閉じるということ
立つ鳥跡を濁さず
水鳥が空に立ち去る様子が語源とされるこの言葉
飛び立つ際の水面の美しさから例えられ
見苦しくなく引き際が肝心だということなんだろうね。
人に最後残るものは執着だと感じる
執着は手放したようで実は手放せてなかったりする。
忘れよう、切り離そうとしても
執着は残るのである。
執着はあるときには活力になったりするので
悪いものでもないのだが
強すぎると、未練や迷いが生まれ
これまた厄介なものでもあるのだな。
さてさて、この執着をどうすればいいのだろうかと…。
一番早いのが認めて食っちゃえばいいんだよ
そうすれば案外と「ポワ〜ン」って無くなってしまう。
もういろんなものを閉じ始めてるんだけど
『「サヨナラ」ダケガ人生ダ』って
一人呟いてカッコつけて嘯(うそぶ)いても
そんなに簡単に終わらないのが人生で
映画のラストシーンみたいなことにはならなくて
物語が終わっても
実際にはその後も続いているんだな…って
思うんだよね。
案外、閉じかけた頃に
想像もしていなかった出会いがあり
もっと長生きしたいなぁ…って
思ったりするんだよね。
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません…って。
…………………………………………………………
さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう
さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう
さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません
「幸福が遠すぎたら」
寺山修司