第3回THE NEW COOL NOTER賞始まる世界部門~10/19講評
第3回THE NEW COOL NOTER賞「始まる世界」部門へご参加いただいている皆様。
11月部門、ただいま募集しております。
自己紹介や、自己PR、よいと思うものの宣伝などが対象です。どうぞ、ふるってご応募ください!
本日は3つの応募記事へ審査委員それぞれからの講評を掲載させていただきます。ぜひ、楽しんでいってください。
(本日の講評者)
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<講評(みこザウルス)>
世の中には、「なぜ」を問うことをきいじられた言葉がある。例えば子供に「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたときに、親はどう反応するだろうか。
「自分が殺されたら嫌でしょう。だったらしてはいけないよ」こう説明するのはまだいいほうだ。
「この子はなんて恐ろしいことを言い出すの。今日帰ってきたらお父さんに叱ってもらいますからね」
こういう家も多いだろう。
HIKARIsanpoさんの場合には「人に迷惑をかけていはいけません。」という言葉がそれでした。HIKARIsanpoさんは、おそらくわずかに疑問を持ちつつもそれを問うことができない雰囲気の中で人格形成をしてきて、その考え方にかなり支配されていることを自覚されています。
一方で息子さんは正反対。
中学生の息子は私とは正反対で、小さい頃から、嫌な事をなぜしないといけないのか!と私に言って来るような子です。
お父様から明確に「なぜ人に迷惑をかけてはいけないのか」の理由を聞いてこなかった、というよりそもそもその問を発することができなかったHIKARIsanpoさんは、息子さんに一生懸命「嫌な事でも決められた事はしなくてはいけない。みんなやってる事を自分だけしない事は許されない。」といった言葉をかけてきました。
ところが息子さんの「なぜ」という問いは収まりませんでした。
『人に迷惑をかけてはいけない』の呪縛は、誰かが迷惑をかけている事をしていると判断すると、人を攻撃的にするのです。
これは、『人に迷惑をかけてはいけない』の呪縛に限らないでしょう。例えばマスクをしなくても距離が2メートル以上空いている場合はコロナウイルスが飛散することはない、という医者もいます。それを信じている人はマスクをしていないこともある。でも、マスクをしている人はマスクをしていない人にとても攻撃的になりますよね。
つまり、事の本質は「とい」に正確に自分が答えられないので、しょうがなく我慢しているというフラストレーションにありそうです。
おそらくお父様も、お父様のお母様から同じく、『人に迷惑をかけてはいけない』と言われて、それに対して「とう」ことを禁じられてきたのだと思います。だから、それをどうどうとしている人、禁忌をどうどうと犯している人に我慢がならない。
これは、世の中のあらゆることに当てはまりそうです。
HIKARIsanpoさんは結局このような考え方に至りました。
変わるのは息子ではない。
変わるのは私だと決めた時から、今までとは違った見方が増えていきました。
ルールに従わない、「とい」をしてはいけないのに、ルールそのものを疑うような「とい」かけをしてくる。その時大抵の人は、自分自身が侮辱されたように感じるでしょう。これは冷静に見ればとてもおかしなことなのですが、自分が信じて守ってきたことをバカにされた用に感じるのかもしれません。
HIKARIsanpoさんは、そうならなかった。
その時最終的に訪れたのはこんな感覚でした。
おばあちゃん、ありがとう。
私はここで手放します。
きっとここから新しい世界が始まると思います。
息子さんが「どうして学校に行かなくちゃいけないんだ」と問いかけてきたら……
「お母さんもわからない、なんでだと思う?」
HIKARIsanpoさんが今度は息子さんに「とい」を投げかけてみたらどうなるのかな……。
そんな想像をしました。
生きていくのに本当に必要なのは、答えではないとみこちゃんは思います。
答えを探すこと。
だれも疑問に思わなかったことに疑問を持つこと。
そこからしか新しい世界は始まらない。
答えはそれぞれ違うかもしれない。
でもその正解がない世界というのは、きっと自由で生きやすい世界なのではないのかなと思いました。
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<講評(これでも母さん)>
やっとこの場所(note)に戻って来ました。
やっと?
確認したら前回のnoteからほぼ二週間ぶりの書き出しです。
のーこさんに、いったい何があったのでしょう?
何言ってんの!タイトル読めば分かるでしょ!
