【短編童話】わがままコイントス
海外に行っていた親戚のおじさんが、二年ぶりにフラリとササナの家にやってきた。
おじさんはお父さんやお母さんにお土産を渡して、ササナには一枚の古いコインをくれた。
片方の面には左を向いた男の顔がきざまれていて、うらを返したもう片方には数字や文字。ササナには数字以外、何て書いてあるのか分からない。
コインをもらったときに彼女が思い出したのは、ある日見た映画の一場面だった。
その映画で、主人公である女の人は、ひとりの男と賭けをする。
コインをピンと指でかっこよくはじいた主人公が、くるくるまわりながら宙をまい、左 手の甲に落ちてくるコインを受け止めると同時に、右のてのひらでサッとふたをする。
そうしてゆっくりと右手をあげてコインの表裏をたしかめると、勝ちを知った主人公は、満足そうにしょぼくれた相手をからかうのだ。
だからササナがおじさんにたずねたのは、どの国のコインなのかでも、えがかれた男がどんな人なのかでもなくて、どっちが表なのか、ということだった。
「絵柄がある方、この場合は顔がついてる方が表だよ」
おじさんはそう教えてくれた。おじさんが帰ったあとも、ササナは映画のまねをして、じょうずにコインがまわるように練習をしていた。
それから何日かがたって、彼女は今、自分の部屋で今日という日の運命を占うために、机の引き出しにしまってあったコインをとりだした。
「表がでたら宿題をやる、裏がでたら、宿題はマンガ読んでからね」
映画みたいにかっこよくはいかなかったけれど、ふらふらと少しだけ宙でまわったコインを左手の甲と右のてのひらではさむようにつかまえる。
そっと右手をどけると、横をむいてきびしい顔つきをした、彫の深い男の顔があらわれた。
それを見たササナは宿題にとりかかるかと思いきや、
「今のなし、もう一回ね」
誰も見ていないのに声に出して言いながら、もう一度コインをはじいた。するとまたしても表だ。
けっきょくササナは、四回目にしてようやく裏が出たことをたしかめたとたんに、待ってましたとばかりにマンガの本を手に取ったのだった。
こうしてコインにみちびかれるがまま、ササナが本をめくったところへ、
「おい、こら」
と、どこからか声が聞こえる。男の声だったから、ササナはとっさに部屋の外に向かって「え、お父さんいるの」と呼びかけたけれど、よく考えてみれば、まだいるはずのない時間だ。
「何がお父さんだ、こ・こ・だ・よ、よく見ろ」
と、彼女がこしかけているベッドのすぐ近くから聞こえてくる。
声のする方を見ると、そこにはササナがベッドの上に置きっぱなしにしていたコインがあった。
「そう、ここだ」
表が上になっているから男の横顔が見えている。もともとまじめくさった顔だけれど、どことなく怒っているみたいだ。
「だまって見てりゃ、なんださっきのは。しかも三回もずるをしやがって」
男は横を向いたまま、ササナをしかりつけてきた。
いきなりどなられて最初はびっくりしたけれど、その言いぐさにムッとしたササナは
「ただコインをなげたってだけでしょう、そんなの別にいいじゃない」
と言い返した。
コインの男は「ただ、だと!だけ、だと!別に、だと!」
左がわだけ描かれているその目を見開きながら、あきれたように大声を出した。
「けしからん子供だな。コインを投げるってのは神聖な行いだ。サイコロもそうだぞ。『サイは投げられた』ってきいたことないか。もうあとにはもどれんってことだ。みずからの運命を天にまかせてコインを投げたなら、それにしたがわなけりゃあならん。それをお前ときたら何だ、『今のなし』とか」
あんまり怒っているからなのか、手に持ったコインがどんどん熱くなってきたようにさえ感じた。
コインの男は、今度はいじの悪い顔になって、
「ちょっとおきゅうをすえてやろう。今からお前は何かをえらぶときには必ずコインを投げなきゃならん。しかもその結果にはぜったいにしたがうことになる」
そう言いながら左目をギラリと光らせた。
そのまぶしさに目がくらんだササナは、そのままパタリとベッドにたおれこんだまま、眠ってしまった。
次の朝、目を覚ましたササナは、
「けっきょく宿題やってないし楽しみにしてた新刊も読めないで寝ちゃったし、さいあくだよ」
ぶつぶつ言いながら制服に着替えて食卓につくと、彼女の家では定番の朝ごはん、目玉焼きとソーセージがお皿にのっている。
「今日は塩としょうゆ、どっちにする」
とお父さんが聞いてきた。いつも彼女がその日の気分で答えたほうをかけてくれるのだ。
お母さんには「それくらい自分でかけなさいよ」と言われるけれど、習慣はなかなか変えられない。
ササナは「そうだね、今日は、しょ…」と言いかけて、なぜだろう、つづきの言葉がでてこない。
すると持ってきたおぼえもないのに、制服のポケットから「表なら塩、裏ならしょうゆだ」と、あのコインの声がした。
それを聞いた彼女の手はひとりでにコインを取り出していた。
お父さんは、ササナがいつもみたいに答えないので両手に塩としょうゆをもったまま、不思議そうに見ている。
「さあ、投げろ」
お母さんやお父さんには聞こえていないらしい、そのコインの声にあやつられるみたいにササナはコインをはじいた。うっかりお皿の上におっことしそうになりながらも、なんとか落ちてくるコインを受け止めるてみると、表だ。
