えたい。
2024年5月末、旧コペルは民事再生手続きを決定。約3週間後にクラ・ゼミがスポンサーに選定され、社員は安堵に包まれました。この急ピッチでの決定の裏には、クラ・ゼミ倉橋会長の経営判断とともに、メガバンクでの約30年にわたる経験値・予見力をもってスポンサー選定入札に挑んだ、堀田本部長の存在が欠かせません。
長らく金融の第一線で活躍した後「ここから20年、心を燃やせる仕事」を求めて2020年にクラ・ゼミに入社し、ICT推進をはじめとするコーポレート基盤を築いてきた堀田本部長。コペル事業承継後も、法務や財務はもちろんのこと、勤怠システムやワークフローの整備、現場指導員のPC環境構築、CI戦略推進室の新設等々、浜松本社と東京本部@新宿、福岡本部@博多を東奔西走しながら、現場を支えるコーポレート部門を先導しています。
自らを「現場とその先のご利用者様を支える、裏方のプロフェッショナルで在りたい」と語る堀田本部長に、話を伺いました。
#「舞台への情熱」から、金融の世界へ
◎学生時代に、「舞台の魅力」に惹き付けられたのですね?
はじめまして、堀田です。振り返ると、私の人生は「好奇心と挑戦」に彩られており、その根幹には大学時代に情熱を注いだESS(英語研究会)での舞台活動があります。
キャスト(役者)として舞台に立つのはもちろん、演出・照明など、舞台に関わる様々な役割を経験する中で、表現することの面白さ、奥深さを体感しました。気付けば舞台の魅力にどっぷり浸かっていましたね。
社会に出た後も学生時代の仲間と数年間活動を続けましたが、仕事との両立は難しく、やがて自然消滅という形で幕を閉じました。しかしこの時に培った表現力や、舞台をチームで創り上げる喜びは、その後のキャリアの大きな糧となっています。

◎なぜ、「金融業界」を志したのですか?
当時はバブル景気の真っ只中。経済学部でしたので、商社にも興味はありましたが、どの産業に携わるか分からない不確実性よりも、「金融という専門性を持ちながら、多様な業界と関われる」銀行がしっくりきたのです。そこで都市銀行(後のメガバンク)に入行しました。
銀行では本店営業部で仕事の基礎を徹底的に叩き込まれた後、池袋支店で中小企業の法人営業担当に。案件の開拓・提案から実行までを一気通貫で行う経験をしました。常に「信用とは。信頼とは。信頼されるサービスとは何か」を問われていたように思います。計7年の営業経験の後、「ストラクチャードファイナンス」という、専門部署へ配属になりました。


#金融の最前線で24時間猛烈に働き、40代で「東大EMP」へ
◎「ストラクチャードファイナンス」とは、何ですか?
企業資産や事業価値が生み出すキャッシュフローを拠りどころとした「仕組み(ストラクチャー)」を構築することで行う「資金調達の方法」です。このため、一つの案件に参加する利害関係者は複数いて、それぞれに求めるものが違うなかでの最適解(ストラクチャー)を見い出していく必要があります。弱肉強食の「戦場」のような世界で、緻密な情報収集や国境を超えた粘り強い交渉力、金融知識を駆使した専門性の高い提案書作成など、あらゆるスキル・タフさが求められました。
常にプレッシャーを感じる一方で、自ら構築した金融スキームが社会の役に立つ達成感は何物にも代えがたいものでした。数字を追うだけでなく、異文化間コミュニケーション力は不可欠で、人間的魅力を磨き信頼関係を構築することの大切さや、世界の広さを学びました。「24時間戦えますか?(当時のTVCMコピー)」を地で行ったこの19年間で、プロの世界の厳しさ・経験値とともに予見力を鍛えられたと思います。
この予見力というのは、ストラクチャードファイナンスのなかで言うと、「当初は予定していないけれども将来起こるかもしれない事情の変化を想定して、今(取引開始時点)に振り返って、将来不利益のないように(不利益の範囲を限定できるように)関係者間の約束事(契約内容)として書き記していくこと」ですね。
◎それほど多忙な時期になぜ、「東大EMP」で学んだのですか?
きっかけは会社からの指名です。東日本大震災直後の2011年秋期生として参加しました。東大EMP(エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)は6か月間をかけて、「社会や未来を拓く『課題設定力』を磨くこと」を目的としています。様々な分野の第一人者である東大教授陣から、哲学・歴史・社会学・老年学・科学などリベラルアーツを浴び続け、仲間と議論する日々は、とても刺激的でした。
膨大な学びの中で、印象に残ったのが「発達障害に関する講義」でした。これが後のクラ・ゼミ転身への布石となります。東大EMPでの経験は「想定外を想定する」という視点(これも予見力ですね)の獲得とともに、日頃見失いがちだった、社会課題への意識を高める機会にもなりましたね。

