『スルース』 芝居と戯曲と映画と。
鋼太郎さんとかっきーの芝居がとても面白くて(作品初見)、アンドリューvsマイロの丁々発止の遣り取りを詳しく辿りたいと思ったので戯曲を読み、戯曲を読んであれば大丈夫だろうと72年版映画DVD(海外版なので日本語字幕ナシ)を視て、勢いで07年リメイク版映画DVDも視た。
⚠️ネタバレしていますのでご注意ください。
【戯曲】
観た芝居を脳内再生しつつ読みながら気に留まった点を。
ええっと…まずもって初演は5人キャスティングされてるんですけど!?
アンドリューとマイロとドップラーとタラントとヒッグス。
アンドリュー邸の描写…Norman Manor Houseだって。室内は大体あの舞台セットの雰囲気だと思うけど、Senatだけじゃなくいろんな種類のゲーム類が置いてあるっぽい。
アンドリューは背も高くガッシリしてるけどいささか旬は過ぎてるという年齢的なことと、小説家としても最近はちょっと落ち目なのかなというト書き。
冒頭メリデューの一節は、アンドリューが描く"探偵小説"の世界を観客に認識してもらうためのものだね。He’s as neat and as gaudy as ever he was. って御満悦。
マイロ登場。ト書きを読むと、見目麗しい感じではない。アンドリューより背は低いし精神的余裕のない、頑張って身なりを整えて来た、みたいな描写。
あーこれこれ!この遣り取り!
[ア] Tell me would you agree that the detective story is the normal recreation of noble minds?
…
[マ] Perhaps it would have been truer to say that noble minds were the normal recreation of detective story writers.
↑
あんたは時代遅れだと、マイロは言外にディスってる。でもアンドリューは「そうだよ私の作品は今もWelfare Stateだった時代のgentryの世界を描いているが、それを多くの読者が楽しんでいるよ」と。
本作初演は1970年。「イギリス病」がいよいよヤバくなってきてた頃か。現状を変える必要があるのでは?…という空気になってきている時に、古き佳き時代の幻想から抜け出せない、アンドリューはそういう人。
「私の方が1杯多く飲んでるんだよ」のとこはI’m one up on you already. って言ってるのね。マウント取られてる感じするね。
身上調査みたいに両親のことを聞くのがアンドリューの嫌らしいところ。
[マ] 母はヘリフォード生まれ。父は30年代にイギリスへ来たイタリア人。
[ア] ユダヤ人?
[マ] 母方の半分だけ。ファシストはそこを問題にしたから。
↑こういう会話が交わされるんだけど、"ユダヤ人" の定義の考え方として「ユダヤ人の母親から生まれた」というのがあるのね。ここでマイロが暗に言いたいのは「俺はユダヤ人ではない」ということなのか。ユダヤ教信者でもないし、って。
アンドリューは「私はユダヤ人に偏見なんて持ってないんだよ…」とは言うものの、「でも君とマーガリートの子どもはChurch of Englandの一員になるのかなぁと思って…アドバイスとしては、そうした方がいいよ…その方がそんなに敬虔な信者である必要もなくて、楽だから」みたいなことを言うの。
マイロは「でもそれならユダヤも同じで。神様だってそれでいいと思うはずだと親父はよくそう言ってましたよ」と。
アンドリューがバリバリ偏見持ってるandそういうバックグラウンドのマイロを見下してるということが示されてる。マイロ父の苦労話も表面上だけ気の毒そうにして聴いてはいるけれど。
お金の話をし始める最初は…can you afford to take her off my hands? って言うのね。
Afford to…と、マイロは意表を突かれた感じかな。え?そういうこと言う?と思っただろうね。
ほぉ、マイロとマーガリートが雇った探偵がテアのアパートを張ってたことをアンドリューが指摘する一節が。劇にもあったっけ?
