前野健太 「ワイチャイ」 アルバムレビュー
前野健太とは
【プロフィール】
シンガーソングライター、俳優。
1979年2月6日生まれ、埼玉県入間市出身。2007年『ロマンスカー』によりデビュー。ライヴ活動を精力的に行い、「FUJI ROCK FESTIVAL」「SUMMER SONIC」など音楽フェスへの出演を重ねる。俳優活動においては、主演映画『ライブテープ』が第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞を受賞。NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』他、TVドラマ、CM、映画、舞台に出演。エッセイ集『百年後』を刊行するなど、文筆活動にもファンが多く、他アーティストへの楽曲・歌詞提供も行う。
(前野健太オフィシャルサイトより)
「ワイチャイ」を聴いた/クールマイン的見聞録
本作7thアルバム「ワイチャイ」は、過去に1st〜3rdの三枚のアルバムをリリースした、自身の古巣であるロマンスレコードからの発売となっており、ファンの間では密かに”原点回帰したかのような作品”とも囁かれている。
ただ厳密に言うと昔に立ち返ったというよりも、改めて”好きな歌”を”好きなよう”に”歌いたい”という、ピュアな核心へと迫った内容ではなかろうか。多くのミュージシャンがここ数年自分の穴蔵に閉じ籠り、否応なく自己と対峙した時間がある。その結実が前野健太の場合「ワイチャイ」 という形になって解き放たれたと言えよう。心して存分に味わいたい。
果たしてワイチャイとは何なのか。歌の大冒険の始まりである。
エレガントなピアノと共に『ポルトガル』が始まる。タイトルこそポルトガルだが、歌詞のあまり耳馴染みの無い言語はポルトガル語というよりも、フランス語やイタリア語のソレに近い感じがする。とは言え残念ながら自分の語学力では判別はおろか、そもそもこの歌詞がこの世に存在する言葉なのかすらも分からない。(けれどもそこも面白味の一つ)雨の喫茶店で甘美な歌声に酔いしれるのも束の間、2曲目の『わたしの羽』が始まった。散歩中に東京の日常の一場面を切り取ったかのような風景と、陽炎のようなオンナ(”女性”とはまた別の生き物)との刹那の色恋を妄想しながら耳を傾ける。時代を象徴する「ウーバーイーツ」なんて暮らしのワードチョイスもだが、洒落た言葉選びや情感溢れる比喩だったりにいちいちグッと来てしまう。今を生きる吟遊詩人の健在っぷりが序盤から遺憾無く発揮されている。
続いて『MAXとき』で先程までの雰囲気は一掃される。既発曲をリアレンジしたものだが、シンセ音のイントロを聴いているだけで何故だか不思議と高揚してくる。”MAXとき”とは2021年の10月、老朽化を理由に惜しまれつつも運行停止が決まった、JR東日本の2階建てE4系新幹線電車の事。以前のアレンジでは"MAXとき”との惜別の想いや一抹の寂しさを感じさせる情緒溢れるナンバーであったが、アルバムver.では「MAXときとの楽しい良き思い出」に感情が変換されたような趣がある。国産の上質なAOR系ポップスや古き良きオールディーズ感もあるサウンドフレイバーに独特の語感の歌詞がウキウキワクワク感に拍車をかける。
こんなコーラスを入れられたらほくそ笑んでしまわずにはいられないし、
なんて素直かつ大胆不敵で革命的なんだと魂が震えた。きっと車窓から見えた景色なんだろう。住宅展示場なんて歌詞が載った歌を今まで自分は知らないし、住宅 / 展示場で切る譜割に無限の自由を感じずにはいられなかった。そうだ私たちは今こそもっと自由でいい。
※「ワイチャイ」発売前に先行して発表された旧ver.のミュージックビデオ。
4曲目の『恐縮でございます』はシャンソンのジャヴァのようなアプローチの曲で、インテリジェンスが伴った変態性だとか、エロスの側面が持つ胡散臭さや怪しさがたまらなくユニーク。マエケン節炸裂でございます。
続く『マシッソヨ・サムゲタン』は主旋律を大きく裏切る後半の曲展開で、自然に首が大きくビートを刻んだ。さながら人力ポンチャックディスコといったところだろうか。ポンチャックディスコは韓国の大衆音楽だが、昔観た香港映画のような勇ましさと懐かしさも内包していて心が躍った。シンプルに聴いていて元気が出る!