「えー、じゃあ、塩で」
ササナがふきげんそうに言ったのを聞いたお父さんは、娘の目玉焼きにパラパラと塩をふりながら、
「なんでムリヤリ食べさせられるみたいな顔してるんだ」と首をかしげた。
コインは学校にも勝手についてきた。おいていこうとしても、いつのまにかポケットにしのびこんでいるのだ。
教室で友だちのカコを見つけたササナは「カコ、おはよう」と声をかけた。
カコは
「あ、ササナおはよう」
とは言うものの、何だか元気がない。
「どうかしたの」
ササナがたずねて、「あのね、じつは」
カコが答えようとしたその時、先生が入ってきた。
「ごめん、あとで聞くね」
ササナはあわてて自分の席についた。
予想どおりではあったけれど、この日の授業はさんざんだった。
「この問題がわかるひと、手をあげて」
たとえば先生がそう言うと、
「表ならあげる、裏ならあげない、さあ投げろ」
とポケットからコインが命令をしてくるのだ。
「でもわたし分かんないのに」
彼女がそう言ってもおかまいなしだ。このときは表が出たので手が勝手に元気よくあがる。
よほど自信がありそうに見えたのだろう。他にも手をあげた子がいたのに、しっかりササナがあてられてしまった。
「ええと、やっぱり分かりません」と言うしかなくて、先生からはあきれられるし、みんなには笑われるしでとてもはずかしい思いをした。
一日の授業が終わると、ササナの席にカコが近づいてきた。いつもだったらいっしょに帰るところだけれど、先生から放課後に残って、今日出すはずだった宿題をやっていくように言われていたから、まだ帰れない。カコもササナが先生からそう言われたのを知っているはずだから、先に帰るかと思っていたら、何やら言いたそうだ。その様子を見てササナは朝、話がとちゅうになっていたことを思い出した。
「ねえ、ササナ」
カコが口をひらいた、その時、
「友だちだな。いっしょに帰りましょうってやつか。表が出たら待っていてもらえ。裏だったらひとりで帰ってもらうんだな」
とコインが口をはさんできた。
「ちょっと、何もこんなときに」
ササナが文句を言っても、やっぱり手は言うことを聞かない。
カコにしてみれば、友だちがいきなりコインを取り出してはじき始めたのだから、びっくりしたことだろう。しかも裏が出てしまったから、
「カコ、わるいけど今日は先にひとりで帰ってね」
話を聞いてあげたいのに、こんなふうにしか口が動かない。
カコはすなおな子だから、
「…うん、わかったよ」
とだけ答えて教室を出て行った。
宿題を出し終わって、ササナがようやく学校を出たのは一時間後のことだ。
いつもの帰り道を歩いていると、とっくに先に帰ったはずのカコが道ばたでしゃがみこんでいるのが見えた。
よく見ると、道にそって続いているへいの下、すき間があいたところをのぞきこんでいるみたいだ。
ササナがかけよって、
「ねえ、どうしたの。ぐあいでもわるいんじゃない」
と声をかけると、熱中していたらしいカコがびっくりしたようにふり返った、その顔は今にも泣き出しそうだ。
どうやらカコの家で飼っている犬の「シバタさん」が昨日から迷子になってしまったらしい。ずっとなにか言いたそうにしていたところを見ると、きっとササナにもいっしょにさがしてほしかったのだろう。
カコの話を聞いたササナが何か言うよりも前に、
「なるほど、それならいっしょにさがすなら表、このままおいて帰るなら裏といくか。さあ、オレを投げて、選べ」
コインがそういうと、ササナの手は、またコインをとりだそうとポケットへのびる。
「いいかげんにしてよ、わたし投げないから」
彼女は全力でギュッとこぶしをにぎりしめて、自分の手がひとりでに動くのをとめようとした。
「どうした、ほら選べ」コインはいらだったような声で言った。
ササナは、さらににぎりしめた手に力をこめて、
「選ぶんじゃない、どうするかなんて決まってるんだから、ひっこんでて」
と言い返す。
「なにを、そんなわがままはゆるされないぞ」
「うるさい。だいたいねえ、あんた運命とかえらそうなこと言ってたけど、あんたの気分ですき勝手に選ばせてるだけじゃないの。私はぜったいにカコをおいて帰ったりしないから」
思いがけないササナの迫力に、コインは左目をパチクリさせながら「ううむ」とうなったきり黙り込んでしまった。すっと手にかかっていた力が抜ける。
とつぜんの友だちの大声におどろいて、おろおろしている様子のカコに気づくと、ササナは笑って言った。
「なんでもない、わたしもいっしょにさがすね」
シバタさんは、そのあとぶじに見つかって、カコは元気になったし、ササナも友だちを悲しませずにすんだ。
それから数週間がすぎて、今ではササナは、ずいぶん上手にコインを投げることができるようになった。
ササナに言い負かされておちこんだのか、あれからコインの男はすねたみたいに口をきかない。
ただ彼女がコインを投げると時々、いちどは表を向いたコインが、まるでプイとそっぽを向くみたいに勝手にパタリとうらがえったりすることがある。
つまりそんなおとなげないヤツのことだ。そのうち元気になったら、きっとまた、うるさくいばりだすのにちがいない。