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涙のUFOキャッチャー

「キターっ」
「大韓航空ですよ、あの3 人」

テッちゃんが耳打ちする。

ある夜のこと、うちに居候していたテッちゃんが珍しく夕飯をご馳走してくれるというので、キングスクロスにある「韓日食堂」という韓国家庭料理店に来ていた。そこへ、ソウル・シドニー線の乗務を終えた大韓航空の客室乗務員たちが制服姿でご来店。テッちゃんの目論見通りといわけだ。

「さっ、行っちゃいますよー」 テッちゃんはいつの時でもチャレンジャーだった。 語学留学でシドニーに来たはいいが英語は全く身に付かず、韓国語のほうが上達はめざましかった。持ち前の愛嬌で初対面のスッチー3人にグイグイ押し込んでいくコミュニケーション能力は、見ていて感動的でさえあった。ナンパなどと言う下世話な言葉では表現できない天性の技。まるで人食い花が知らずのうちに開花し蝶を飲み込む。そんな匠の技に似ている。どんな技を駆使しているのか伺い知れないが、確実にテッちゃんのオーラは彼女達を包み込み始めているようだ。

しばらくして、テッちゃんは店主のオモニに何やら話しかけるとこちらに向かってウィンクした。

「ジュンさんオッケーですよ、あっちのテーブルに移動ね」

テッちゃんの差配でスッチー3人組の彼女たちのテーブル席へ移動することになった。飛び切り気持ち悪い笑顔でこちらに向かってウインクする店主のオモニ。みんなあっという間にテッちゃんワールドに惹き込まれていた。

それではあらためてー、と日本語で乾杯をしようとした時だった。

「あっ、あれっ」

スッチーのひとりがテーブル越しに身を乗り出して、ぼくの顔をマジマジと覗き込むとそう言った。

「もしかして玉井くん?」

えっ!?

アンニョンハセヨどころではない。ぼくも返す視線で彼女をプロファイリングするとある女の子にヒットした。なんと知っている日本人女性だったのだ。いいや、知っているどころでは無い。目の前にあるのは、あの伝説の女子高生「UFO キャッチャーのあけみちゃん」だった。


ぼくが学生だった1970年代にしばらく「スキー黄金時代」というのがあった。 スキーが上手いというだけでモテた時代。洒落た女の子達とやれ苗場だ志賀高原だと冬山遊びに大忙しな時代だ。

ぼくら硬派なサーファーたちは極寒の冬も海に向かうのだと強がったところで、流行りのスキーヤーたちにはまったく歯が立たない時代だった。言わば、やつらはネット裏の特等席で人気球団の野球の試合を見ているようなもの。第二内野席の2階で遠巻きに観戦するぼくらには、ファールも飛んできやしなかった。

そこでぼくらサーファーは考えた。それはスキー用品店でバイトしてなんちゃってスキーヤーに成りすますという作戦だ。当時の一大スキーブームの東京は、お茶の水や駿河台下界隈に数十店ものスキーショップが跋扈し、完全にスキーヤーの聖地と化していた。

シドニーで再会したスッチーとなったあけみちゃんは、当時ぼくがバイトしていたあるスキ ーショップのアイドルだった。

整った顔立ちに抜群のスタイルで、有名女子高に通うお嬢様。一応モデル事務所に所属していたが、芸能活動的なバイトは学校が禁止。しかもモデルという仕事で要求される「楽しくないのに笑う」ということが苦手だという理由もあり、スキー用品店でのバイトを優先していた。屈託の無いあけみちゃんの所作はまるで銀座の高級クラブのママ的であり、どこで学んだのか男あしらいは絶妙。バイト仲間のぼくらは当然だが社員さんからも絶大な人気を得ていた。

幸いな事にあけみちゃんは小洒落たスキーヤーより小汚いサーファーの方が好きだった。

ある日のバイト中のこと、あけみちゃんが話しかけてきた。「邪魔しないからわたしも来週から一緒に海に連れてって」と、ぼくのジーパンの後ろポケットを引っ張る。 んー、この所作がたまらん。

ぼくらはスキーショップのバイトが始まる午前 11 時までに戻るよう夜中に東京を出て、朝イチの千葉に波乗りに行っていたんけど、それから毎週末、成城学園前駅で「鶏のささみカツサンド」の入ったバスケットを抱えたあけみちゃんをピックアップして千葉の海へ行くようになっていた。

ある日のこと、「来週の金曜日あけみん家にご飯食べに来ない?」

ぼくら二人がそんな誘いを受けたのは、海に行くのが辛くなってきた冬の12 月も半ば頃だった。一緒に誘われた先輩の相沢くんは後ろを向いてガッツポーズだ。それを見て両手を口にあててクククっと笑う。あけみちゃんのこの所作が完全にぼくらをダメにする。

夕食ご招待の日、あけみちゃんはいつもの場所でぼくらの汚いステーションワゴンを待っていた。成城のお嬢様からご自宅で催される夕食のお誘いだ。ぼくと相沢くんと示し合わせてきちんとタートルネックのセーターにジャケットという出で立ちで行くことにしていた。そんな格好が馴染めない相沢くんは歩くと右手と右足が一緒に出てしまいそうだった。

