読書は積読。
最近、本を読むと元気になる。
KindleやPDFでは得られない快感。
紙の物理的な意味での書籍は何がちがうのだろう。
いくつかの仮説があるのだが、どれも決め手に欠けている。
いくつかの通説を検討してみたいと思っている。
1つの仮説は、積読にあると思う。
電子書籍は、とにかく購入した事も忘れてしまう。
検索は便利で、本棚や押し入れの段ボールの中を流す手間は無いかもしれない。
だけど紙の本、ここでは物理書籍と呼びたいのだけど、これはもう購入後にも「偶然の再会」がある。
こんな本、どこで買ったっけ?
Kindleにも早い数千冊がライブラリーにあり、hontoや紀伊國屋書店の電子書籍もたくさん所有している。
もう、どのアプリで購入したのかもわからず、そのアプリ自体にもアクセスせずに存在は忘却の彼方……。
そう、
読書の本質は、積読なのだ。
積読は、物理的に部屋を占有し、重さでフローリングが心配になったとしても、大変に贅沢な行為である。
読書の時間が贅沢であるのは、そうした積読の効用なのかもしれない。
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