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第3回THE NEW COOL NOTER賞始まる世界部門~10/17講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞「始まる世界」部門へご参加いただいている皆様。

本日は3つの応募記事へ審査委員それぞれからの講評を掲載させていただきます。ぜひ、楽しんでいってください。

(本日の講評者)

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<講評(みこちゃん)>

律義にするべきことをきちんとしていくのがkakiemonさん。

そんなkakiemonさんは、嫁ぎ先でのストレスなどが原因で「うつ」になり、大事故を起こしてしまいます。まだ乳幼児の幼子のことを考えると、子供を手放して家を出るという選択肢もなく、kakiemonさんは次第にうつに取り込まれていきました。

そんなkakiemonさんが、そのつらい状況をなんとかするために手に入れた一つの方法があります。

「もしも、自分が悪いとしたら・・・」
感情を取り乱すでもなく、「仮に」と置き換え、独りっきりの部屋で落ち着き考えてみることにしたのだ。

さまざまな困難にたいして「仮に」と置き換えて考えると、冷静に第三者が見ているように、驚くほどに自分のことを分析できた、とのことです。


客観的に自分の置かれた状況を見ようと思っても、人はなかなかそれを実行することができない。客観的に見ようとして、自分を見つめ直せば直すほど、自分の現在の境遇、その不幸が増幅されて精神的に耐えられなくなる。これは考えてみれば当たり前のことですよね。

現代社会では「客観的に見る」とか「数値で把握する」「専門家の意見を聞く」ということが、もてはやされる傾向にあります。言い換えればそれらは強靭な精神力で「自分を冷静に現実を見ること」ということになるのでしょう。だからこそ、ここに一つの大きな落とし穴が控えているのです。

客観的に自分を見れない、数値で置き換えられない、専門家の意見にどうも疑問を感じる。これらはすべて、強靭な精神力のないだめな人間の特徴である、と現実を把握しようと近づいたにも関わらず、かえって現実から冷たく拒絶されるということになるわけですね。
そして現実に拒絶されたのは、やっぱり自分が悪いからだと思いつめてしまう。

そんな人達にさんはkakiemonはこういいます。

もし、苦しんでいらっしゃる方がいらしたら、試しに「仮に」と置き換えて考えてみてはどうでしょう。抜け出すヒントが見えてくるかもしれませんよ。自分を責めることはありません。置き換えるだけです。

「仮に」というのは「もしも〇〇であったなら」の世界ですね。
この世の中の現実とは違うもう一つの現実があるとしたら、と考えることです。高校の時古文でやった「反実仮想」や英文法で教わった「仮定法過去」と同じですね。

普段私達がやろうと時々頑張っている「もし自分が相手の立場だとしたら」というのも、これと同じです。
でも、これはきっと、相手に合わせてしまうとか、自分は人の気持ちがわからないとか、そういったネガティブな感情にも結びやすい危険な思考実験でもあります。

kakiemonさんの仰るのは、少し違っています。
自分自身の今のこのつらすぎる現実とは違う、ありえたかもしれない人生なども含んで現実を相対化するということのように、みこちゃんには思えます。

空想ではないのです。
そして過去を悔やむことでもないし、自分を殺して相手に合わせようとすることでもない。

今の自分を客観視するのではなくて、今の自分をあり得たかもしれない複数の人生の中のひとつを歩んでいる、そう考えることだとみこちゃんはkakiemonさんの仰ることを理解しました。

たしかにそう考えると、たくさんのありえた世界の中の一つを自分は生きているんだと、自分の人生が相対化されますよね。
自分が相対化されるということは、自分の苦しみもまた相対化されることです。

客観的にみようと自分を追い詰めることは、自分の不幸を絶対的に逃れられないものとして、どんどん確定していくことにもなりかねません。

kakiemonさんの方法は、つらすぎる現実をいったん脇において、自分自身を自分の不幸を相対化して冷静になる一番良い方法なのではないかと思えました。

世界は複数ある。現実も多元的だ。
ならば、自分の可能性も、こうでありえたというだけではなく、こうでありえるという未来の方向にポジティブに見えてくるかもしれない。

それがきっと「始まる世界」なのでしょう。
大切なことを気が付かせてくれてありがとうございました。

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<講評(これでも母さん)>

教室の黒板の画像と
『クラスにひとつ、ぽつんと空いた机。』

という書き出し。
まるでサイレント映画の始まりのような、
静寂な場面からお話は始まります。

中学2年の3学期は、受験生になる直前の不安さがスタートする時期。
誰もが高校進学を意識せざるを得なくなり、
学校に居られるリミットを感じて焦る時期でもあります。

ぽつんと空いていたのは、riraさんのお子さんの机。
そう、riraさんのお子さんは学校に行けなくなっていました。

始まりは「体調が悪いだけ」で遅刻して登校してたそうです。
娘さんの様子を読んで、はっと気づきます。
息子が不登校になった中1の7月頃の朝と同じ状況でした。

娘さんは、もともと「よく喋って友達もたくさんいる子」で、
クラスでも部活でも活発だったんだろうなぁと容易に想像できました。
なんの問題もなさそうなお子さんがなぜ?
riraさんもきっと同じように納得できない想いだったのかもしれません。

