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上海で我が家を救ったある単語
主人は、紙切れにある文字を書いて、掃除のおばさんに手渡した。
中国人のおばさんは、紙をちらっと見ると「わかった」というようにうなずき、あるものを取りに奥の方へ歩いていった。
私と主人は、顔を見合わせた。
良かった! 助かった!
安堵感がこみあげてくる。こうして我が家のピンチは乗り越えられようとしていた。
この文は、ふとした拍子にゲットした雑学が、遠い異国の地で思いもがけず身の助けになることを示す体験談である。読者の一助になれば幸いだ。
夫と小学校2年生の息子の3人で上海を訪れたのは、もう10年以上も昔になる。
急成長を続けるお隣の国のエネルギーを、ぜひ子どもに肌で感じてほしかった。
私たちは、小路にショップがひしめく田子坊(でんしぼう)で買い物を楽しみ、当時上海で一番高いというビルの展望台に上り眺めを楽しんだ。食べ物もとにかく美味しい。
楽しい旅行に暗雲がたれこめはじめたのは、三日目のことだ。
朝から息子が「おなかが痛い」と訴えだしたのだ。中国の水にあたったらしい。
その日は、息子の体調を見ては休憩し、おそるおそるスケジュールをこなした。
中国のトイレ事情は、未知だった。
私と夫は、いざというときには「ユニクロ」「スターバックス」といったお馴染みのチェーン店のトイレを使おうと申し合わせた。
そこなら安全かつある程度の清潔さは保たれているはずだ。
しかし結局、その日は夕方まで、街中のトイレを使う機会はなかった。
三日目の夜には、私が特に楽しみにしていたイベントがあった。
南京路にある人気中華料理店で食事をする予定だったのだ。
この予定を何としてもパスしたくなかった私は、午後にホテルでの休憩をしっかり息子にとらせ、店に向かった。
お店の料理は、噂にたがわず美味しかった。
ショーロンポー、上海焼きそば、五目チャーハン、ホンシャオロウ(豚の角煮)。
息子も目の前の美味しい料理をパクパクたいらげている。子どもは現金なものだ。
深い満足感とともに、店を後にした私たちだったが、悲劇が待っていたのはそのあとだった。
「おなかが痛い」
恐れていた息子の訴えが始まった。
そのとき私たちは、南京路の真ん中にいた。
恐ろしい数のひとたちが、うねるような活気とともに道を闊歩している。
華やかなネオンが輝き、聞きなれない異国の言葉がガヤガヤと耳に飛び込んでくる。
非日常的な異空間の中で、一刻を争うのっぴきならない問題にさらされていた。
まずは、日本のチェーン店探しだ。「吉野家」でも「マクドナルド」でもいい。
しばらく歩くと、こうこうと輝く「ユニクロ」の看板が救世主のように目に飛び込んできた。
やった!助かった。
私たちは、店にとびこんだ。トイレの表示もわかりやすくて、シンプルだ。
なんとありがたい。男子トイレは3階だ。よし!
たどりついたトイレは清潔そうだが、ややそっけない雰囲気も漂っていた。
しかし、十分ではないか。
息子といっしょに慌ただしくトイレに駆け込んでいった主人が、青い顔で戻ってきた。
「トイレットペーパーがない」
息子は、すでに体を九の字にまげて、あやしげなポーズをとっている。
たしかティッシュがバッグにしのばせてあったはず。私はバッグをまさぐったが、茫然となった。ない。入れ忘れたのだ。
ティッシュがないことを知った主人は、私をなじった。
「どうして、こんな大事な時に持ってこないんだ。女なのに」
確かに私も悪い。しかし、主人も持ってきていないではないか。
なぜ、わたしだけが責められる?しかも「女なのに」とは?
「あ、あなたが持ってくればよかったでしょ!」
ストレスMAXだったこともあり、私の声はかなり大きかったと思う。
親たちの剣呑な空気にのまれた息子は、その場にしゃがみこんでしまった。
日本人親子のただならぬ様子に、先ほどから中国人の掃除のおばさんがちらちらと視線をよこしている。
彼女にトイレットペーパーがもらえたら。でも、なんていうんだろう。
グーグル翻訳もない時代のことだ。
そのときだ。主人がやおら紙を取り出すと、なにかの単語を書き付けた。
「手紙」
私が不信感いっぱいに見つめていると、彼は掃除のおばさんに近づき、紙を手渡した。
おばさんは力強くうなずき、どこかから、手にティッシュらしきものをもってきて渡してくれたのだ。助かった!
その後、主人と息子が「手紙」とともに、トイレに飛び込んでいったことは言うまでもない。
危機一髪で難をのがれた息子は、大惨事にはいたらなかった。
しかし、「手紙」がトイレットペーパーを意味していたとは。
同じ漢字圏の中国語と日本語の不可思議な関係性を思う。
主人は、テレビのバラエティ番組で、これを知ったという。
気軽に見聞きするこうした雑学がいつどこで、役立つかわからない。
そう、しみじみ実感した出来事だった。
雑学をあなどってはいけない。
もしかしたら、いつの日か思わぬ形で、あなたを困った事態から救ってくれるかもしれませんよ。