見出し画像

「ジャケ買い」と「大人の嗜み」

今から25年くらい前だろうか、最近では「Y2K世代」なんて言われてるけど、ちょうどその頃が僕の青春時代の真っ只中だった。

音楽について言えば、今はスマホのアプリから、各人の趣味・趣向に合わせて、コスパ良く・タイパ良く「配信」されてくるけれど、当時の僕ら(H世代)の音源と言えば「CD」で(ちなみにS世代は「カセットテープ」)、町の本屋の隣に併設されたCDショップや、ちょっと都会に出てタワーレコードやHMVなんかに出向いては、お気に入りのCDを物色したものだ。

予めお断りしておくと、現代のコスパやタイパを否定するつもりは全くないし、良き時代のノスタルジーに浸るつもりも全くないのだが、そうやって欲しいモノを探し歩いて現金を支払って家に帰り、CDデッキにCDをセットしてスタートボタンを押して聴くという一連の所作に、音楽を聴いて楽しむということの価値(ワクワク感)が包含されていた。

そんな時代、CDの買い方の一つに「ジャケ買い」というものがあった。当時は海外から(それこそ欧米に限らず世界中の至るところから)CDが輸入され店頭に並べられていた。まだまだ、世界からの洗礼や影響を受けたいばかりの僕は、そのミュージシャンがどんな音楽を奏でるのか、彼らがどんな人たちなのかよく分からないけれど、「CDのジャケットが格好良い」「未知なる文化に触れて悦に入る」ただそれだけを目的にCDを買った。僕はそれを「ジャケ買い」と定義しているわけだが、今も部屋には聴かないのにジャケットが格好良いから飾ってあるCDがあったりする。

話は変わるが、僕は以前かなりのヘビースモーカーだった。けど、10年以上も前に娘の出産を機に煙草をやめた。煙草の値段が高騰してきたのも理由の一つでもあるし、自身の健康を意識し始めたのも理由の一つだ。
だが、ここに来て(中年の危機を味わう中で)ストレスにより喫煙が復活した。持て余す時間つぶしの友でもあるし、精神衛生の行為でもある。
この10年以上の間、煙草の世界も電子化が進んだが、変化をあまり好まない僕はまずは吸い慣れた紙煙草「メビウスの1mg」を吸いまくる日々が続いていた。

そう言えば、煙草の自販機って最近見なくなったけど、コンビニのレジの奥には相変わらずいろいろな種類の煙草がストックされている。そんなことを思いながらふと…この無職生活による価値観の変化なのか、内面の変容なのか知らないけれど、「煙草をジャケ買いしてみよう」という気になった。

「プリミティブ」「オリジナル」「スタンダード」と言った言葉を好み、新しい変化をあまり好まない僕にとって「煙草のジャケ買い」とはあまりに青臭くて…でも、なんだか若いあの頃の自分に戻ったようでワクワクした。
コンビニのレジ奥に鎮座する煙草群をまじまじと見ながら、今回僕がチョイスしたのは「CAMELの1mgメンソール(スリム)」。いやいや、CAMELのパッケージデザインは相変わらず格好良い。F1が好きな方ならご存じかと思うが、中嶋悟がCAMELカラーのマシンに乗っていたあの頃から格好良い。

さて、世間を大上段から斬るような大した人間じゃないことは自覚してるつもりだが、最近の生きづらさの要因の一つは、世の中を白黒・善悪・ゼロヒャクって決めたがり過ぎなんじゃないか…ってことにあるんじゃないかなぁ。もちろんそれは、SNSを始めとして玉石混交に「情報が降ってくる」時代と無関係じゃないと思う。でもさ…別にいいじゃないか。今は喫煙ルームがあって、そこでひっそり煙草を嗜んでささやかに幸せを感じる程度なら。
「大人の嗜み」って言葉があるけれど、僕は真っ当な大人(夫として父として社会人として)になろうと躍起になり過ぎたあまり、「大人の嗜み」って言葉を忘れていた気がする。今さらヘビースモーカーに戻るつもりはないが、嗜む程度にもう一度煙草を楽しもうと思っているよ。

…そんなことを思いつつ、今日は「ホニャララ珈琲店B」の喫煙専用室にて、このエッセイの脳内校正をしながら幸せな時間を過ごしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?