「後世桜という桜を知っていますか。」
ごせざくら、ですか。それはどんな桜ですか。
「どこにでも生えていて、死者にしか見えない桜です。」
そうなのですね。その桜はさぞきれいなのでしょう。
「はい、とてもとても、きれいです。あなたも見に来ませんか。ちょうど満開ですよ。」
ええ、いずれ見に行きます。ですが、今年はあいにく忙しいもので。
「そうですか。それでは来年、お待ちしております。
はい、またいずれ。一緒に見物しましょう。
「……。」
……。
「いや、そういえばあなたは、去年も、忙しいから見に来れない、と言っていましたね。」
そうだったかもしれません。去年も今年も、忙しくて。
「……。」
……。
「あなたは、思い返すと一昨年も、同じようなことを言っていました。」
そうだったかもしれません。一昨年も、忙しくて。
「あなたは一昨昨年も、その前の年も、ええと、ひい、ふう、みい、……。――あなたはもうこれで千回は、同じようなことを言っていました。」
よく覚えていましたね。
「今、思い出しました。あなたは、いつまで私を待たせるのですか。」
ううむ、いつまででしょう。忙しくなくなったら、でしょうか。
「だいたい、ふつうは百遍二百遍もすれば、誰しもこちらに来るはずです。暦を十回も巡っているのは、道理ではない。」
実は私は、そちらには行けないのです。
「それは、生きとし生けるもののさだめではありません。」
後世桜を切り倒している間は、そちらに行かない約束なのです。
「後世桜を、切り倒す、ですか。」
死者の記憶は、後世桜を依り代にして此岸に留まります。そして死者の記憶は、此岸の人びとに対して望ましくない影響を及ぼします。
「望ましくない影響。」
たとえば、後世桜の花見に誘われる、とか。
「……。」
ですから、後世界をなるべく切り倒すように、私は言いつけられているのです。私は後世界を切り倒せる力を持っていました。
「こんなにきれいな後世桜を、切り倒せるなんて。」
あいにく私は、後世桜がどんなにきれいか、見ることがかなわないもので。あなた達しか見えません。
「後世桜を見えなくて、切り倒せるものですか。」
あなた達を見かけたら、あなた達の周りを、こうやって、えいやと切る。あなた達が此岸から消えたら、後世桜が切り倒せたと分かる寸法です。
「そうやってあなたは、今まで何本の後世桜を、切り倒してきたのですか。」
数えたことはありませんが、毎日一本は切るように、言いつけられていますから、三百と千を掛けたよりは、ずっと多いです。
「……。」
でも、一本しか切らない日はほとんどありませんね。多いときは、十本も、百本も切り倒します。――でも、一年に一日だけは、お休みを頂けています。だからこうやって、のんびりくつろいでいるのです。
「そんなに沢山の後世桜を切り倒してきて、あなたは、ここの後世桜はまだ切り倒していないのですね。」
ええ。
「どうしてですか。」
ほかの後世桜を切り倒す代わりに、ここの後世桜だけは切り倒さなくて良いように、お許しを得ましたので。
「……それはなぜですか。」
たしかに、なぜでしょうね。
「あなたも分からないのですか。」
いえ、分かりますよ。けれども、あなたは、死者の記憶の、ただの痕跡にすぎない。それも、土地の記憶に流されて、変わってしまう。――あなたはもう、生前のことを、ほとんど覚えてはいないのでしょう。
「たしかに覚えていませんね。」
そうなのですね。ほんとうに私は、何でこんなことを続けているのでしょうね。
「ええと、でも、ここのあたりで暮らしていたことと、とても幸せだったことを、覚えています。」
そうですか。あなたは、桜が好きでしたね。
「ええ、桜は好きですよ。」
あなたは、桜をずっと見たいと、言っていましたね。
「ええ、ずっと見ていたいですね。」
私は、もうしばらくは、忙しくすることにします。いつかまた、二人で一緒に桜を見に行きましょう。
「約束ですよ。」
はい、約束します。