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第3回THE NEW COOL NOTER賞エッセイ部門~8/16講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞エッセイ部門へご参加いただいている皆様。

8月開催分エッセイ部門の募集の応募は、昨日15日に締め切りとなりました。最終日に力作をさらに多くご参加いただき、42作品の応募をいただきました。

8月後半にかけて、今後講評・月末の授賞発表をさせていただきたいと思います。また、昨日、9月度コンテストについて審査委員3名からの寄稿をいただきました。

「食育・子育て・おいしいもの」部門では、7月・8月にご参加いただいた方でも、別の記事であればご参加いただけます。
ぜひとも、ご検討ください。

本日は、応募いただいた作品より、講評を2つ掲載させていただきます。

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<講評(みこちゃん)>

 お料理が好きなお父さんが、ご近所の奥さんに試されます。お子さんに対して直接「パパが作る料理で、一番好きなものはなあに?」と聞くんですね。。じゅにーさんのところって、お父さんがいつもお料理しているらしい。お仕事も持ってらっしゃるようだし(病院勤務の薬剤師さんですね)、そんなにすごいレパートリーは持ってないだろう。それで持っていたら、すこし嫉妬しちゃうわ……。こんなママ友の(おっと、じゅにーさんはママじゃないので、保護(者)友かな)思いが伝わってくる出だしですね。

 「カツオ節醤油ご飯!」と息子さんは意気揚々に答えます。

 保護友のお母さんたちは、眼で「口ほどにもないわね。」とか「子どもは正直よね。」といった感じで見てくるそうです。きっとこのとき、お母さんたちは外向きの満面の満足げな笑みをこぼしていることでしょう。とてもコミカルな日常風景の一端を切り取っていて、ああ、じゅにーさんは巧みなエッセイイストなんだな、と思えます。

 しかし、それでは終わらない。ここがじゅにーさんです。

 さらっと、こんな言葉を入れてます。
「我が家での食はほぼわたしに委ねられている、というぐらいには料理をしています。」

 さりげない言葉で「食」と「料理」は違うんだよと心のなかでつぶやきます。控えめな自負を自分は持っているんだよ、という非常に好感度の高いプライドです。

 それをさらに、こんな言葉で考えます。

「(カツオ節醤油ご飯!が)他の方からは軽く見られてしまうのか。それはひとえに大人の料理に対する価値基準が美味しさだけではないからなのでしょう。
素材の稀少度・価格、調理の手間・技術、そういったところへの評価が大きいのだと思われます。舌で味わうのではなく脳で味わっている感じですね。」

 この辺はさすがに、薬剤師さんだな、と思いました。

「大人は如何に美味しいものでも同じ料理が頻繁に続くことを好まない傾向にあると思います。」

 そうですね。高級フレンチ毎週行ってもありがたみがない。「ええ?また」となりますよね。つまりこれは、脳で味わう料理を求めているからであって「食」を求めるのならば、毎日が納豆卵かけご飯でも、鰹節醤油ご飯であってもいいのです。

 単純に見える保護友との会話から、ここまでの心理をそれこそさり気なく引き出すのは、読んでいて楽しいだけでなく、エッセイとして並外れて優れているなと感じました。

「単純に美味しくて頻繁に食卓に上るもの」こそが本当の「食」である。じゅにーさんはそうおっしゃいます。

 そうですね、単純に読んで楽しくて頻繁に読みたくなるもの」これが、脳で味わう読書ではなく、「こころ」で味わうエッセイなのだと思いました。

 エッセイを自分でも書く身として、エッセイの本質とはなにかについても教えていただきました。

 余談ですが、9月に「食育・子育て・おいしいもの」部門賞もやるんですよ。またこうしたすばらしいエッセイをぜひ応募してくださいね!

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<講評(みこちゃん)>

 西野さんのエッセイは、介護大国日本への優しい眼差しから始まります。スポーツや旅行などを楽しんでらっしゃる方もいる一方で多くの方は介護にお世話になっており、介護する人たちもそれを静かに受け止めながら自分の暮らしを守っている。

 西野さんも、お父様についてはそのご苦労を知っていますが、お母様に関しては50歳代で亡くなられたこともあり、ちょうどご自身の出産も重なって、自分としては十分に介護をしきれたとは思えない日々もあったようです。

 その分、お父様とは沢山のおしゃべりをし、精一杯心を尽くして接した。それでも、西野さんはおっしゃいます。
「人に一生懸命やっていたよと言われても小さな後悔は尽きません。」

 肉親がする介護は、ヘルパーさんの介護とは違い、自分子供の頃から受けてきた愛情を確かめながらの介護生活です。であるならば、ひとつのかいごをすることは、自分のかけがえのない思い出をもう一度振り返って、その尊さや意味を確かめる行為です。それは、ある意味で「まだやり尽くしていない小さな後悔」の念を引き起こすのかもしれませんが、一方でそれは、親から受けた愛情というものがとめどな尽きせぬものであったことの証でもあるのではないでしょうか。

 一つ思い出すことに、一つもっとこうすればよかったと思い出すかもしれません。でもそれは、過去を振り返ったからこそ浮かび上がってきた、親御さんとの尊い思い出の原石だと思います。

 その大切な原石をどうやって、宝石にするか、これはもしかすると親御さんが亡くなってしまった後にも静かに続くものなのかもしれないな、と思いました。

「介護に向き合うということは、100%介護だけをするということではないと思います。」こう西野さんは言い切ります。

 親との思い出を慈しむことは、今の自分が身体も心も健康で楽しんでいること、自分自身の家族や友達に恵まれて、その原石を磨いていくことのできる心身の余裕をもっていることに他なりません。

 西野さんは、エッセイの末尾をそのように結んでおられました。心温まる、そして大切な何かを教えていただきました。ありがとうございます。

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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

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応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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