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初めて言語化できた話

こんばんは。水曜日のわたしです。

滞在時間24時間の超ー弾丸で沖縄に行って帰ってるところです。

沖縄に行ったら、ひめゆりの塔にはできる限り行きたいって思ってて、今回も行きたかったんですけど、なんせ8時間到着がおくれたもんで😅(詳しくはこちらに)行けず・・・。

けど、たまたま通りかかった対馬丸記念館に行けたことでずっと言語化できなかった気持ちが言語化できました。わたし的にはけっこう大きな出来事なので書きます!


初めて行ったときから、太平洋戦争の沖縄戦のことがすごく気になって、沖縄に縁もゆかりもなかったけど、どうしても人ごとには思えなくて、ひめゆりの塔の他にも、平和祈念公園や、その周りの「◯◯の塔」も何ヶ所も行ったし、陸軍病院跡や海軍壕、渡嘉敷島の集団自決のあった場所などなど、沖縄の戦争に関連する場所はけっこう行ったと思います。
特にひめゆりの塔には思い入れがあったので、どうやったら資料館の解説員になれるか問い合わせたりしたこともありました。

なんか、行かなきゃって思うんです。
見えないものを感じる力とかないけど、行かなきゃって。

なんでこんなに気になるのか20年ぐらいけっこう謎で、今まで説明できなかったけど、なんと今日行った対馬丸記念館の冒頭のメッセージに答えが書いてありました。

↓抜粋して要約すると↓
戦争中だって夢はあった
夢って生きていればこそ
犠牲になった彼らのなくしてしまった夢
持ってたであろう未来への夢
その「夢の未来」に私たちは生きている

対馬丸記念館の展示の最初のメッセージ

だから、わたしには精一杯この「夢の未来」を生きる義務があると思う。幸せなことに、今は自分が願って行動したら叶えられることがたくさんある。まさに夢の未来。それができる時代に生まれて、元気な心と身体があるんだもん、やんなきゃ。

こんなこと言うのは不謹慎かもしんないし、勝手な解釈かもしんないけど、沖縄戦のことに触れていると、だれかの夢のバトンを受け取ってることや、どんな時代のどの場所にだって、1人1人の人生があって、夢や思いがあったことにちゃんと向き合えます。
なんというか、絶対に忘れたくないことなのに、毎日のさまざまなことに追われていると忘れがちになることを、強制的に思い出させてくれるんです。

初めて言語化できた。
対馬丸記念館行けて本当によかった。

忘れたくない、大切にしたいこと。

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