あっ、ほんまや💦 ←くだらない一人コント終了☺
小さなくすっの後は、
ひたすらのーこさんの怒涛の踏ん張りを見て下さい!
笑う余裕などひとつもない、
掛け替えのない命を守る為に必死な日々です!!
9月中旬、のーこさんの娘さんは会社でウィルス感染者が多数出ていることを知らされず、10日ぶりに出社して罹ってしまいました。
のーこさんと1歳のお孫さんは濃厚接触者となり、外出自粛の生活を最短で10日間も送ることになってしまいました。
娘さんにとっても、のーこさんにとっても、凄くショックな出来事。
娘さんからの「陽性だった。ごめん」の電話には切なくなりました。
ご自身も罹患して辛いのに「ごめん」だなんて、、、😢
「そんなこと言わなくて大丈夫だから、気にしないで早く治りますように」って、思わず声を掛けたくなってしまいました。
当時は感染状況が凄く増えていた時期でした。
これだけ感染が拡大してしまったら、どこで罹患しても不思議ではないと覚悟していた時期でもありました。
日本だけでなく世界中で流行っているこの病は、
小さなお子さんがいる家庭にも土足で踏み込んできて
ささやかな日常をことごとく壊してきました。
娘さんが罹患した以上、悲しんでいる暇などありません。
頭を切り替えて、「家族全員が罹患してなくてよかった」と思って頑張るしかないのです😢
罹患した娘さんがネットで必要な物を注文してくれたり、のーこさん自身も除菌がしやすいように準備したり、お互いに罹患しないように徹底的に気を遣われた部分には、
『何が何でも、ウィルスから子どもを守る!』
というお二人の強い意志を感じました。
除菌グッズを使い、食事は紙皿や紙コップを使い、使用後はビニール袋に入れて部屋のごみに捨てるなどきめ細かい防御策は役に立ったと思います。
あの屈強なウィルスが1歳の子供を襲ったら、、、考えただけで身震いがします。宣言が解除された今も苦しんでいる方々がいます。治療後の後遺症が残ってる方も大勢いらっしゃるほど、大変な病なのです。
次女さんからの食料品の差し入れがあって、本当に良かったと胸をなでおろしました。食べることは生きることですから重要です!!
翌日から入院した娘さんのことも勿論心配ですが、目の前のお孫さんの為にのーこさんにはやらなくてはならないミッションが沢山ありました。
朝食の準備をしてお孫さんを起こし、着替えさせて、食べさせて、台所を片づけて、洗濯物を回しながら遊んで、洗濯物を干した頃には昼食の用意をしなきゃいけなくて、、、と少し書いただけでも重労働な1歳児の育児が待ってます。
しかも、「ちょっと待っててね」が通じるか通じないかの境目ぐらいのお孫さんは、ちょうど目が離せない時期の真っ最中でもありました。
幼いお孫さんを守ろうと頑張りながらも、やはりどこか心細い気持ちがあったと思います。
そんないっぱいいっぱいで余裕が持てない時に届いた、周りの方々からの思いがけない優しさの数々。
それらは、どれだけのーこさんの心を救い、勇気づけてくれた事でしょう。
夜泣きで短時間しか眠れなかった翌朝、お孫さんの顔を見て泣いてしまった部分や、保健所の方の優しいアドバイスに泣いてしまった場面、のーこさんのお友達が心配して差し入れをして下さっての涙、note友さんからのスキやコメントでの涙。涙のオンパレードに読んでいた私も抑えられなくて泣いてしまいました。
泣くことは感情デトックスのひとつ。
我慢せずに泣くことを日頃からお勧めしている私は、のーこさんの涙もきっと辛さや心細さを吐き出す為に必要だったと信じています。
無理に溜め込んでは心身共に病んでしまいますよね。
次女さんのサポートや、リアルなお友達からの差し入れだけでなく、
のーこさんに寄せられたnote友さんからのスキとコメントに
私までが感動してうるうるしました。
リアルの世界もnoteの世界も、優しくて温かい繋がりがありますね💖
温かい繋がりがあるからこそ、安心して人に優しくすることも受け取る事もできるんだなって思いました。
のーこさんも娘さんもお孫さんも大変でしたね😢
本当にお疲れさまでした!