6曲目『秋の競馬場』が語彙力不要になるぐらい、”とても良い曲”。秋色の地に佇み、風に吹かれている前野健太を想像したら、寂寥の感が去来し、込み上げてくるものがあった。そしていつの間にか自分もそこにいて心の中で叫んでいたのだ。「馬よ、俺の憂鬱も切り裂いてくれ!」
7曲目の『サマースーツ』では印象的なピアノとタイトなビートに乗せてニヒルな男がロックに歌い上げる。後半埋め尽くされていく、
という歌詞は「なんじゃそりゃ!」から「もうそれ以外無い!」に変わる魔法の響きを持つ言葉であった。
次の『近い将来について話している』はギター1本の弾き語り。街の喧騒の中、この恋人達の中だけに流れている優しい時間を紬出す。冬の歌なのに暖かなのは、寄り添うようなミニマルな音像ならでは。
9曲目がアルバムリード曲と言っても過言ではない『戦争が夏でよかった』。
「FUJI ROCK FESTIVAL`21」でバンド初演奏され、話題を呼んだという名曲。楽曲自体が制作されたのは今から数年前なのだが、今のこの世相を考慮すれば非常に危ういタイトル。眉をひそめアレルギーを起こす気持ちは十分に分かる。ただちょっと待って欲しい。この映像を観れば前野氏が戦争を茶化したり皮肉っている訳でも、まして賛美しているはずがないとお分かりいただけるであろう。振り絞るように熱を放射していく歌声が胸を打つ。すぐに炎上する(一部の人間の中だけで)世の中だ。メディアによってはリスナーからの苦情が懸念されたり、コンプライアンスの問題でオンエア出来ないプロモーションの場面があったかも知れないと思うと遺憾に堪えない。だってここには悪意も巧妙なミスリードも無いのだから。
大切な人。大切な時間。大切な場所。大切な事。
それぞれの”大切”を喚起(歓喜)してくれる名曲だ。
アルバムも終盤の10曲目、ピアノの旋律が美しい『白い病院』。産まれたばかりの赤子の歌か、はたまた病床に臥す親の事なのか、色々なシチュエーションで想像を巡らせてしまう。ザ・ポーグスに「ニューヨークの夢」(The Pogues /原題:Fairytale Of New York)という曲がある。決して似ている訳でもないのだが、その曲の前半部分のような静かな気持ちになれる。
11曲目『みかん』はステレオタイプのフォークシンガーのレールからはヒョイと軽く逸脱出来るしなやかさ。非・猪突猛進でうねりを出しながら2ビートを乗りこなすカウボーイ。パンキッシュかつ縦横無尽に駆けて行った。
続いて12曲目『いい予感』。バーでくだを巻く女性を尻目に小さな夜の物語が華開いていく。そこはかとなく漂うペーソス。十八番の憑依性転換型で自由奔放・天真爛漫に歌う。常軌を逸した言葉のリズム感にこちらの脳内も酩酊状態だ。
いよいよアルバムのラストを飾る『ワイチャイ』。
冒頭で述べた「果たしてワイチャイとは何なのか」の謎は解けたのか?
‥‥‥‥‥結論から言うと真実には辿り着けなかったし、自分なりの答えにリーチすらしなかった。一聴して謎は深まるばかり。アルバム2周目、3週目でもそれは変わらなかった。
この曲の歌詞の記載は無い。記載は無いが勿論歌っている歌詞はある。中国圏の言葉だろうか?原文も対訳も無い。色々と意味不明だが、とにかくエモーショナルで何かを訴えてくるし、やたらと郷愁を誘う。この感情は一体何なのだろう?
そして急転直下は起きた。
某日、ワイチャイの真実に迫るラッキーな機会を偶然にも得たのである。
TOKYO FMのラジオ番組、「坂本美雨のディアフレンズ」にゲストとして前野健太が招かれるという情報をキャッチした。すぐさまラジオアプリをインストールし、耳をそば立てた。そこで驚くべき真意に思いがけず触れたのであった。ネット上で綴るのは多少気が引けたが、電波上でご本人が語っているので良しとし、このまま謎めいたワイチャイを堪能したい方は次の項目まで飛ばしていただければと思う。
但し、曲を聴いてから意味を知った方が絶対に味わい深いので、そちらを推奨したい。
【ここから先ネタバレ注意】
番組中、アルバムタイトルの意味について聞かれ、内容的にはこんな事を(実際はもっと丁寧に)答えておられた。
東京に最初の緊急事態宣言が出た頃、足繁く通っていた弁当屋さん(恐らく他国籍料理屋)があったそうで、テイクアウトの弁当を待っている間に店内で流れて来た音楽に感極まって涙してしまったという。思わず店の人にこれは何かと尋ねたら、「ミャンマーポップス」と教えてもらったが定かでは無い様子。弁当を小脇に抱え帰宅し、「さっき店内で流れていたような曲を作りたい!」という衝動に駆られて真似して歌ってみたのだという。それを後で自分で聴き返すと”〜ワイチャイ”と歌っていたらしく、言わばミャンマー語の耳コピ状態で生まれた造語であり、特に意味は無いのだという。前野健太というアーティストは特に歌詞にこだわりを持ち創作活動を行ってきた。しかしそれがここに来て、感情が篭っていれば言葉なんか分からなくてもこんなにも琴線に触れ感動出来る曲になるのかと思ったそうだ。これがワイチャイの由来・語源である。
【ネタバレここまで】
これには思わず溜飲が下がった。だからこそあの感想を抱いたのかと。結局言葉に囚われていたのは自分も同じだったというオチ付きで謎は解けたのである。
