能登町ボランティア参加記録【令和6年10月6日】#1
「怪我が無いようにねー、いってらっしゃいー」-能都町ボランティアセンター職員
地震、豪雨と立て続けに災害に見舞われた奥能登の地域。
能登町でも未だに被災したままの家がある。1日ではあるが能登町社会福祉協議会が主催しているボランティアに参加してみた。
集合時間9時に間に合うように現地に行くと、既に20人程度の方が用意されたパイプ椅子に座ってセンター職員によるブリーフィングに参加していた
。
この方々はいわゆる「ボラバス型」というボランティアバスを使って集団で来所された方々だ。みんな、ヘルメットなどにこれまで参加していたであろうボランティアのステッカー、シールが貼ってあり、気合十分だ。
自分は近くのセンター職員を見つけて説明を受けることができた。慣れているのだろう、端的に要領よく説明をしてもらった。
その間、班分けがなされ、次々に用意されていた軽トラックに乗り現場に向かうボランティア参加者。
最後の軽トラックに乗せてもらい(助手席)、センターを発進した。「怪我が無いようにねー、いってらっしゃいー」。明るい声に推されて現場に向かう。。
「昔の人だから、みんなとってあるねえ」-立会人の家主の親戚の方
現場に到着すると、立会人の方にみんなで挨拶。70~80代のご夫婦だろうか。作業を始められていたようだ。
今日の作業は地震災害に見舞われたこのお宅の破損した家財道具の破棄。台所と玄関が中心とのこと。
ご夫婦が要るもの、要らないものを指示して、私たちがどんどん軽トラックに廃棄物を載せていく。
地震発生後、もう家主は別のところにおり、現住宅が管理できないためご夫婦が物を選別していく。
歪んだ食器棚の中のお皿はほとんど割れており(落ちているものもある)、これらは怪我しないように土嚢袋に入れていく。そして食器棚ごと大人数人で外の軽トラックに運ぶ。
襖も折れてしまい、捨てるしかない。こんな感じが続く。
箪笥だろうか。「もう中も捨てるしかないね」。力なくお母さんが話す。
しまったままの箪笥の引き出しを二人がかりで開けると、中にははがきや何かの明細、ビール券、農協の書類など大量に出てきた。
なんだか私の祖父母の家のような懐かしい書類のにおい。
それらを一旦出すと、山ほど封筒が出てきた。中身は旅行や風景などの写真。
「これ写っているのあんたじゃないの?」「ああ、そうねぇ。自分らが知らない写真だね」
「この書類とかまだとってあるんだね…やっぱり、昔の人だから、みんなとってあるねえ」。
そんな声が聞こえていた。
軽トラックに積み込むだけ積み込み、ボランティアセンターに連絡すると、本日の1件目の作業は終了で、災害廃棄物仮置き場に向かうよう指示があった。
ボランティア「もう行きます。何かあったらセンターに連絡してください。」
災害廃棄物仮置き場に向かう。
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