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金沢の居酒屋で出会った能登の方(R7.2.1)

寒い夜の金沢散策

土曜日の夜。
外は気温2℃。風が強いので体感温度はかなり低く、寒く感じる。
友人と石川県金沢市の繁華街片町を回っていた。
あんまり今日は出歩く人が少ない気がする。この寒さの中では出歩かないか。

何件かお店を見て回り、席が空いていたところを発見。
カウンター6席くらいのお店で予約してなかったが、店員さんとお客さんは温かく迎え入れてくれた。入れてよかった。

温かいおもてなしと食事

「いらっしゃい、そこ座って」
自分たちが入ると満席になった。さっそくビールを注文し、メニューを眺める。寒いし金沢おでんがいいかな。焼き鳥も食べたい。
友人と話しながら追加注文していく。
突き出しにフグが出てきた。やはり海鮮の街か金沢は、すごいな。

ビールを飲んで、おでんをつまんで、ほっと一息する時間だ。

「今日はどっからきたんですか?」

隣の若い常連さんから話しかけられた。多分、金沢市の方。
とっさに「珠洲市ですよ」と答える。

「え、だいぶ遠いですね。。金沢もあのときめっちゃ揺れましたよー。大変でしたね。」

まあ、車でも珠洲から金沢までは2時間半はかかるし、今の時期は雪が降っててスピードは落として走るからもっとかかるし。確かに遠いなあ。

常連さんとは周辺の飲食店の話などで盛り上がったが、しばらくすると次のお店に行ってしまった。

店員さんとの対話 – 能登への想い

「君、珠洲市から来たの? 僕は七尾市出身。珠洲市蛸島にもよく釣りに行っているし、現地はどんな状況かは知っているよ。今はだいぶ良くなったかな」

店員さんから話しかけられた。能登半島にゆかりのある人だった。
聞くところによると、元ペンキ職人だったそうで、能登地域でもよくお仕事をされていたらしい。
昔の仕事柄、土木関係の業界にも明るく、災害調査や復旧事業の知識は深い。
コンクリート等の建築資材の逼迫状況などよくご存じでおられる。

テレビには被災地に今季最大の寒波が来るという予報が流れていた。
外の暗い海岸で現地のリポーターが状況を伝え、深刻そうな顔のコメンテーターが映る。

「ここのお店もね、震災から少しして開けたけど、工事関係者や役所の人、ボランティアの人が良く来てくれたよ。復興に関わる人は金沢を拠点にしてたからね。まあ、今もかな。」
「現地の情報は彼から詳しく教えてくれる。知り合いも珠洲や輪島に居るし、身近に感じてるから」
「ここでも魚扱ってるし、漁港とか見に行ったのよ。そしたら海底隆起して機能が低下したところもあってな。もう陸地になってんの。漁師さんの中には家も崩れた人もいるだろうし。」

「その人たちに無念を考えると、言葉にならないね。。」

テレビを時折見ながらぽつりぽつりと店員さんが話してくれた。
ルーツが能登にある方だから他人事とは思えないのだろう。

能登を想う気持ち

店員さんが話しているのを聞きながら、自身の珠洲での生活を重ねる。
自分は珠洲生まれではないが、珠洲に住んでからはより一層能登や珠洲を意識するようになった。
今ではいきつけの飲食店もあり、地元の顔なじみの人も増えた。「宝立」や「清水」など地名も覚えている。

災害調査等の復興に関する仕事をしていると、地域や自然も思い出すし、なにより地元で出会った人の「顔」が脳裏に浮かぶようになった。
始めて会う人もそんな方たちの知り合いかもしれない。

そう思うようになってからは震災後の厳しい現実もあるが、それを見つめる人のために何かできることはないかなと考えるようにしている。









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