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【4話】最初の壁〜如何にして安定した美味いスープを大量生産するか【最初の壁】如何にして安定した美味いスープを大量生産するか〜

マルハの関連会社からの出資を受け、翌年平成6年2月に会社を設立しました。


この時の役割は、「味は親父さん」、「店舗運営は本間」、「ファイナンスは出資会社」の三本柱で経営することとなったのです。


そして、会社設立時の挨拶の時もよく覚えていることがあります。

当時、中部さんの上司にあたる小宮社長と初めてご挨拶をしたときの事です。


「本間くん、今日から頼むな。今後ビジネスで困ったことがあったらいつでも相談しなさい」


「それでは…、一つお願いがあります。」


「ほぅ…」

いきなりの進言に小宮社長は腕を組んで答える。


「僕に小さな机をください。今後、店舗展開の戦略や、各種マニュアルなどを作っていく必要があるんです」

当時の本間は真剣そのものでした。


「馬鹿言うな!ラーメン屋に机は要りません。画板でやりなさい!」


「画板って……ッ!!…ブッ!!」

画板という言葉に本間は大爆笑。そのまま社長室で腹を抱えて笑ってしまいました。


画板でやれなんて言う社長は後にも先にも、小宮社長くらいのものです。

そんな強烈な印象での会社設立となりましたが、机のもらえなかった本間は仕方がないので、画板で計画書を練っていくのでした。


そして、その年の5月30日に「すべての道は日本橋につながる」。

これをコンセプトに、日本橋に『福のれん』1号店を出店することとなったのです。


しかし、ここで問題が発生しました。


「原料不足」


つまり、スープ作りに必須となる豚骨(とんこつ)の数が全く足りなかったのです。


例えば、「赤のれん」では、1日で100kg以上、1ヶ月で3トン以上の豚骨を使っていたので、この量で店舗展開するとなると、とても町の精肉店から仕入れられる量ではありませんでした。


しかも、これを100出店する計画なのです。1ヶ月に300トンの豚骨が必要でした。


そんな問題に直面し、実験的にいろんなお店から豚骨を仕入れ、実験的にスープを炊いていたある日のこと、


「本間―ッ!!なんだこのスープはーッ!!!」


親父さんの大声で、夜中のスープ仕込みを終えた本間は飛び起きました。


「えっ、な…、なんかやりましたか?」


「どこから仕入れてきやがった!なんだこの豚骨は!!」


本間は入社して2ヶ月でスープ作りをマスターしていたのですが、原料の目利きはまだまだでした。


「飲んでみろ!」


そう親父さんにせつかれ、恐る恐る飲んでみると、


「あれ…、同じ豚骨を使っているはずなのにいつもと全然違う…」


そう、この時は安定的に大量仕入れができる『冷凍物』の豚骨を使って炊いた時のことだったのです。冷凍物は保存が効くため大量仕入れが可能になる反面、いつ作られたのかもわからない時間が経って劣化した原料だとも言えるものでした。


本間が愛した「赤のれん」の味を出すためには、こういった劣化商品は一切使わず、鮮度を重視した生の原料を仕入れることで、上質な甘みを最大限引き出していたのです。


「あと、お前…ラクをしようとしただろう?」


本間はドキリとしました。


なぜなら、冷凍原料を使うということは下処理済みの原料を仕入れるということでもあるのです。
これが生の原料を使う場合、脱血(血抜き)の下処理を綺麗に施さなければ豚骨の独特の臭みやえぐみが出てしまうのです。


つまり、「赤のれん」の味を出すためには、新鮮な原料を使い、丁寧な下処理を施さなければならなかったのです。これには、原料の仕入れだけではなく、技術的な教育という壁も発生してしまいました。


「でも、俺がなんとかするしかない…」


頭を痛めながらも、本間はそう決意するのでした。


その問題をどうやったらクリアできるのか・・・。


それからというもの、本間は毎晩店を閉めた後、ラーメン経営の本から、ビジネス書、フランチャイズ飲食店の本を読み漁り、どこかにヒントが隠れてないか探し続けましたが明確な答えは持てませんでした。


そんなある日、


「本間くん、今から私のオフィスに来れますか?」


出資者中部さんからのお電話でした。


「なんだろう・・・店舗展開が難しいなんて今更言えないしな…。感づかれたかな?」

ドキドキしながら、中部さんのオフィスを訪ねました。


「何か問題は発生していませんか?」

開口一番の一言でした。


「えぇっと・・・」

どうしたものかと悩んでいると、それを見透かすかのように、


「原料ですよね?そこはこっちで解決しておきました。ここの担当者と話し合ってください」

そう言って渡された名刺は日本ハムの副社長の名刺でした。


実は、中部さんは元々学生時代に『赤のれん』でアルバイトをしていたのです。


それで親父さんとも仲が良く、今回の出資の話に発展したのでした。


しかもアルバイトをずっとしていたからこそ原料の問題がネックになることは把握しており、最初の電話の返事に半年掛かったのは、裏でこの原料確保に動いていてくれたからこそだったのです。


「中部さん、すげぇ・・・」


本間は大企業の経営陣の凄さにただただ圧倒されるばかりでした。


実は中部さんの年齢は本間より年下ですが、出資から原料確保など本間にいつも道を開いてくれる方で、何年経っても本間は一生頭が上がらない人なんだそうです。





・・・つづく

*この物語は、ラーメン屋の代わりに“クロコ”としてスープ作りに命を燃やす男たちのストーリーです。今では当たり前となったラーメン屋のスープ外注を請け負う「業務用ラーメンスープ」ですが、それがどうやって生み出されていくのかの誕生秘話です。

*本記事はクックピットSTORYから抜粋したものです。
URL:https://cookpit.jp/story/

【会社情報】
クックピット株式会社
『ラーメンを健康にする唯一のスープメーカー』

【執筆】
取締役副社長 外薗史明


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