トータルタイムが全13曲で33分42秒。潔く濃縮還元された歌の数々は、中弛みすることなく一気に聴ける内容となっている。多彩な表情を持つ曲が多いが雑然とした印象は皆無で、突き抜けた空気感に覆われているのも魅力。この閉塞感で息の詰まるような世の中で痛快そのものだ。長年のファンのみならず、新規のリスナーにも愛される事だろう。
ところでこの「ワイチャイ」のイントネーションだが、「Wi-Fi」のような発音をしがちだが実際には違うようだ。2022年6月を皮切りに”前野健太『ワイチャイ』発売記念〜東北六県の旅〜”と題して東北でのライブツアーも行われる。(詳細は下記にて)
本場の発音はライブ会場で確かめるのがベストな答え合わせだ。
前野健太 雑感
初めて聴いた曲は『今の時代がいちばんいいよ』だった。ボブ・ディランの『The Times They Are a-Changin'』を初めて聴いた時に感じた”風”のようなものを感じて大変印象に残っている。そして去年開催された”FUJI ROCK FESTIVAL`21”でのパフォーマンスをYouTubeで視聴し、横っ面を張られたかのように再び撃ち抜かれた。静かに滑り出した歌は夏の野外に沁み渡るような心地良さで、同曲のMVの青空模様を朧げに思い出したりしていた。バンド演奏の体温は徐々に熱を帯び、時折声が裏返りながら「今の時代が一番いいよ」と歌い叫ぶ姿に甚く感動し、更に白状すると涙してしまった。「昔は良かったとか何とかしみじみ言ってんじゃねぇよ!」と世の中に叫ぶかのような気概すら感じるハードコアパンク顔負けのステージングは圧巻だった。
何で見聞きしたのか失念したが、曲は作って録音して完成ではなく、当日のMCとその日の感じで都度歌い方を変えて常に鮮度を保つと前野氏は語っていた。紛うことなきライブアーティスト。音源の再現度を高め判で押したようなライブをするのもプロフェッショナルだが、その日その時の歌を聴かせてくれる、今この瞬間を生きる歌手なのである。
前野健太の諧謔が巧みな世界観は頭でっかちなテクノロジーでは決して生み出せない音楽領域だ。愛すべき理由でずるい。要するに人たらし的な意味でずるいとさえ思ってしまう。飄々としていて、哀愁もあって、ダンディかと思えばチャーミングで。男女年齢問わず、ちょっと深追いしたくなる魅力がある。日常を覗き見したくなり『百年後』というエッセイ集を購入したり、企画・原作・脚本 みうらじゅん 、 監督は安齋肇というある意味鉄壁の布陣で臨んだ主演映画『変態だ』も鑑賞した。(これがまた入り口と出口が違う予測不能な世界観で秀逸!)
前野健太はロマンスの化身なのかも知れない。忘れがちだが”ロマンス”には「恋愛物語」の他に、「空想的、冒険的な武勇」であったり、「民衆のもの」という意味合いがあったりする。
世界中の昔からある大衆音楽、暮らしの鳴りを拾い集め、歌にする。そんな前野健太の作る音楽はこれからも耳目を集める事だろう。
【作品情報】
タイトル:「ワイチャイ」
全13曲入り / 2300円(税込2530円)
リリース:2022年4月6日
アーティスト:前野健太
販売元:ROMANCE RECORDS / ROCD-0005
「今の時代がいちばんいいよ」「友達じゃがまんできない」「ファックミ ー」など、一度聴いたら忘れられないフレーズを生み出してきた吟遊詩人・前野健太の7作目は「ワイチャイ」。 一体「ワイチャイ」とは何なのか。
シャンソンのような軽やかさで幕をあけるピアノ曲「ポルトガル」。韓国で作ったという「マシッソヨ・サムゲタン」はロック・ポンチャック!? 前野は大真面目に、これは日韓友好の歌です、 と宣言する。子守唄とギャンブルへの狂騒がないまぜになったような「秋の競馬場」。そしてニー ナ・シモンを彷彿とさせるピアノのイントロで始まる「戦争が夏でよかった」。次第にボーカ ルもバンドも熱を帯びて行き...。この怒りは現代への愛ゆえか。これからも語り継がれるであ ろう珠玉のロック・バラードの誕生となった。最後を飾るのは「ワイチャイ」。 前野の歌詞へのこだわりが、新たな歌の扉を開く 。
全 13 曲、33 分 42 秒。コンパクトながらもギュッと凝縮された、果実のようなフルアルバム。 はじけて熟れて、ほのかに「いい予感」のする新たな歌世界。 人生なんか遊びさ、と言わんばかりに、遊び心、歌心満載の一枚となった。(前野健太オフィシャルサイトより)
【コンサート&アーティスト情報】
前野健太『ワイチャイ』発売記念〜東北六県の旅〜
2022年
6月24日(金)
OPEN 19:00 / START 19:30
@秋田Club SWINDLE
6月25日(土)
OPEN 18:00 / START 18:30
@岩手県公会堂 26号室
6月26日(日)
OPEN 15:30 / START 16:00
@弘前 KEEP THE BEAT
9月22日(木)
OPEN 19:00 / START 19:30
@club SONIC iwaki
9月23日(金・祝)
OPEN 15:30 / START 16:00
@山形ミュージック昭和Session
9月24日(日)
OPEN 15:30 / START 16:00
@誰も知らない劇場
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