「あっ、そこの左に『三船プロのスタジオ』があるでしょ、そこ曲がったらずーっと真っ直ぐね」  

「言っとくけど、うちは成城っていっても住所は調布市だからインチキな成城なの」 うふふっ、とあけみちゃん。んー、奥ゆかしい。

「あとね、とてもボロ家だから驚かないでね。」

いやー、奥ゆかしすぎ。この謙遜さがまた彼女らしい。他の子が言ったら完全に嫌みだ。

まもなく、あけみちゃん家へ到着。

洋風な邸宅をイメージしていたぼくと相沢くん。垣根に取り囲まれた「和風ハウス」風情にちょっとイメージギャップを感じた。

あけみちゃんの家はどちらかというといわゆる昭和の文化住宅という趣で「サザエさんの家」的といったら分かり易いかも。でも敷地は広く優に100坪はあっただろうか。電車が二列に連なっているような長屋風情の平屋が二棟並んでいた。

ぼくらは手前の垣根に沿って車を停めて玄関に入った。 「ねっ、驚いたでしょ」とあけみちゃん。 「うちは奥の建物が工場になってるの」 「職人さんとか、人がたくさんいるから驚かないでね」

おもしれーなぁ、と相沢くん。ぼくも、面白いことになってきたと思った。

案内された畳二十帖くらいの部屋には低い食卓机が3台くっ付けてあり10 人くらいの人たちが食事中だった。部屋の奥には平行して別の廊下が あり庭の手前が縁側になっている。田舎の大家族が食事するあの風景に似てる。もっと分かりやすく言えばサザエさんの家で、寺内貫太郎一家を収録しているみたいなスタジオセットの感じだ。

ぼくらは、左奥の空いているスペースに促された。

目の前には、ベージュの作業着を羽織ったおばちゃんたちが鎮座してこち らをチラッと見ると、軽く会釈した。その横の作業着おじさんたちも「ど ーも」ってな感じでこちらに視線を投げた。

「あっ、工場のあばちゃんとおじちゃんたちね」と、あけみちゃん。

「もー、おとうさん挨拶ぐらいしてよ、この前話してた玉井さんに相沢さん」

すると、同じベージュの作業着を着たおじさんたちの中で一番メタボなおじさんが、鶏のささみカツを頬張りながら立ち上がって「父です」と恥ずかしそうにぼくらに頭を下げた。こちらも会釈する。おとうさんは基本シャイで無口ならしい。

「おかあさん、こっち来てよー」と、廊下の奥に呼びかける。

大量の餃子を乗せた大皿を抱えて、見た目「菅井きん」にソックリのおばさんが部屋に入ってきた。

「どうも、あけみの母です。いつもご迷惑かけてすみません」と菅井きんは同じくベージュの作業着姿だ。

この菅井きんとメタボなハゲ親父との間にどーやったらあけみちゃんのような容姿端麗な娘が生まれてくるのか?謎だ。

「ほらほら良夫、仏頂面してないで挨拶しなさい。おーはーし、置いてっ」

と、菅井きんがおとうさんの向いに座っていた中学生くらいの男の子の頭をぽんと叩くと、彼は上目遣いにこちらを見てちょこっと頭を下げた。

一応弟だけど、「よぴおくんはもらいっ子なの」

えっ。

サラッと話すが、いきなりディープな衝撃の事実が暴露。

戸惑うぼくらをよそに、淡々とした空気の中その言葉が凍りつくこともなく夕食時は流れて行く。もらいっ子のよぴおくんは何事もなかったかのように、ささみカツを頬張る。おとうさんは黙って餃子のたれを調合している。おかあさんは次の餃子を焼きに台所へ。 何事もなかったかのように。

「工場のおばちゃんたちも、みんな事情があるんだもんねー」

ククっと笑うとあけみちゃんは工場のおばちゃんたちとハイタッチ。 この明るさのわけがわからない。と、そこへ縁側の廊下のふすまから煌びやかな女性が、いたずらっ子のようにちょこっと顔を出した。

あれ、お姉ちゃんよ。

「おーっ、かっこいい青年たちよゆっくりしてってくれ給え」

指先を右こめかみに当ててぼくらに向かって敬礼するお姉ちゃん。

「あっ、ささみカツ残しといてよねー、おにいちゃんに馬鹿食いされちゃうからさぁ」

「行ってきまーす、皆さんごゆっくりー」

と言い放つと、踵を返して廊下を走り去って行った。 ふぅーん、お兄さんもいるのか。

「あっ、それあけみのバッグ。ダメーっ、おねえちゃんってばー」

突然立ち上がったかと思うと、廊下を玄関に向かって走り去る姉を追いかけるあけみちゃん。玄関先で喧嘩が始まったのがわかる。自由すぎるあけみちゃんファミリー&工員たちに面食らったぼくら。