どんなに傍目からは笑顔が多いお子さんでも、
心まで笑顔かどうかなんて本人にしか分かりません。
どれだけ心や体が疲弊しているのか、何を思って、何が辛いのか、
本当のところはお子さん本人ですら把握できていないかもしれません。
親ですら、いくら理解したいと願っても完全に理解することはできません。

お子さんが日々のタスクをこなすだけで精一杯な様子がうかがえて、
スマホでのSNS(友達とのやりとり)で疲れてるのが分かっても、
声を掛けると、「うるさい」、「知らない」という返事がかえってくると、
riraさんは為すすべが見つからなくて、お辛かったと思います😢

中学校にいる間やSNSでの絆の強い人間関係は親も介入するのは難しいですね。
「友達想いのいい子」ほど、家では疲れを癒したくて、余裕がなくて親にぶっきらぼうになってしまうんじゃないかなとも感じました。

「いい子」じゃなくても許されるのは親の前だけ😢

お子さんのことを思うと、ちょっと切なくなりますね。

学校に行くのが当たり前。という昔からの考えが大前提の学校とriraさん達のサポートが始まりました。

ここでriraさんは学校を「プログラム(システムを動かす為の処理の手順)」と表し、お子さんの状況をバグ(注:コンピュータプログラムの誤りや欠陥のこと。語源は英語の「虫」)と表現されています。

学校という予め決められたシステム(プログラム)が想定通りに動かない原因(バグ)を解消できるように努力したけれど、サポートしようとするほど悪化したとあります😢
(バグを解消する作業をデバッグと呼びます。)

学校は、行かなくちゃいけないところ。
勉強は、しなくちゃいけない。
なぜなら、法律で決まっているから。
皆と同じように生活しなければ、大人になれないから。(本文引用)

お子さんとriraさんの努力にも関わらず状況は好転することなく、病院で『起立性調整障害』と診断されたこと、大いに胸が痛みました。
私の息子も同じ診断が出たことを思い出してしまいました。

病院の診断をもとに学校に訴えても、学校からは娘さんを責める言葉ばかり😢

「そういう生徒は毎年いる。病名をもらってくるが昔はそんな病気はなかった。一種の怠け病だ」

本当にこんなひどいことをいう教師が居るんだって愕然としました。

比べるのはおかしいかもしれませんが、息子の診断書を持って中学校に行った時はそんな酷い事は言われませんでした。
旦那さんが頑張ってくれただけかもしれませんが、昔は無かったから怠け病だなんて、、、無知にもほどがあります。(私が怒ってどうする💦)

そんな中でriraさんの必死な努力は続きます。
食事を変え、生活を変え、学校に朝からきちんと行けるようにすることがriraさんの毎日のすべてになるほどに。
riraさんも辛いけれど、お子さんも辛いですよね。
中学生のお子さんがriraさんの苦労に気付かない訳がありません。
自分の為に悪戦苦闘している姿を見るたびに「頑張らなきゃ」と思ったことでしょう。そして必死に努力しても起き上がれないお子さんにriraさんのしんどさも増す一方。とうとう泣き崩れてしまいました。

「今日もだめなの?」
「こんなにやってるのに、どうして起きてくれないの!?」

追い詰められたriraさんの言葉に泣かずには読めません。
誰が、riraさんを追い詰めたのでしょうか?
大切に想ってるお子さんではありません。
『起立性調整障害』でもありません。
それは、「学校に行かなくてはならない」というプログラムです。

お子さんの腕にリストカットの跡が見つかった時、
riraさんは悲しすぎて、余裕がなさ過ぎて、自分もお子さんも追い詰めてしまいました。
理解するには余裕がなさすぎて、思いやるには疲れすぎていたのだと思います。どんどんお子さんとriraさんは喧嘩が激しくなり、家出をされたこともあったそうです。

きっと、お子さんも本当はそんなことしたかった訳じゃないはず。
ただただ辛くて辛くて我慢できなくて、
どうしていいか分からなくて困っていただけだと思います。
お子さんの為にと頑張り過ぎて疲れてしまったriraさん。
どちらも悪いことなど一つもしていません。
どちらも一生懸命頑張っていて、決して悪くはないのです。

