第3回THE NEW COOL NOTER賞エッセイ部門~8/23講評
第3回THE NEW COOL NOTER賞エッセイ部門へご参加いただいている皆様。
8月エッセイ部門への応募について、本日は一奥より3つ講評を掲載させていただきます。
また、9月部門の募集が始まっています!
9月部門の理念や考え方、どんな記事にご応募いただきたいか、みこちゃんより寄稿がありましたので、こちらも御覧ください。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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<講評>
「成人式」と言うと、いまやバカな若者像を写そうとするマスメディアが流した固定観念的なイメージが強くなってしまったが、「元服」となると、またそこに古風な、しかし確かに大切な、私達の血と歴史の底流に流れるなにがしかの感覚を惹起するものである。
男子、十代にして弱冠す。
冠をかぶることは、家庭を出て社会と対峙し、それまで自身を覆っていた内なる世界から外なる世界へと歩み出ていくことである。
その中で、己の立ち位置をどこに定めるか、己という存在がどのようなものであるかを、場所と人との邂逅の中で確かめる。
あるいは人生の、そのひとときであったとしても、そのひとときの「師弟」関係はその後の人生一生に大きな影響を与えるものとなる。
このエッセイでは、そうした清々しさが、母親の目を通して、耳を通して見聞きされた、17歳の少年の感性から描き出されている。
矢嶋さん、このたびは素敵なエッセイで、ご参加ありがとうございました。
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<講評>
当たり前のように過ごしていた日々と、当たり前のように「通過」してきた景色は、私達の日常生活を成している。
私達は、常に日々の周囲の五感の変化に気づくわけではないが――その大きな変化を感じる機会があるとすれば、それが季節や天気であろう。
「雨の匂い」と呼ばれる、ちょっとすえたにおいもまたその一つ。
細分化すれば、五感もまたそうした気付きにおける優位があるように見える。たとえば、目で見て耳で聞いたものばかり私達は自身の体験として記憶し、あるいは思い出して語りがちであるが――実は、記憶や感情、場所の思い出や喧騒の追憶などは、音だけではなくにおいや、そして触覚と共に思い出されることもまた多いものであると感じる。
今我が国を揺るがせている、かの感染症は、人々の生活を大いに変えてしまった。その社会単位、地域単位で変えられた生活スタイルが――日常の、いうなれば日々の周囲の環境にフィードバックされて、それが五感の感じ方を大きく変化させた。
そんな、アンチアスファルトマンさんの気付きは、何気ないと感じていた日常と、社会と、そして私達の身体感覚の、遠くて近い関係性を強く感じさせるものである。
アンチアスファルトマンさん、このたびは大切な気付き、ありがとうございました。
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<講評>
あの日あの時のあの時間と、
この日この時のこの時間との間に、どれほどの差があろうか。
時代が変わり、技術が変わり、社会が変わったようでいて、しかし人間は変わらない。今その瞬間を生きて、そしてできる限りのことを精一杯、日常を生きてきた人達がいた。
しかしそれが一瞬にして、一夜にして一変する瞬間というものが訪れる。
かの日かの時刻もまた、そういうものであったのだろう。
風化しつつも、しかし風化しているようで、風化せずに残り続けるものがある。伝えられ、伝わり続けるものがある。
教条的な聖域とするでもなく、またその聖域化への懐疑的な反発の象徴のやり玉とするでもなく、私達が今を生きているからこそ、その対比の中で時空を越えて思いを馳せるべきものがある。
そういうことを忘れてはならない。
そういうことを思い起こさせてくれるエッセイを、ゆくんさん、ありがとうございます。
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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。
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他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。
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