肺がん末期の父と会った

よく来たな、という父になんとか笑顔を返して、部屋の中に入った。殺風景な部屋の中を見て、また父と目があったら、もうダメだった。

自分でも、びっくりするぐらい、声を上げて、泣いた。会いたかった、会いたかったと何度も言ってしまった。止められなかった。
父も目に涙を浮かべていた。
互いに「ありがとう」と言い合った。

ひとしきり泣いて、息を吐いて。
座って。少し話をした。

父は想像より、元気だった。
歩いていたし、喋れたし、寝たきりではなかった。

私は、息子の動画を見せた。
午前中に行われた、延期されていたクリスマス会。終わったその足で、空港に行った。
辿々しく、自己紹介する息子。「人見知りなのか」と父は笑う。父に会ったとき、息子は珍しく、すぐ懐いたので想像できなかったのだろう。
クリスマス会での1番の笑顔は、「これで劇を終わります」と聞いた瞬間に、ぴょんぴょん嬉しそうにはねたとき。終わった!!と嬉しそうだった。
「初めて、保育園の行事で泣かなかったの。いつもは、ママママって、行事にならなかったんだよ」そうか、と父はおじいちゃんの顔。

しばらくして、父はポツリと話す。
「医者は、あとどのくらいとかは教えてくれんのよ」
「入院の話とかばっかりでな」
「年末は便秘で死ぬ思いをしながら年越しをしたよ」

ポツリ。ポツリ。母と頷きながら聞く。

部屋の中には、私が送った息子の写真や、こどものころ書いた手紙が貼ってあった。押し入れを祭壇のようにして、父の母の位牌や、古い写真も。私の成人式、私の結婚式、結婚式で父に渡したお酒の箱。母と3人で、サファリパークで撮った写真。写真の私は、ライオンのこどもを抱いている。
こんなにも、大切にしてくれていたのかと、いちいち涙が込み上げる。

「お前は、何歳になるんだっけか」34だよ
「そんなにか!俺も歳をとるわけやな」
本気で驚いている。お母さんは変わらんな、とポツリ。

父は一度、壁に貼ってある紙に手を伸ばす。
何かを言おうとしてやめる。
しばらく、ここにある服は捨ててくれ、書類も全部いらない、とか事務的なことを、母と話したりして。
また、その紙に手を伸ばす。決したように言う。

「●●っていう会社があってな、散骨をしとるんよ。できたら、最後はここにお願いしてほしい」
「一回問い合わせたけど、申し込みは死んだ後だからと言われてな」
「できれば、海に散骨してほしい」

唯一の、お願いだったと思う。

「最後にご飯を食べよう」
たくさんの薬を飲んで父がいう。
きっと痛くて、外出どころじゃないと思ってたので、驚いた。
「大丈夫なの?」
「車やろ?平気平気」

行き先はロイヤルホスト。
子供のころから大好きなそこは、家族最後の思い出の店にもなるようだ。

父の家を出て、涙がまた止まらない。並んで歩く父の顔が見られない。また泣きそうだったから。

父はハンバーグを半分だけ食べた。
話は、私のこどものころの習い事とか、よく食べた店が無くなった話とか。

「お前が、いくのだ!ってメールしたときは、俺の子だなあっ思ったよ」
「仕事は忙しいのか」
「今日は、●くんがみてくれとるんか」

これが最後なのだろうか。

「明日帰るけど、また午前中立ち寄るね」
そうか、ありがとうと、父は笑った。

最後まで見送る父。もう、涙でぐちゃぐちゃの私。

会えてよかった。会えてよかった。生きてるうちに、会えて、本当によかった。それしか、言えない。

できれば、もっと生きてほしいけど、それは言葉にできない。叶わない願いだから。

ホテルに向かう帰り道、私は父の言っていた散骨会社にメールを送る。父の希望を叶えたい。法律上、家族ではない私にできることは、それしかない。

意外にほんの数分で、返事がきた。
私たちの事情に寄り添ってくれた。
また、泣いた。ああ、どうして。
父の死へのカウントダウンと向き合う作業で、人の温かさに触れる。涙が止まらない。

この記事も、泣きながら書いている。
もうずっと泣いて、頭が痛い。
明日は、笑って父に会えるだろうか。

そうだ、ひとつ父にお願いしたんだ。
パパの好きな本を知りたい、って。
どんな本だろう、考えてくれるかな。
また明日、会えるね。