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『相対的浮世絵』 その2

[Nov. 16]

ちょっと、ある思考を引き摺ったまま臨んだ…
My楽。

先日『カリギュラ 』を観たのです。(詳しい感想はまた別に)
『相対的浮世絵』前回までの観劇で、
「でも生きてる人間は、そこで立ち止まってはいられない。先へ歩いていかなければならない」
って考えていたところ…
「あゝそうか、これを受け容れられなくてあんなんなっちゃったのがカリギュラか」
と思ったのです。

カリギュラからはどうしても『教誨師』の高宮を連想してしまって。
佐伯牧師の「意味なんて無いんです。生きているから、生きるんです。」という言葉も脳裡に蘇ってきて。
そして、ふと思い浮かんでしまった。
高宮の最期の言葉が「月が欲しかった」だったら…
いろんな矛盾、意味なんてない、このろくでもない世の中を、もし自分が受け容れることができたなら!って、あの時震える声で吐露していたのだとしたら…
なんて。

生きている、私たちの、言い分。
智朗や関のラストの清々しさとか、カリギュラを葬り去った我々とか、佐伯の言葉とか、生きていかねばならない私たちにとってそれは "救い" で、オトナになって色々なことを容認しラクな考え方を覚え上手く生きられるようになっている私たちの、各々の孤独を慰めるための連帯感なのかな、 "生きるってそんなに悪いことじゃないよね" ってところに気持ちを持っていける材料で。

そんな思考を引き摺った状態で観た今日の『相対的浮世絵』は…
苦しかったなぁ。ずっと苦しかった。
死者たちの時はもう止まったままで。
想い出話をするしかなくて。
遠山の最大の記憶はあの火事のことで。(そりゃそうだ)
火事のことを話してくれてるのが嬉しい、楽しいって。
生きてる人に流れている時間と、死者にはそれが理解できない、その概念がないんだなって感じ。凄まじいくらいに感じてしまった。
決定的な違い・理解し合えなさ・溝・境界…とかって、この物語では生者と死者の間のことだけど、普通に人間どうしの間で言えることじゃん?ていうのは相変わらず思うよ。孤独。

死者の時が止まってしまっていることも残酷だけど、生者には否応なしに時が流れるということも残酷。

引き摺っている思考の流れで、冒頭から智朗と関の現実感…智朗が困惑してることとか、関の「ありのままを受け容れる主義だで」とかキッツイわーってなっちゃったよね。
遠山のあの明るさ、智朗たちに話し掛ける時には作っていたのか!?って思えて切なくて。
なんか分かんないけど智朗たちと昔と同じ空気で居られない・話せない、そのことに戸惑いを感じながら何とかしようとして明るく振る舞い、喋っていたのか…
初見の時とかはコメディ要素と思って笑えてた "死んでる人なのに" っていうネタの数々も、何だか苦しく感じられてしまった。

玲央さんの遠山の表情がホント苦しかった。
「逃げたな」とか「恨んどるよ」の言い方がソフトになってて震えた。
前回、野村との会話の中で感情を圧し殺してる表情!って感じたとこも今日は違って、そんなに表に出してなくて、何て言うか全体的により静かな表現になった…深いところでの表現になったような。だからこそ凄みさえ感じちゃうような。
遠山だけじゃなくて5人とも、言葉が、会話の空気が、表現しようとしてしてるのではなく出ちゃってる感じって言うのかな…すごくリアルに、よりググッと胸に迫ってくるようになってたと思う。

「もう、わちに会えんくてもいいの?」って…
死者にとっては本当にそれが唯一最大の関心事で。
でも生者にとっては違うんだよ。

遠山が頼み込んでる時、石田さん涙を溜めてた。その直後に関は生者の本音をぶつけた。

裏切られたという思い…辛かったんだな。
今度は裏切られなかった、という、その経験を得て、遠山たちは帰って行ける。

遠山と達朗が去って行った時、涙がこぼれてしまったよ。
「セッコ博士よ…じゃあな」って遠山は爽やかに微笑んでて。それに応える関の静かな表情や口調も堪らなくて。

引き摺って考えてること…
"何だかんだ生きていく" ということを、逞しいとか美しいとか人間らしいとか言って肯定していて果たして良いのだろうかってこと。
カリギュラのようではない限り、生きてる=クズなんじゃないだろうか。
自分のクズっぷりをもっと自覚しなければならないんじゃないか、そういうことを思い知るために演劇を観るのではないだろうか。

この作品をこんなハードな受け取り方するようになるとは思わなかったね😅

こんだけお芝居観てるけど、涙がこぼれたのは久しぶりかも。
何だろうね。どういう時に涙が出てくるかって言うと…"悲しい"とは違うんだよな…なんだろう…あれ?もしかして… "孤独"を感じた時なのかな。
決してマイナスな感情ではないんだけど、やっぱみんな"其々"だよね、そこんとこってどうしようもないよね、って思う時。
なのに、どうにかして繋がりたいと足掻くことを続けるんだよな、って思う時。

良い戯曲、良い座組み、良い芝居だったな。
出会えて良かった。

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