それでも、確実にお二人の心は暗く辛くなっていきました。
もう夜になっても起き上がれなくなってしまったの一文に
泣かずに居られるわけもなく、鼻水までたらして泣いてしまいました。

過去のriraさんにハグしに行きたいです。
そんなに自分を責めないでいいんだよって。

どうしていいのか迷子になったriraさんにとって
学校の先生も旦那さんも理解者ではありませんでした。
それどころか「学校にいけ!」と怒鳴られる始末。
近くの旦那さんの実家も同じ反応が返ってくることが予想されるだけに、頼ることはできません。

誰かriraさんとお子さんに寄り添える人は居なかったのでしょうか?
どちらも悪くないのにすれ違ってしまい、
ただただ消耗してしまう二人に、
救いの手はなかったのでしょうか?
学校のスクールカウンセラーですら学校復帰の方針で、『起立性調整障害』には詳しくないときたら学校にすら救いの芽はありません。

一人で頑張るしかなかったriraさんは、必死にネット検索でいろんな体験談を読み、「整体で自律神経を正すことができるケースがあるらしい」という情報を頼りに整体院を探して見つけたそうです。

整体院の先生のカウンセリングで、
「学校に行くのをやめてみたらどうですか?」
という思いがけないアドバイスをきっかけに、やっと一筋の明かりが見えました。

さらに続く整体院の先生の親身なアドバイスに眼から鱗のriraさん。
(注:素敵なアドバイスなので本文を参照ください!)
「学校に行かない」という選択肢をもらったことは大きかったですね(^^♪

息子がお世話になっている敏腕小児科医が、
息子や私達の話をゆっくり聞いて下さったあと、本人の目をしっかり見つめて、
「学校辛かったな。よく頑張ったな。行かなくてもいいんじゃない?もう頑張るの辛いでしょ?行かなくても勉強はできるからだよ。中高やり過ごせば、大学は楽になれるから、それまで無理しないで頑張ろう。」
と穏やかに仰ってくれた日のことを思い出しました。

頑張ってもダメな時に差し出された救いの手。
その素晴らしさと有難さを私達一家も知っています。

(泪がこぼれて講評にならない💦)

riraさんとお子さんの新しいスタートは、
「体調が整うまでしばらく休養」というスタンスから始めることでした。
少しずつ負担のないアクションに変えていかれたのは良かったですね。
ばしんと「不登校にします!」と学校へ叩きつけるよりも、その方が学校も受け入れやすかったと思います。

お子さんの意思を尊重する方法へシフトできたところも素敵でした。
進路決定や、先生に来て貰って「起き上がれない」ことを伝えられたのも素晴らしかったです。知って貰えるだけで、対応は全然異なりますよね(^^♪

「学校に行かない」、「学校も先生も敵」ではなく、
ちゃんと歩み寄りながらもお子さんを守る為の作戦を講じられたところに
riraさんの母としての強さ、賢さを感じました。

家では、怒るのをやめて家庭の中に居場所を作ることに気をつけたそうです。お子さんも居心地が良い空間で癒されたことでしょう。本当に素敵な作戦?です!
ネットで出逢ったいろいろな体験談を参考に、どんどん接し方を変えていけるriraさんは、やっぱりお子さんが大好きで大切で優しいお母さんです。

そうそう、誰が困るかを重点にして、本人が困る事は怒らないというスタンス。目から鱗でした!教えて頂けてラッキーです(^^♪

不登校の子には、それぞれの理由があるの部分、おおいに共感しました。
『ハードルを下げる具体的な方法』は、本文を見て下さい。凄く参考になります!!

そうしていくうちに嘘のような奇跡がたくさんお二人に起こり続けました。

卒業式の日だけはなんとか朝から登校し、きちんと卒業することができた。

次の日には普通に友達と遊びに出かけていった。

春休みになったら、なんと普通に起き上がれるようになった。

なんて素敵な奇跡の連続。
きっと辛い思いをしながらも頑張り続けた二人だから起こせた奇跡💖

とりあえず、生きていてくれていればそれでいい。

私も息子が心と体を崩してからそれだけを願ってきました。
riraさんも同じだなんて、めちゃめちゃ嬉しい!心強いです💪

あとの部分は、勿体なさ過ぎて引用できません。
9/27の追記部分も素敵でした💖

箱ティッシュ持参でriraさんの作品に触れて下さい!!
泣きながら、いつの間にかriraさんとお子さんを応援されているはずです!