あと、アンドリューの著書をマイロは全然読んだことないという情報が会話に盛り込まれてる。
アンドリューはちょいちょいユダヤ人ネタを挟んだり、ふざけてアメリカンアクセントで話してみたり、テアとは「トナカイ肉料理に飽きるまでは一緒に暮らす」とか言ったり、まぁそういうことを言いがちな種類の人なんだわ。
Only an amateur sleuth ever knows what’s happening. But that is detective fiction. This is fact. というマイロの台詞はこの物語のキーだけど、これよく見たら公演チラシビジュアルに小さくデザインされていましたね。
おぉ!マイロを下着になるまで脱がせちゃうのは戯曲どおりだったんだ。(ちなみに映画ではランニングシャツを着てた。かっきーの上裸はサービスかしら♡)
あと、マイロがズボンをお行儀よく畳むのも戯曲にあったのね。あ、でも原文だとアンドリューが「良い子はズボンを畳みましょうね〜」と促しているようにも取れるかな?
コスプレ衣装のワチャワチャ以降ここら辺のコミカルな部分は、おふたりの雰囲気にあまりにもフィットしていたので鋼太郎さん演出による味付けかなーという気もしていたけど、思いのほか戯曲そのままだった。ただしエリザ以外。笑
あのオペラ曲On With the Motleyに替え歌を乗せるのも戯曲にある。
殴り合いの偽装にかこつけてアンドリューは結構マイロを殴ってる。戯曲には「体格差があるんだからズルいよー」みたいなマイロの台詞も。
マイロに銃を向けて追い詰めていくところでは、アンドリューは外国人ヘイトな感じも強く出してるなー。
そうそう…
[ア] I hate you. I hate your smarmy, good looking Latin face and your easy manner.
はい、確かに「一見」とは書いてませんね。笑
ベートーベン7番で2幕の始まり。
鋼柿版では1幕の最後がこの曲でドラマチックに締められ幕間にもずっと流れてたの、とても良かったけどなー。
アンドリューは指揮者の真似をして御満悦。そんなふうに自分は世の中を動かす立場だと思っていたい人なのでしょうね。
ドップラー登場。戯曲では別キャスト。tallishと書いてあるので、身長も偽装している体(てい)。
マイロをhumiliateするためにやったこと、アンドリュー曰くなんか元ネタがあるらしい。18世紀の秘密結社のイニシエーションセレモニー?
あぁ、でも変装を剥がしてマイロになるト書きはかっきーがやったとおりね。初演時は特殊メイク等の技術的にこれを実現するのは難しかったから別キャストでどうにかしたのかな。
ドップラーによる追及にも、マイロがテアを殺したと言ったことに対しても、"ゲームではないリアル" には明らかに怯えるアンドリュー。
凶器のストッキングを示唆するヒントとして、マイロはAnything Goesを最初口笛で吹いて、それから歌う。タップはもちろん鋼柿版オリジナル♪
タラント役とヒッグス役の俳優さんは声の出演だけだったのか。物語上は、マイロが声色を使ってることになっている。
ドップラーもタラントもヒッグスも鋼柿版では別キャストを起用せずかっきー1人でやったの、かっきーの芸達者ぶりとスタッフさんの技術のおかげでこの戯曲がよりリアルな形で上演できたってことだね!
アンドリューがマイロに縋りつくシーンも戯曲にあった。
[ア] Please…I just want someone to play with.
寂しい老人だな、アンドリュー…。
マイロの答えは辛辣。
[マ] No. Most people want someone to live with. But you have no life to give anyone.
さらにマイロは、アンドリューが小説で描く世界=アンドリューが住んでいる世界を a dead world だと言い放ち、冒頭での応酬で用いたフレーズを使いながら罵倒する。
[マ] the detective story is the normal recreation of snobbish, out-dated, life-hating, ignoble minds.
アンドリューはすっかりcrushed and humiliated
そして、毛皮のコートを盗もうとした泥棒を誤って撃ち殺してしまった、という筋書きを考えついて銃を取り出す。
[マ] 撃つ?また泥棒ゲーム?
[ア] 撃つぞ。
[マ] もう泥棒ゲームは出来ませんよ。
[ア] なぜそう思う?
[マ] Because of what happened when I left here on Friday night.
あの後俺があることをしたから。…つまり、警察へ行って訴えたんだよ、ってことかな?
