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【小説 喫茶店シリーズ】 Ⅰ. 純喫茶「風車」 (vol.5)

翌週の日曜日から僕の講義が始まった。
これまでは、読んだ本から「受信」するだけで、そこから「転送」するのは初めてのことなので、考えを整理する作業が新鮮で、あらためて『オレ、こんなこと考えてたのか?』と、自ら驚き興奮していた。
それは「発見」だった。自分の中にいるものの気配がするのだ。

10時キッカリ「風車」に入っていくと、響子さんは、にこやかに迎え入れてくれた。
そしてまた、ビックリするくらいの音量で音楽を掛けた。
ジャケットを覗くと、ユーライア・ヒープの『Look At Yourself(対自核)』だった。
二人して、そのA面を通して聴き入った。
そのタイトル曲の意味と、背を押すような楽曲のノリ。そして最後には「July Morning」が神々しく響き渡り、この高窓から射し込んでいる「天使の梯子」を駆け上がるかのような激しい感動を覚える。今日のこの教堂にピッタリの曲だった。

ロック専門だけど、響子さんの曲のセンスは素晴らしい。その大音量も含めてだけど、毎回ノックアウトされることになった。

さて、A面を掛け終わると響子さんは、
「はい。あなたはここね」と言って、テキパキとクリームソーダを置くと、向かい側の席に着いた。
キチンと背を正して膝に両手をのせたその様子が、かしこまった少女のようでおかしかった。

「まず、ガイダンスですが、講義スケジュールを配布します。が、昨夜急ぎまとめたものなので、途中多少の変更があるかもしれません。いや、きっと大幅に逸れていくものと思われます。事前に了承して下さい。それから、途中の質問は受け付けません。終わってからにして下さい。時間が限られていますし、中断されると、その後こちらが混乱しますのでよろしくお願いしておきます」
と僕は、もったいぶって切り出した。

「ふふふ」と響子さんが笑う。
掴みはOK !
「え〜では、始めます」

***
今日は、『罪と罰』の書かれた1865年(日本は幕末の大混乱)時のロシア帝国と庶民の状況分析。特に、農奴解放以降のインテリゲンツィアの出現。そして、当時のドストエフスキー本人の置かれていた状況 = 長兄の死によって、その負債を自ら一身に背負ったばかりか、遺族の面倒も見なければならない。加えて、最初の妻の死と経済的にも精神的にもどん底の行き詰まっていた時期だった。そして、巷では、帝政が崩れていく歴史転換の暗い跫音と、新しい社会を自分たちの手で築こうと立ち上がりつつある知識層の動き、自らも参画せねばと焦りつつも病気がちな身体、そして剛悪な債権者に責め立てられる毎日の現実。そんな困難な状況下で、作者ドストエフスキー自身の中に、社会に対する激しい反逆的精神の沸騰があり、それがあったからこそ、この作品が生まれたのだ。つまり、主人公ラスコーリニコフは自らのそうした思いの投影であり、体制、思想の混迷を受けて社会人心の価値転換が急速に行われ、あげくは道徳規範にさえ狂いが生じ始め暗いニヒリズムに覆われている。何かとんでもないことが起こりそうな、イヤそれをこそ望んでいる、そうした時代の病に対して、人間精神の革命を引き起こそうと企図して、一心不乱に憑かれた者のように書いたのだった。
「小説だけが今の場合、私の唯一の希望です」と手紙に書いている。
そして、このような、現状《ステイタス・クォー》に対する否定的・革命的激情は、理性を凌駕していつの世でも現れる。
だが、それで終わらないのが、この『罪と罰』の傑作たる所以。
と、期待を持たせたところで終えた。
「え〜。以上ですが、何か質問はありますか?」

「はいっ!」と、元気よく手を挙げ、「暗く重たそうで敬遠して読んでいませんでしたが、何だかおもしろそうでワクワクしてきました。講師の話がうまいんだと思います。次回も楽しみです」と、目の前でパチパチ手を叩いている八重歯。

「時間ですので、今日はこれで終わります。次は、フリートークです」と、残りのソーダ水を飲み干した。
その後の30分間ほど、響子さんとの何気ないよもやま話に花が咲く、受験を忘れて幸せなひととき。

クリームソーダは奢りというか、授業料代わりだそうだ。

(つづく)

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