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その幽霊はヤナギになりたい

    川岸にならんだシダレヤナギが、やわらかい枝から葉っぱへと、なでつけるような夜風にしゃらしゃらと鳴っている。
   その音にまぎれるみたいに、
「ねえ、あなたずいぶんと古風なのね。幽霊だからって、そんなかっこうでヤナギの木の下に出てくることないのに」
    と、ヤナギのなかの一本が、すぐそばにいるらしい誰かにむかってたずねた。
    そのとなりに、胸の前に持ち上げたうでから両手をだらりとさげて白装束、青白い顔をしたひたいには天冠という三角の布、そんなすがたをした女の人が立っている。体は足にむかうほどすきとおっていくから、まあ、ういているというのが正しいようだ。
「私、好きでここにいるわけじゃあないから」
    幽霊は、つまらなさそうに答えた。
「ああ、やっと返事してくれたね。一か月かかったよ」
    そう、一か月前にとなりに出るようになった、この幽霊に、ヤナギは何度も話しかけていた。聞こえているのかいないのか、ぼんやりした顔つきで、ただそこにいるばかりだったのが、ようやく答えをかえしてくれたのだった。
「少し顔色が、いや顔色はちっともかわらないけれども。目つきがしっかりしたんじゃない。それでさっきの話だけれど、ふつうはさ、出るならほら、言いにくいけれど、そのう……おなくなりになった場所だとか」
    ヤナギはさらにそう話しかける。
「さあ、気がついたらここにいただけで自分の名前も忘れちゃったし、ずっとぼうっとしてたから。何だか横からやたらと声が聞こえるような気がするなあとは思ってたけれどね」
   幽霊はそう言ったあと、
「あ、このかっこうだって好きでしてるんじゃあないからね。どうせなら好きな服着させてほしいのにさあ」
   と、手をブラブラさせたままで着物のそでを持ち上げた。その様子は幽霊らしい見た目ほどこわくはなさそうだ。それに少し元気になったみたいで、ヤナギはうれしくなった。
幽霊もまた、ぐちを言う相手がみつかったというように、
「ちょっとだけ思いだしてきた。だいたい、わたしが古風なんじゃなくて、ここらあたりがちっとも変わらないんだよ。こんなふうに夜は真っ暗だし、駅まで何にもないし、車は多いのに中々ちゃんとした歩道ができる様子もないし」
   ヤナギにむかってそう言ったあとで、
「だけど、うーん、一番かんじんなことは思いだせていない気がする。わたしなんでここにいるんだろう」
 と、考えこむように目をとじている。
「まあ、こうしてなんだかペアになっちゃったんだから、よろしくね。そうだ、わたしのことはナギってよんでいいよ」
「はいはい、ナギね。それにしても、なんで幽霊と言えばヤナギの木の下って言うんだろうね」
「ほら、わたしらってこう、だらーんと枝をたらしてゆらゆらしている感じがレイちゃんの手に似ているじゃない」
「はあ? レイちゃんって誰よ」
    勝手に名づけられてしまった「レイ」は文句を言いながらも、ナギと名乗るヤナギの話に、あんがい思うところがあったらしい。
「じゃあさ、ヤナギの木が幽霊に見えるっていうならさあ、逆はどう。わたしがあんたみたいにユラユラしてれば、ヤナギの木に見えるのかな」
    と、まじめな顔でナギにたずねた。
「おもしろいじゃない。やってみなよ、教えてあげるから。じゃあ、まねしてみてね。はい、ゆーらゆーら」
「こうかな」そう言いながらレイはからだをゆらす。
「ちがう、もっとこう、風にのって」
「これで良い?」
「うーん、ちがうなあ。いい? 風があたった、と思ったらすぐにゆれるんじゃなくて、すこーしおくれて枝のねもとから先っぽにむけて、順にしならせてゆく感じよ」
「こんな感じ?」
「ああ、手とからだはいっしょにゆらしちゃだめだってば」
   レイは何度もやってみるものの、ナギのお眼鏡にかなわないようだ。そのうち、
「レイちゃんさあ、やる気あんの? ちゃんとやってよね」
「やっているでしょう。ほら」
「できてないから言ってんの。ひょっとして、ヤナギなめてる?」
「はあ? そっちこそ幽霊、なめんな」
    とうとうこんな感じでケンカを始めてしまった。おたがいに「ふん」と言いながら相手からはなれようとするのだけれど、レイはどうやらその場からうごけないらしい。ナギはナギで、当たり前だけれど、どんなにうーんと力をこめて動こうとしたって、根っこがしっかり地面に食いこんでいる。
    そのうち、ナギの枝はザワザワと風とは関係なくみだれ始めるし、レイの髪も雨にうたれたみたいになぜだかビショぬれ。青白い顔は真っ暗な夜の中でみょうに目立って、どんどん幽霊らしくなってくるしで、ナギとレイのまわりだけ、おどろおどろしい冷たい空気がひろがった。どこで誰が鳴らすのか、何だかまわりで「ヒュードロドロ」なんて音まで聞こえはじめたようだ。
    そこへ、ひとりのよっぱらった女の人が通りかかった。
   お酒でほてった顔に届いたひんやりした空気にぞっとして目を向ければ、そこにはぶきみな音につつまれて、ふんいきたっぷりに浮かび上がる幽霊のすがた。
「いやあ、出たあ!」
 さっきまでのふらふら歩きはどこへやら、ものすごい勢いで逃げて行ってしまった。
「あはは、レイちゃん。あのお姉さん、もう見えなくなっちゃったよ。中々の迫力だったじゃない。ヤナギのふりするなんてもったいないかもよ」
 ナギはさきほどまでのケンカもわすれたみたいに、おかしそうに言った。
 ところがレイの方は、「はあ、わたしやっぱりこわがらせちゃうんだなあ」と、すっかり落ち込んでいるようだ。それを見たナギは、
「レイちゃんはさ、見た目以外は幽霊らしくないよね。誰かをうらんでいるみたいな感じもしないし、何でまた、ここにいるんだろう」
「分からないけれど、こわいものになんてなりたくないんだよ」
「だからヤナギになりたかったっていうの」
「まあね」
    そんなことを話しているうちに、夜はだんだんと明けてゆく。