追記で出勤が再開された事や、コメント等で娘さんの退院を知ってほっとしました。
のーこさんが伝えて下さった『始まる世界』、
まわりの方々との優しい繋がりに感動しました。
ご応募ありがとうございました!
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<講評(Norikoさん)>
発達障害だけでなく
障害や難病と言われる方と毎日関わって
もう3年以上になります。
福祉の世界にいると
障害って事自体が空気の様に
そこにあって
もう違和感も特別感も何も無いのです。
でも一歩ドアを開けると
そこにはたくさんのカテゴリー分けがされていて、ラベリングされている世界があります。
そこにはステレオタイプの様な考え方もあって
男は強くなければならない
女性は料理が得意で子どもに優しくなければならないとか…・。
アメリカ人なら、
朝からビッグバーガーを頬張って、
腹がぽっこりと突き出ていて
フライドポテトにはベタベタとケチャプを垂らして、デカイコーラを飲んでなきゃいけないでしょうし、
日本人なら背が小さくて眼鏡をかけていて、何かといえばsorry sorryと言い
首からカメラをぶら下げて、何の荷物が入るのか分からないくらい小さなバックを持っていなければならないのでしょうね。
それって本当でしょうか。
私はかなり世界を見て回りましたが
確かにそんな人も居たけれど
全く違う人達も沢山たくさん居ました。
結局それは単なるイメージでしかありませんでした。
障害も同じです。
何か犯罪等があった時
精神障害で精神鑑定中です、とか
よくニュースで言いますよね。
それだけ聞いてると
『やばいやつじゃん』でしか無いのです。
でもそれって本当でしょうか。
そもそも人を傷付けると言う行為が
人としての倫理を逸脱していて
だから弁護する側は精神を鑑定して欲しいと
そう主張しているだけでは無いでしょうか。
私も双極やりましたし
リストカットもしましたけれど
だから今、私が何らかの犯罪を犯したとして
それを理由として言われるのであれば
全く見当違いも甚だしい事です。
それって先程のアメリカ人と日本人のイメージと全く同じで
ごくごく一部のイメージだけで
全体のカテゴリーの人を見て
ラベリングしているだけに過ぎません。
私たちは男性、女性と言う前に
名前があります.
発達障害
精神障害
私だったらパニック障害と言う前に
それぞれの名前があるのですから
そもそもとして一緒にされては困るのです。
個人として見てもらう必要があるのです。
あゆさんは個人として
これだ!と思われたプロジェクトに参加されます。
そこでかんちゃんと言う、かけがえの無い方と出逢い、多くの人と繋がる楽しみ、有意義さと大切さを感じられていきます.
あれよあれよという間に話が進み、Twitterのスペース機能を用いたおしゃべりの場【あゆかんスペース】を一緒に始めることになった。
あゆさんと
かんちゃんは病気を超えて
一緒に活動を始められたのです。
ふらりと寄ったカフェに、神経難病のカンちゃんと発達障害の私が居て、コーヒーを飲みながらまったりお喋りをするような、そんな時間をいろんな方々とご一緒できたら…
そんな思いでやっている。
あぁ、何ていいカフェなんだろうって思いました。
そこには
神経難病でなく
発達障害でなく
かんちゃんとあゆさんがいるんです。
そこでは病気の話も障害の話も
たわいも無い夫婦の事も
時には笑っちゃうような話も
何でもござれ♪なカフェなのです。
病院のカウンセリングとは違って
人が集まって
自らが話をしたくなるような
そんな場所なのです。
そこにはカテゴリーもなく
もちろんラベリングも無いのですから
みんな個人を生きる事が出来ます。
初めは誰もが1人です。
あゆさんも一歩を踏み出した時は
ドアの向こうに戸惑いや不安が沢山あった事だと思います。
それでも勇気を出して進まれた結果が
今だと思います。
福祉の世界にいる私としては
あゆかんスペースの様な活動を
日本中で活発に行いたいと思っています。
だってそれって本当に楽しそうで
ニーズも多い事だと知っているからです。
障害のある方だけでなく
支援する方としても
強い勇気をもらった作品でした。
障害の有無に関わらず
魅力的な人は沢山います。
あゆさんに続けるように
この世界にいる
かんちゃんのような魅力あふれる人を見つけて
私もどんどん発信していけたらと思いました。
今後もTwitterのカフェが賑やかでありますことを祈っております。
ご応募ありがとうございました😊
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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。
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◆応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。