最後に私からも伝えさせてください。

   どうか知って下さい。
「行かなくては!」と理解していても、「行けない」お子さんが居ることを。
「学校に行かなくてはならない」というシステムの中で
苦しんでいるお子さんやご家庭がたくさんあることを。
そして、『学校に行かない』という選択肢で初めて救われる心や命があることも。

 学校に行けなくたって、死にはしません。
勉強は元気になってから自宅ですることも、塾へ通うこともできます。
沢山の選択肢のカードが目の前にあるのなら、
「子どもの心と体を最優先する」という選択肢をお子さんの命の為に選んでください。お願いします

riraさん、最後の2行。
私もそう思って息子を見守ってきました。
ちょうど受験の今年は更に強く願っています。

ひとりじゃないからだいじょうぶ。
お父さんやお母さんや他の家族もお友達も居るから大丈夫だよ!

いま学校に行けなくて辛い方やご家族に、
超特急で届けたいnoteを届けて下さってありがとうございました!

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<講評(愛加ちゃん)>

 日の光が差し込む教室の、窓際の一番後ろの席。緊張した面持ちのきよこさんが、1人静かに座っている。周りの人たちは、新しい環境に馴染もうとがやがやと話しているのと、対照的に。
 声を発することなく、クラスメートを眺めているきよこさんの表情は、耳に入ってくる会話に時折ほころぶ。楽しそうだな、憧れるな、といった感じで。

 そんなきよこさんと、目があった女の子がいて。きよこさんは気まずくて目をそらすけど、彼女は近付いて来て、きよこさんはうわぁと思って。でも、どちらからともなく、話し始める。

 もし、きよこさんの高校時代と、高校時代を原点に今を生きる姿を元に物語を描くなら、そんなワンシーンを入れたい。
 そう、思いました。

 わたしも転校を経験したことがあるので。それまで当たり前のように友達の輪の中にいたのに、ええと、クラスメートと仲良くするって、どうしたらいいんだっけ? みたいな。
 そういう感覚、味わったことがあるけど。

 変わりたい、その一念が通じて出会った彼女が、心を開けるということを教えてくれて。
 そこから、ロールモデルとなる友人と出会う。

 それが、ドラマのシーンのように、リアルに浮かんで来たのです。

 何というかな、モノトーンだった世界が一気に色づき始めて、学校という外枠は変わらないのに、まるで新たな世界に足を踏み入れたかのような日々。

 何でもないことに、声をあげて笑うきよこさんの笑い声が、聞こえてくるかのようです。


 と、そこまでなら、よくある青春ドラマにしか、ならないでしょう。
 ああ、若いっていいなぁ、みたいな。そんな日々、わたしもあったなぁって、過去を懐かしむだけに終わる。

 でも、きよこさんは違うのです。
 あの頃は良かったよ、という過ぎし青春ではなく。
 自分もこうなって行くんだ、という原点なのです。


 だから、そうだな、冒頭は現在のきよこさんから始まるのが、いいかもしれない。

本音で人と接すること。
公平でいること。
場づくりをしたいということ。

 かつての友人関係から学んだ思いを胸に、まだまだだなって思いながらも、試行錯誤しながら今を懸命に生きる姿から始まる。

 そして、上述の心を開くことを教えてくれた友人や、決して目立ちたがりやではないけれど、自然と人の輪の中にいて、誰とでもフラットに接していた友人の存在を明かす。


 さらにね。
 きよこさんは書いていないけれど、わたしがどうしてもはずせないなと思うのは。
 かつてのきよこさんみたいに、人との関わりに苦手意識のある人が、自分もきよこさんみたいな人になりたいって、決意をする場面。

 そうだな、きよこさんKindle出版したいって別記事で言われたから。
 出版を機に、母校から授業の一環か、はたまた何かしらの行事ごとで、ちょっとしたお話をしてもらえませんかって、お声がかかって。
 緊張しながらも、伝えたい思いがあって出向いていくって設定を加えてみましょうか。

 そこには、かつてのきよこさんと同じように、人からちょっと離れて一線を引いて、でも変わりたいを秘めた女の子がいて。
 きよこさんの話を聞いて、勇気を出して心を開こうと、決意した。
 

 おっとびっくり、あれよあれよと、物語の筋書きができちゃいましたね。
 
 半分以上わたしの想像で、物語風に講評を書いてみたけれど。
 高校時代を過去とせず、原点にされているきよこさん。

 かつてのご友人たちが、きよこさんの世界を動かし始めたように。
 今度はきよこさんから、始まって行く世界がきっとある。
 そんな未来が、見えるようでした。

 きよこさんのいた陽だまりに、共に照らされたような、心がふわっとなる作品。
 ご応募、ありがとうございました。

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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

全体の募集要項はこちら

始まる世界部門募集要項はこちら

応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 あわせてこれでも母さんが主催するこちらのマガジンにも収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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