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価値からの逃走

幼い頃、他者と比較される経験は、知らず知らずのうちに「自分は劣っているのではないか」という感情を心に刻むことがある。その劣等感が、今の生きづらさの根源にあるのではないかと考えたことはあるだろうか。自分が「価値がある」と感じるために、他者との比較を繰り返し、優劣を絶えず意識しているのかもしれない。そして、それが自らの価値基準を絶対視し、正当化する行動に結びついている。

劣等感から解放されたいという強い願望があると、そのために競争や努力に頼り、成果によって自分の価値を証明しようとすることがある。このような考え方は「能力主義」や「優生思想」と結びつきやすく、成果や能力こそが人間の価値を決めるという信念を強化する。しかし、それにより生まれるのは「努力し続けなければならない」というプレッシャーであり、その結果として自己を疲弊させることになる。比較されてきた経験が根付くと、劣等感を抱き続け、それを克服するために絶え間ない努力と成果を追い求めてしまう。

自分の価値を特定の基準で絶対視し、その基準で他者と自分を比較することから生まれる劣等感を拭い去ろうとするとき、私たちは外的な成功に頼ることが多い。お金、地位、そしてパートナーでさえも、自分の価値を測るための「アクセサリー」として扱われがちだ。成功した人生や魅力的なパートナーを持つことで、自分は特別だと思いたい。それによって劣等感を埋めようとする。しかし、こうした外的な評価基準は一時的な安心感しか与えず、内面的な充足感を得ることはできない。その基準が変わるたびに自分の価値も揺らいでしまうからだ。

君の価値を証明するために、パートナーをアクセサリーのように見てしまうことで、大切な人を傷つけていることに気づいてほしい。君の自己肯定感のために、彼らが無意識のうちに利用されているとしたら、その関係に本当の愛や尊重は存在し得ない。それがパートナーに与える痛みや疎外感を考えることが、真の意味での愛を見つけ、築くための第一歩になる。

人間の価値とは、絶対的なものではなく、その時々の状況や文脈に応じて生まれる「現象」である。絶対的な基準など存在せず、それはただその瞬間にそう見えるだけである。だからこそ、自分の価値を外部の基準で測ろうとするのではなく、内面から築くことが大切だ。自分の価値が現象に過ぎないことを自覚し、その束縛から逃れることで、真に自由で充実した生き方が可能になる。

劣等感から解放されること、それもまた一つの「やりたいこと」であり、人生のテーマとなりうる。幼少期に植え付けられた比較の傷を見つめ直し、それに振り回されない自分を作ることが、今の生きづらさからの解放につながるかもしれない。そして、自分の価値を他者の評価でなく、自分自身で認めることができるようになれば、君はもっと自由に、自分らしく生きられるはずだ。

君の価値は、他者の基準や社会の期待によって決まるものではない。君がどう生きたいか、何を大切にするかによって自分自身の価値は生まれるのだ。絶対的価値から逃れ、自分の価値観に基づいて生きることが、劣等感から解放されるための第一歩であり、君が本当に望む人生を見つけるための鍵である。そして、その道のりを歩む中で、君の大切な人たちとの絆もより深く、健全なものへと育つことを願っている。

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