その時警察がまともに取り合ってくれなかった(おそらくマイロの身分のせいで)ことには憤慨して、おぅそれならイタリア男らしく報復してやるぜ!と考え、ドップラーのくだり・テア殺しのくだりと、言いたい事は全部言ってやってアンドリューを精神的に痛めつけてやった。
が、それはそれとして、警察を今夜10時に呼んであるのは本当だと。
既に10時は過ぎているし、この要請も無視されてしまった可能性もあるけど、もしあんたがいま俺を撃って後日取調べで「泥棒が」なんて言っても流石にもう警察は鵜呑みにしない。だからあんたは撃てない筈だ…と、マイロは考えたのか。
どうせこいつはリアルに人を殺すなんていう度胸は持ち合わせていないだろう、とタカを括ってもいたかもしれない。
ところが、アンドリューは撃ったんですね。
もうすぐ警察が来るなんてきっとハッタリだと判断したのもあるが、何よりアンドリューにはマイロに対する強い憎しみ・殺意が急激に芽生えていた。ゲームプレイヤーとして惚れた直後に打ちのめされ、自分の世界と大切なメリデュー卿をコケにされて。
アンドリューに引金を引かせるほどの殺意が生じたことは、マイロにとって誤算だった。
しかし警察は来た。(ワイク邸は分かりにくい場所だから迷って遅れちゃったのかな)
それに気づいたマイロは床から頭を起こして笑い、
Game, set and match!
と言った後、血を吐いて息絶える。
(ちなみに1幕の最後はアンドリューによるGame and set, I believe. )
警察がドアをノックしている。よろめきながらデスクへ向かうアンドリューはsailor人形のボタンを押してしまい、皮肉な笑いが響き渡る。弱々しく柱にもたれるアンドリュー。幕。
【映画(1972)】
郊外の古めかしいお屋敷。いかにもサスペンスドラマが展開されそうな。
庭に生垣で作った迷路があり、冒頭アンドリューはその真ん中のスペースに居るので、訪ねてきたマイロ(美容師という設定)は迷路を通り抜けて行かなければならない。いきなりアンドリューのゲームの世界に嵌められてしまう感じ。
その後移動した邸内のリビングには例のJolly Jack Tarをはじめ夥しい数のからくり人形やおもちゃ類ゲーム類が所狭しと置かれている。不気味だし悪趣味。
作者アントニー・シェーファー自身が脚本を担当しているだけあって全体的にほぼ元の戯曲どおりだが、終盤のアンドリューがマイロに "惚れる" くだりは無かったと思う。
ラスト、死ぬ間際のマイロがリモコンのボタンを押して、人形の笑い声と共に部屋じゅうのおもちゃが動き出し騒然とするのはなかなか印象的。マイロの精一杯の足掻きか。その中でひとり佇むアンドリューの虚しさ愚かさ憐れさが際立つ。
ここで、観劇時の感想を振り返る
実は、この映画版を視るまで私はマイロの意図について別の解釈をしていた。
「マイロは報復として、アンドリューから全てを剥ぎ取り破滅させるため彼を殺人犯にしてやった。自らの命を懸けて最大限の復讐と抗議をした。」と受け取っていたのだ。
命を捨てても構わないと思うほどマイロは現世に失望していた(出自や境遇のことを思って)のかもしれないし、あるいは只々アンドリューを打ち負かしたい意地のみで突っ走ってしまったのかもしれない、とも考えた。
かっきーマイロがとても挑発的に見えて、社会の理不尽やそれに迎合してしまう己の弱さに対する怒りとかも感じて、ラストの笑いが「ざまぁみろ俺の思惑どおりだ!」と言ってるように思われたからかなぁ。
鋼柿版は2度目の発砲が実弾だったのか空砲だったのか最後の最後まで分からない演出だったように記憶している(映画ではアンドリューが銃に弾をフル装填するところがハッキリ示される)し、かっきーマイロが「もうゲームはできませんよ…俺がやったあることのせいで」みたいなことを哀しく遣る瀬無さそうに言う様子からも、彼は事前準備のため忍び込んだ際に捨て身の覚悟でアンドリューの銃に実弾を込めておいたのではないか…空砲のつもりで撃ったアンドリューは実弾が出たことに唖然としたのではないか…なんてことまで想像してしまっていたのよ。
映画版を視た時に初めて、最後に撃たれたことはマイロにとって計算外だったのか!?と思ったんですよね。そう思ってみると戯曲を読み返してもそんな気がする。映画のマイロがよほど愕然とした顔をしていたのかなぁ。ラストの笑いの狂気が薄かった(かっきーと比べて)からかなぁ。
こういう噛み締め甲斐のある作品は面白い。
観劇時に感じたことは、それはそれとして大切に覚えておきたい☺️✨
【リメイク版映画(2007)】
うわっ!これはもう時代設定や演出の違いとかじゃなくて、ホンが違うのね。72年版は元の戯曲を映画用に整えたという感じだが、これはプロットだけ借りた別物。なるほど「リメイク版」。書いたのはハロルド・ピンターですって。
ワイク邸はデザイナー(?)の妻マギーによる前衛的な設計・内装・ハイテク設備の家。(この辺りを鋼柿版は少し取り入れた?)
