見出し画像

らせん状のような縁

ご無沙汰している人から新年の挨拶メールがきた。連絡が途絶えて2年くらい、会わなくなってもう3年になる。

出会いは、初めて弾き語りをしていた頃だった。その頃、私も初めての世界で出会う人皆、新鮮だった。かと言って今思えば、深く話せた人は、その人以外いなかった。それだけでなく、その人のギターで歌う自分はとても自然で同じ空気感を持っていた。なかなか出会えるものではないから、ずっと続いてほしかった。

その願いもかなわず、1年くらいしてその人は近隣県に引越しすることになった。それから間も無く、場所は分からないけど何処かに引越して、いつの間にか連絡が途絶えた。自分から連絡すればいいのだけど、もう新しい道を見つけたのだと思って、何も言わずそっとしておいた。

そうしているうちに、私のLINEの連絡先が変わる。その理由は機種変更時に引継ぎをうまくできなかったせいだ。使えなくなったと思い、新しいアカウントを作成し、連絡とる方だけ連絡した。その中にその人をいれなかった。縁があればまた、何かの形で会うだろうと思うようになっていた。

それから2年。その古いスマホ。実はWifiを使用すればLINEが使えることを知る。今年、新年早々、Wifiでつないでみた。どきどきする。他にも伝えていない人もいたので連絡くれてたらごめん、と思いながらひらく。そしたらその人から連絡がきていた。偶然、今年の新年の挨拶メールだった。

びっくりしたと同時にうれしかった。連絡がはいってたのはその人だけ。

人の縁というものはわからない。
自分ではもう会うこともないだろうと思っていても、向こうからふいに連絡がくる。逆につなぎ止めたくても、相手が手からこぼれ落ちていくこともある。

連絡がなかった理由など、ひさびさのやりとりでわかった。そして大人になったなと思った。あの時見えなかったことも見えて、私も少しは大人になった気がした。

人の縁はらせん状のようではないだろうか。縁ある人は何度でも出会う。で出会っては離れ、また出会う。DNAのように、何度でも。

再会がたのしみだ。