    空が白んでくるにつれて、レイのすがたは夜の間ほど、はっきりとは見えなくなってきた。よく見えないだけで、ずっとその場にはいるのだけれど。
    夜なら暗くてこわい道であっても、午前八時にもなれば、駅へ向かう人や、学校へ向かうひと、仕事に行くひと、それなりにたくさんの人がゆきかいはじめる。
 そんななかに、子どもの手を引いて歩くひとりの男の人がいた。
「ここらあたりはあんがい車が多いんだ。今日は初日だからいっしょについていけるけれど、明日からはひとりで行かなきゃならないからね、他の子たちもいるだろうけれど、気をつけるんだよ」
    そう言い聞かせているのは、どうやら子どもの登校につきそうお父さんのようだ。レイは親子の顔を見るなりハッとした表情になった。
「レイカさんもしんぱいしてたんだ。この道はあぶないんじゃないかって」
 その男の人が言うと、「ふうん、お母さんが」男の子は少しさびしそうにお父さんの手をぎゅっとにぎった。
    親子はナギたちの目の前を通りすぎてゆく。
    もう、よほど気をつけて見なければ、そこにいるのがわからないけれど、レイはナギのとなりで親子の方をじっと見つめたまま、その背中を見送っていた。その様子を見ていたナギは、やがて考えがつながったというように、
「レイちゃん、何か思いだしたんでしょう。ひょっとして、さっきの親子?そうすると、レイちゃんってほんとうにレイちゃんだったの」
 とまくしたてた。レイはうなづきながら、ふくざつそうな表情だ。
「私、しんぱいでここに出てきちゃったんだね。だけど、こんなすがたを子どもに見られたり、こわがられたりしたら、いやだしなあ」
「あんがいよろこぶかもしれないけれど……まあ、それでヤナギの木みたいになりたいと思ったのかもしれないね。でもレイちゃん、ヤナギの才能ないしなあ」
「はあ? そんなの、分かんないでしょう」
「あはは、だからさ、いっそのこと、幽霊らしく、わたしにとりついちゃえばいいんじゃない」
「どういうこと」
「つまり、わたしの体を半分かしてあげるって言ってんの。しんぱいなくなるまでさ」
 ナギはそう言って笑った。

    川沿いの道にはシダレヤナギが立ち並んでいる。
その中の一本が、今日も朝から何だかさわがしい。
「何だかやっぱり、きゅうくつになったかも。レイちゃんちょっとすみっこいってよ」
「うるさいなあ。あ、うちの子が来た。ああ、ほら後ろから車が来てる」
    男の子はうしろを見るとさっとわきへよった。
「ああ、えらい! いっしょにお友達の手を引いてあげてる。ねえ見た?」
「知らないよう。毎朝こんななの、かんべんしてよね」
    そんなことを言い合う彼女たちの前を男の子は歩いて学校へ向かう。レイは知らないけれど、男の子は他の並木より、いつもしゃらしゃらと葉音が大きい一本のヤナギの木がなぜだか気になっていて、今日もそのヤナギの前を通りながら、(行ってきます)と心の中であいさつするのだった。

    季節は春、ヤナギたちは、その枝に黄緑色の花を小さく咲かせて風にゆれている。

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