ピエロ服とか着ない(マイロのお着替えナシ…逆に衣装でバカにされるのはアンドリューの方だ)し、テアのくだりは丸ごとカットされてるし、でもアンドリューがマイロに惚れて「一緒に暮らそう」と言うくだりは入ってた。舞台版を知らず72年の映画だけを視てた人は、ジュード・ロウがイケメンだからって唐突にこんな要素を入れてきた!と思ったかもね。そうそう、マイロは俳優(売れてない)という設定。
金曜の夜コテンパンにされたマイロにマギーは愛想を尽かし、どうやらアンドリューの家へ戻ろうとしているらしい…という情報が途中で盛り込まれる。
ラストに到着した車はマギーなのかな?…と思わせといて実はマイロが手配してた警察?うーんやっぱあれはマギーだなぁ。
だけどさぁ…最後に警察が、っていうのでもないとさぁ…アンドリュー完勝すぎない?
まぁでもマギーは財力目当てで戻ってくるだけだし、異様に無機質にあっけなくマイロを殺しGoodbye, darling.と呟くラストのアンドリュー(72年版でマイロを演じたマイケル・ケイン!)は酷く寂しい顔をしていた。決して勝者の顔ではなかったけど。
mindを愛し愛されることが叶わない哀しさ。愛を弄ばれたことが最大の屈辱だったんだろう。
mindは字幕では「心」になっていたけど、鋼柿版の台詞では「精神」だったね。そっちの方がいいと思う。noble mindsとか。
アンドリューはマイロに自分と同じwickedな性質を嗅ぎ取って、口説く。
You like games, don’t you? You like to be in charge of the game.
I like a man who was in charge of the things.
I like your mind.
You’re my kind of person.
I told you I liked your mind. It excited me.
I need intellectual excitement…intellectual stimulation.
で、I’m a rich man. と切り出す…
気に入ったものは所有したいんだなアンドリューは。
だからマギーも所有した。…ってことは、マギーも同類なのかな。それで結局アンドリューの所へ戻って来るのか。(そう言えばアンドリューがマギーを愛してたことは結構強めに表現されてた)
マイロはその列には入れないtotally respectable individual…まともな人なんだ。
マギーは帰ってきて、マイロの死体を見て慄きもせず、またアンドリューサイドの人間として生きていくのかもしれない。ふたりで敷地内のどこかに埋めるか何かして。たとえ警察に嗅ぎ付けられたってマギーが証言しなければバレない。マイロは夫妻によって闇へ葬り去られるのか。
やっぱ、ゲームはアンドリューの完勝だな。
再演希望!
ミステリーなので初見だからこその楽しみは勿論あるけれど、結末を知った後でもアンドリューvsマイロの対峙はスリリングに観れるし、それとシンクロした俳優ふたりの芝居合戦にもヒリヒリできる、そして咀嚼しがいもある、とても面白い作品だと思った。
他ペア妄想キャスティングが捗ったりもするが、鋼太郎さんアンドリューとかっきーマイロには是非また会いたい!会えますように!