成城のお嬢様と推察してあけみちゃんの家は 「ぬいぐるみの制作工房」だった。あの UFO キャッチャーのケースに入っているぬいぐるみたちを作っている、家内制手工業の娘。それがあけみちゃんだった。そして、見事なまでの「東京の下町風情」がこの家にはあった。

ぼくも相沢先輩も、あけみちゃんへの好感度はさらにアップした。

よぴおくんは「もらいっ子」としてあけみちゃんファミリーに来てよかったと語り始め、将来はヘリコプターの操縦士になりたいんだと、アツい思いを相沢先輩にぶつける。

あけみちゃんは工員のおじちゃんの一人と「きりたんぽ」は美味いかマズいかで言い争っている。

ぼくはというと、おかあさんと台所で餃子を焼いては食卓に運ぶ作業を繰り返した。

しばらくして、おとうさんが「鬼太郎のおやじ」をやっつけなきゃと言い残して中座し工場に戻った。作りかけの目玉のオヤジがあったらしい。続いて、もう餃子は食えないなぁと言い残して、つるっ禿げの工員のおじさんが席を立ち一緒に戻って行った。おもしれーっ。

ほんわかとした不思議な楽しい夜。

帰りしなにぼくらはUFOキャッチャーの景品、ドでかい「ドラえもん」と「ドラミちゃん」を持って来た。プレゼントしてくれるようだ。ぼくはドラミちゃんが欲しかったが「玉井くんはこっち」と言ってドラえもんを持たされた。

ぼくは、あけみちゃんは相沢先輩が好きに違いないと思った。

年が明けると、あけみちゃんと相沢先輩は付き合い始めた。そして、3月の高校卒業後に本格的にモデルの仕事をすると決めたといい、あけみちゃんはスキーショップのアルバイトを辞めた。相沢先輩も「いつまでもバイトのプーじゃしょうがねーからな」と、しばらくすると西新宿の高層ビルにある怪しい英会話教材の訪問販売会社に就職した。波乗りからも遠ざかって千葉の海でも見かけなくなり、やがてぼくとも疎遠になっていった。

ぼくはめでたく留年が決まり4月からまたへなちょこな大学生を続けることとなった。


「ジュンさん、JINRO ストレートでいっちゃって下さいよ」

テッちゃんは泥酔した店主のオモニ、2人のコリアンスッチーとJINROとマッコリを交互に煽っていた。ここはシドニーか?とは思えないほど、店内は完全にソウルの居酒屋と化していた。

10 年ぶりに再会したあけみちゃん。話したい事、訊きたいことが山ほどあったが、なんとなく話あぐねてそりをマッコリと一緒に飲み込んでしまっていた。次々とJINRO のボトルが空き、店主のオモニがヘベレケになってしてしまったので、お開きとすることになった。年長でリーダー役のコリアンスッチーの提案で「ホテルのバーで飲み直そう」ということになり、ぼくら 5 人は彼女たちの滞在するハイアットホテルに向かうことにした。

テッちゃんはデタラメな「カスマプゲ」を大声で歌っていた。そして2人のコリアン美女に両脇を抱えられ、キングスクロスの歓楽街に向かうオックスフォードストリートの橋をフラフラ歩いている。まるでアゲハチョウに誘われるままに自らの蜘蛛の巣に絡まってしまった毒蜘蛛のようだ。

その後を歩くぼくとあけみちゃん。 しばらく無言で 2 人の空気感を楽しむ。

そしてぼくは切り出した。

「しかしあけみちゃんがコリアンエアラインのスッチーになってたなんてね。しかもここで再開するなんてありえないよなー」

ほんと、ほんと

「それでさぁ、あの後どうなったの」

ぼくはずーっと気になっていたことを訊いてみた。

なにが?

「ほら、付き合ってた相沢先輩とはどうなったの?」

あー、懐かしいわね。何だったかへんな事でこじれて別れちゃったのよね。

訝しそうに下を向いたままあけみちゃんはそう応えた。ぼくは、当時だれもが羨む美男美女のカップルだったことに嫉妬していた事や、相沢先輩が波乗りを止めた事をみんなで咎め、そして、二人は結婚するんだろうなぁと誰もが思っていた事、などなどを思い出しては話したりした。

すると、あけみちゃんが突然立ち止まった。

「実はね、私ももらいっ子だったって話をしたの」

えっ?

「ほら、玉井くんも驚いたでしょ」

頭の中がぐるぐる回る
ぐるぐる、ぐるぐる

「ねぇ、UFO キャッチャーしに行こーか」

頭の中がぐるぐる回る
ぐるぐる、ぐるぐる

あけみちゃんはぼくの手を引っ張ると、ゲームセンターに行こうよと、キングスクロスの雑踏に向かって走りはじめた。

頭の中がぐるぐる回る
ぐるぐる、ぐるぐる

ぼくは手を離して立ち止まり、雑踏の中を走っていくあけみちゃんから目を逸らして、空を見上げて大きくため息をついた。

#創作大賞2024


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