#クラ・ゼミでの新たな挑戦
◎銀行から「クラ・ゼミ」へ転身したのは、なぜですか?
国際金融の最前線での19年を経て、内部監査の部署に異動し、国際金融犯罪対策に関するグローバル監査体制構築に、日本側の長として携わりました。内部監査とは、経営目標達成のために、社内活動の様々なリスクや機会を見い出し改善提案をする仕事です。今に直接活きるマインドやスキルは、この経験から学びました。
そして気付けば銀行勤務も30年を迎えようとする頃、ふと「銀行でやれる仕事は十分やり尽くした」想いが芽生えました。「実業」のフィールドで、残りの仕事人生をチャレンジしたいと考えるようになっていったのです。
そうしたなかで、会長の理念や社長の想いへの共感、児童発達支援事業を営んでいること、幼少期を過ごした浜松に本社があること、コーポレート基盤構築に自分の経験を活かせると感じたことから、2020年のコロナ禍のなか、クラ・ゼミ出向を決意。2021年には正式に社員となりました。
◎クラ・ゼミ入社当時の、率直な思いを教えてください。
誰もがいつでも口にできる理念があることに加えて、仕事に愛情・情熱を持っているメンバーが多く、受容的な社風に惹かれました。一方で「何もかもがアナログ」かつ「会社の大きさに見合った管理体制が取れていない」ことに、驚きと危うさも感じました。
同時に「管理体制の構築」は、クラ・ゼミのような成長企業にこそ必須であり、そこに銀行で培った仕組み化や内部監査などの経験を活かせるはずだと、心が躍ったことを覚えています。
◎「組織の基盤」を、どのように整備していくのですか?
コーポレート部門の存在意義は「全社業務運営への貢献」ですから、まずは各部門の業務を知らなければなりません。そのため全拠点の業務プロセスとリスクを洗い出し、組織体制の改善や業務フローの見直しから取り組みました。
給与計算体制見直しやリモートワーク体制構築といったことから、ICT化の推進やM&A戦略をリードする経営企画室の新設、グループ再編、また浜松医科大学他との産学共同プロジェクト推進など、仕事は多岐にわたりました。
特に注力したのは、制度面と運用面における「内部統制活動の構築」でしたね。チームメンバーと共に、経理、財務、人事、法務など、企業運営に必要な機能を再構築してきました。
#そして、コペルの再建スポンサー入札へ
◎会長からの鳴りやまない電話。第一声は何でしたか?
あの日、怒涛の着信履歴に一体何事かと思ったら、「コペルを何とか救いたい。いけるか?」という話でした。私は倉橋会長のもつ「慎重で堅実な経営と、時機を逃さず挑戦する大胆さのバランス感覚」に惹き付けられ、それがクラ・ゼミ入社の一因でもありました。
だからこそ、私はこの話に不安よりむしろ、「クラ・ゼミだから果たせる意義があること」かつ「大きな成長のチャンス」だと身震いしました。次の瞬間には買収監査・資金調達・応札戦略・コペルのスポンサーとなることで世の中に貢献できる価値定義等、入札までの様々な事が浮かび、元金融マンとしてもスイッチが入ったのです。
◎民事再生のスポンサー選定に、銀行経験が活きたのですね?
そうですね。国際金融で世界中の海千山千のプレイヤーと入札を競り合った経験が大いに活きました。選定までの短期間に「コペル再建のシナリオ」「シナジーの創出」などを経営陣と徹底議論する一方で、競合の予測をしスポンサー入札に「真っ向から勝つ」戦略を緻密に立て、細部に宿るリスクを予見しながら、大胆に実行する。血が騒ぎました。
中でも、銀行員時代は貸し付ける側の「金融機関」だったのに対し、巨額の資金調達交渉に借り入れする側の「事業会社」として対峙するのは、奇妙な感覚でしたね。会長・社長・経営企画室が一丸となって入札に臨み、無事スポンサー選定の連絡を受けた時は、皆でガッツポーズをしました。

#コペル ∞クラ・ゼミ「これからの第2章」
◎事業承継後「旧コペルのバックオフィス体制」に触れ、どう感じましたか?
「4年前のクラ・ゼミへ入社時の状況」が、見事にフラッシュバックしました。クラ・ゼミ入社後に構築してきたことを、ここからはコペルとクラ・ゼミの第2章として、新たに形にしていくのだな、と。
コペルもやはり、理念や仕事への愛情・情熱に溢れるメンバーが多い一方で、会社の規模に見合うガバナンスが取れていなかったのだと感じました。加えて、急成長を支える経営意識と実践が不足していた為に、民事再生に至ったのだと思います。
◎コーポレート部門は「誰」をお客様としていますか?
「社内(社員)」と「社外(ご利用者様・ステークホルダー)」の双方だと考えています。社員を支え、各自が最大限にパフォーマンスを発揮できるよう組織や仕組みを構築することが、事業活動との両輪による経営目標の実現、ご利用者様や社員の生活の豊かさにつながっていくのだと思っています。
そしてクラ・ゼミの「誰にだって輝ける舞台がある」という理念のように、一人ひとりを舞台で輝かせることが、裏方のプロフェッショナルであるコーポレート部門の存在意義。偶然なのか必然なのか、学生時代に夢中で取り組んだ「舞台づくり」は、今の自分の役割へと繋がっているのかもしれません。
私の好きな言葉に「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」があります。好奇心と変化を楽しむ心を忘れず、自分たちが「発展途上の企業」だという謙虚さをもち、皆で一丸となってコペル∞クラ・ゼミという「これからの第2章」を創っていきたいですね。

【インタビュー後記】
「メガバンクを経てクラ・ゼミに入社、4年後にはコペルの事業承継。カルチャーショックは相当のものだったのではないか?」と挑んだ当インタビュー。実際の堀田本部長は私の想像などよりも、遥かに大きなものを見据えていました。
その、飽くなき好奇心と未知への挑戦を支えるのは、舞台にも仕事にも常に全力で対峙し結果を残してきた自身への信頼と、チームで働き甲斐を実感する喜び、何より「支えを待ってくれている人を輝かせたい」という大きな志があるのだと思いました。
民事再生発表時、私たちは弁護士事務所の「最良のスポンサー選定を進めています」という説明を信じるしかありませんでしたが、その裏で入札に対峙していた堀田本部長の想いに触れ、コペル∞クラ・ゼミの「これからの第2章」に胸熱くなるインタビューでした。(広報N)
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