視覚情報が優位すぎてつらくないっすか

 先日購入した『目の見えない人は 世界をどう見ているのか』ですが、当たりでした。
 何か、読書したいな…と思い立って書店へ入るものの。背表紙をズラーーーッと眺めて、疲れ果てて、結局買わずじまいで、店をあとにする。そういった経験、私だけでしょうか。
 確かに、背表紙だけを眺め読みしているのも、結構楽しい。というか、やや読書した気になる。…いや、嘘です。それは言い過ぎましたが、あまりの情報の多さに、「あぁ、もうえぇわ。またインスタとかで誰かがオススメしてるやつ見て、目星つけてからこんとな…」という自分なりの納得解じみた結論を言い聞かせ、また、スマホ触っちゃってる。…っていう。

 正直、みなさん本を選ぶとき、何か基準あるんでしょうか。パッと見て、グッとくる…といった“出会い”ロマンチック系でしょうか。

 そんな中で、220円という安さでえぇんか?!というタイトル『目の見えない人は 世界をどう見ているのか』を買ったわけです。
 たった220円で、自分の知らない世界が少しでも知れるとは何事かというショック系な“出会い”でした。

 印象に残ったフレーズは
 “視覚がないからこそ、死角がない” です。

 そらそうやろ!といった声があがりそうな文言ですが、「ほんま、そうやわ。たしかになぁ。」と考えさせられるものでした。

 私には視覚があるからこそ死角がある。いや、むしろ視覚だらけやわ。だって、ぱっと目の前にある物・景色がある、それを見つけると「認識した」と思い「見てる」「見た」が同時に成り立ってて、見えてない部分のことは、あんまり想像することもない。例えば、目の前に広がる「道」。これ、勝手に私たちは「道」として存在させて、何の疑いもなく、そこを自動的に、無意識に、進んでいくことがあるでしょ?歩いててるところに道があったのか、道があるから歩いてるのか、道を歩いてるのか、道に歩かされてるのか…という問題。
 一方で、視覚のない人は、「景色」とか「道」とか、そういうものは、私たちのように、“パッと見”がないため、平面的ではなく、空間、立体的に捉えている人もいるようです。この本によると。視覚的に得た情報によって行動や思想を左右されることの多いだろう「見えてる人」。そういったことが、「見えない人」には起きにくい、いや起きなくて済む、というポジティブなメッセージが載っており、ハッとさせられました。

 とはいえ、私は今日も目覚めたら、見えている。結構、余計な物事に目を奪われてまうこと多くないっすか?
「あの人の行いって、どうよ!?」とか、
「うわ、あっちでセール、バーゲンやってるわ、いっとこ!」とか
「ついでに、これも買っておくか」とか
「あの人、ほんと美人よね。うらやま~」とか

 “物事を多角的に見ましょう”というフレーズは職場や自己啓発系、ビジネス系によく見聞きしますが、そもそも視覚がないということは、視点がない、だからこそ空間・立体的に捉えるエンジンがかかり出す…
そういった考え方を一つ知れたことはありがたいなぁ。
 たくさん勉強して、また子どもに、ちょこっとでも紹介できる親でいたいなぁ。

 さぁ、ベビちゃん!今日も30分かけて200ml完飲!おめでとう!

いいなと思ったら応援しよう!