ある夏の日の日記のようなもの
今朝、4時20分に起きたときの部屋の温度は29℃でした。
何という暑さでしょう。
毎日が暑過ぎるのでつい地球の将来を憂いて落ち込み気分になってしまいます。
やはり人類は緩慢に滅亡へと進んでいるのでしょうか、文明が発達してきたのはいいことだとは思いますけれど、なんだかなあという感じです。
あの空高いところにある二酸化炭素、宇宙空間かどこかへ行ってくれないかなという想像をしてみたり。
そうしてやがて海水温度が下がれば、北海道沖に鮭がいっぱい来て豊漁になるのかな。
雪だって多過ぎず少な過ぎずな感じで適切に降れば、豊富な雪解け水でおいしいお米ができるのに。
そんな風に環境のことを考えているようでいながら、他方では電車でも行けるコメダ珈琲店に車で行ってみたり、毎週のように道の駅に通ったり。
自宅近くのスーパーマーケットや図書館へは歩いて行ってはいますけれど、なんだか言っていることと行動が相反している感は否めませんね。
どうやら暑さで頭がどうかしているようです。
ところで、暑くて喜ぶ方はあまりいらっしゃらないと想像しますけれど、炎天下で外を歩いているときなどに僕はなんとなく「生きてるなあ」と感じます。
決して喜んでいるわけではないのですが、暑さを感じていること、それでも歩み続けていることを人生に投影しているのかもしれません。
それっぽく書きましたけれど、たった今考えました。
もしかしたら暑くてしんどいのを直視したくなくて、ただ現実逃避しているだけかもしれませんけど。
なんのはなしですか。
そんなこんなで出勤して、会社に着けばしっかりと冷房が効いていまして文明の利器万歳ですね。
ニ、ニサンカタンソ……。
今日は(今日も?)仕事が楽しかったです。
何のことはない、いつもと同じような内容ではあるのですが心の感度が上振れしていたようで、やることなすこと喜びでいっぱいでした。
外の暑さも僕の気分を下げるには至りません。
取り立てて嫌なことが起こらなかったこともあるのでしょうけれど、ふと頭の中に浮かんだ、
「当たり前だと思っているこの日常は、本当は当たり前ではないのだ」
という考えに沿って作業の一つ一つに意識を込めてみましたら、なんだか気分が上向いてきたのです。
時間によってとても楽しい気分でいっぱいになったり、少し落ち着いて「良いな、嬉しいな」とじんわり感じたり。
しみじみと生きている喜びを噛みしめられました。
少々大袈裟ですか。
青空が広がればその美しさに心を奪われ
夏らしい大きな雲を見つけてはなんとなく感動し
雲行きが怪しくなると豪雨を恐れて不安になり。
心と感情が活発に働いて、もはや忙しいくらいで。
だからといってそれが鬱陶しいわけでもなく、感性が磨かれている雰囲気があって何やらとても心地よかったです。
気分に任せて書いたら、日記といいますか謎理論と謎思考を連ねた謎文章が出来上がりました。
自分でもよく分かりませんけど、とりあえず今日は良い一日でした、ということで。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。嬉しいです。
まだまだ毎日暑いので、みなさま熱中症には十分お気をつけくださいませ。☀
きゅうりのおいしい食べ方ないかなあ🥒
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?