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嗤う声 第三話

 ダストと旅をするようになってから、数か月がたった。エドウィンには気になることがある。それはダストが今まで一度も笑った事が無い事だった。旅の途中、何度か旅芸人の一座と出会い、その度に楽しいショーを見せてもらった事もあった。大きな町に立ち寄った時には少し奮発をして、だけども小さな劇場に喜劇を見に行ったりもした。自分は腹を抱えて笑っているのに、彼は少しも楽しそうではなかった。お互い、あてもなく旅をしている身だ。過去の事は詮索したくないし、されたくもない。けれど。縁があって行動を共にしているのだ。自分は久しぶりに楽しい旅路であるというのに、彼はそうではないらしいと思うと、エドウィンは少し悲しくなった。
 ある日馬車に乗って移動している時に、外の緩やかに流れる景色を見つめるダストを、何とはなしに見ていたエドウィンはつい、こぼしてしまった。エドウィンはつまり、拗ねていただけなのだが。
「君は何だか、石みたいだね。」
 ダストはやはり、少しも表情を変えずにエドウィンを見返した。
「ごめん。」
 そう言ってエドウィンは彼から目をそらす。だから気づかなかった。ダストの砂色の瞳が激しく揺れていることに。

 悪い事を言った。エドウィンは馬車の中でダストに向かって言った事を後悔していた。何か、過去に酷い出来事があって笑う事が出来なくなっただとか、そういう事情がある事は十分考えられるのに。宿屋のベッドに腰かけ、彼は壁を見る。その向こうにはダストの部屋がある。
「もう一度ちゃんと謝っておこう……。」
 エドウィンは部屋を出て、ダストの部屋の扉をノックした。しかし、返事はない。何度かノックするが、やはり同じだった。
「眠っているのかな?」
 そう呟いた時、そのまた隣の部屋を掃除していた宿屋の娘が出てきた。
「あら、その部屋のお方でしたら、少し前に出掛けられましたよ。」
「そうなんだ。ありがとう。」
「それにしても、すごく綺麗な方ですよね。あれで男の人だって言うんですもの、神様は意地悪だわ。」
 そう言って、おどけた様子でむくれて見せる。エドウィンは、ふふと笑いながら
「君も十分可愛いけれどね。」
 と答えてやると、娘は顔を真っ赤にした。
「で、でも、勿体ないですよね!あんなに綺麗なのにずーっと無表情で……。笑ったら、もっとずっと素敵な方になるのに。」
「おれもそう思った。でもおれはその事を謝ろうと思っているんだ。けれど、そうか。出掛けたのか。」
 謝る?と呟きながら娘は小首を傾げていた。
 
 もしかしたら、さっきの事を不愉快に思って一人で旅立ってしまったかもしれない。そうしたら、もうきっと二度とは会えない。謝ることも出来ない。それは嫌だ。

 エドウィンはひどく後悔した。

「君は何だか、石みたいだね。」
 宿屋の部屋に入るなり座り込んだダストの頭の中には、エドウィンの言葉がいつまでも消えず残っていた。

 ばれてしまったのだろうか。

 いつもと変わりない表情だが、その瞳だけは不安に怯えていた。両手で頭を抱えたその時、ぴしり、と乾いた音が聞こえた。音がした個所を見たダストは愕然とする。右腕に、小さなひびが入っていたのだ。慌てて部屋の浴室に駆け込み、少しだけ水をかけてみる。が、どろどろと溶けてしまうだけで人の形に戻らなかった。

 人の姿でいるには、やはり人の血だけが必要なのかもしれない。

 ダストはまだ、人の姿で居たかった。砂には戻りたくなかった。エドウィンと共に旅を続けていたかった。
 ダストは錆びたナイフを左手に隠し持ち、少し溶けた右腕にはタオルを巻き、足早に町へと出掛けて行った。
 
 辺りは夕暮れ時で、血を得るにはまだ少し人の多い時間だった。その間にもぴしぴしと体のあちこちから、小さな乾いた音がする。
 
 急がなければ。
 
 自然と足は薄暗い路地裏へと向いていた。突然、くい、と袖を引かれ、見ると派手に胸元の空いたドレスを着た女が、笑いながら立っていた。ダストはぞっとする。彼女は確かに笑っているのに、彼はひどく不快になった。女はダストの滑らかな肌を、赤い石の付いた指輪がはまった人差し指で撫でる。
「ねえあんた。あたしを買わないかい?あんたは綺麗な男だから、特別いい思いをさせてあげるよ。あんたのお望みの事は何でもしてあげる。」
 女は形の良い赤い唇の端を、つ、と上げる。女は大層美しい顔立ちをしていた。だが、ダストにはひどく歪んで見えていた。
 
 おれが見たいのはこんな顔ではない。
 
 ダストは彼女を殺して、体の糧とする事にした。
 女はダストの腕を引いて、更に薄暗い路地裏の奥のあばら家へ彼を押し込んだ。粗末なベッドに彼を押し倒し、馬乗りになる。女は笑いながら、ダストの唇に自らのそれを押し当てる。口の中にぬるりとしたものが入り込み、ひとしきり口内を舐め回した後、離れていった。
「ねえもしかして、したことないのかい?」
「何を。」
「あはは。そうかい。それはいいね。楽しみが増えたよ。」
 女は一層下品な笑みを浮かべながら、ダストの服を脱がしていく。そして女は見た。彼の体中がひび割れているのを。
「ひっ……!」
 ひびに驚き目を見開いた女の胸から、鮮血が噴き出す。ダストがナイフで女の胸を差し、引き抜いたのだ。ダストは女の血を浴びる。たちまち彼の体からひびが消え、また、人と変わらない形になった。
「帰ろう。」
 動かなくなった女を丁寧に毛布でくるみ、血の付いたナイフをタオルに包み、男は宿屋へと戻っていった。
 

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