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「将来の夢」を表現することに悩んだ過去の自分について
小学6年生。
将来の夢が明確にないことが恥ずかしいと思っていました。
小学校高学年になるにつれて、将来の夢を表現しなければならない、言語化しなければならないタイミングが多くなり、
多分嫌でした。
文集、授業内での課題、授業参観のための文章作り、そして卒業アルバムの裏表紙には、自分の将来を表現した道具を身にまとい、写真を撮らなくてはいけなかったのです。
みんな、夢を持っている。
みんな、明確に言語化できる何かをすでに持っている。
ように見えていた私は焦っていたのかもしれない。
きっと、夢を表現できる子の中にも真剣に考えていない子だっていたと思います。
楽観的に考えられる子がいたと思います。
野球を習っているから“野球選手”
と答えられる子がいっぱいいたと思います。
でも実は、きっと私みたいな心境の人もいっぱいいたのではないかな、と思うのです。
親に、なりたい自分をさらけ出すのも気が引けていた時期でした。
というか、明確に“なりたい何か”がない自分を
小学生なら「医者!」「お花屋さん!」「スポーツ選手!」
みたいな、よくあると言っちゃよくある何かを持てていない私を
なんで?何かはあるやろ?
と思われるのが怖かったのだろうなと思います。
そんな中でも実は「作家」
がちらついていた時期ではあった気がするのです。
読書感想文を書くのが好き。
人より文字として表現することが多分好きなんだろうな。
というそんな程度の私の心には
夢が「作家」でも良いのではないか。と思ったりしていたはずです。
昔よく流行っていた“プロフィール帳”に将来の夢を書く欄が必ずあったと思います。
自分のプロフィール帳に自分のプロフィールを書くときに、
将来の夢
「さっか」
と書いたことが一度だけあります。
別に誰にも見られないのに、見られても誰も何もどうにもならないのに、
なぜか恥ずかしくて、もし家族に見られたら・・・
なんてことを思って、
数日経った後、
「さっか」→「さっかー」
って棒線を自分で書き足しました。苦笑。
サッカーにしといたら、意味が分からなくて、誰にもばれやしないのではないかと思いました。
何でも秘める癖がある私。
否定されるのが怖かったのかもしれないです。
結局、小学6年生の卒業アルバムの裏側には、
フライパンを持ち、エプロンを巻いてポーズを決めた私が写真に写っています。
とりあえず料理と食べることが好きだったから。
それだけ。
何にしたら良いのか悩んだ気がします。そしてその悩む時間が苦痛だった気がします。
夢は持つべき、夢はなくても良いんだ、夢はいつか見つかる。
とかそんなことはどうでも良いのです。
今の私には語れる程には
「夢」について理解できていません。
でも、夢を持つ自分に、夢がなくて焦っている自分に
自分で自分の蓋を閉める必要はないことだけが、21年間で生きてきて理解できるようになったこと、小学生の自分に教えてあげたくなったことである気がします。
ただ自分が自分の想像する夢の
”第一応援者” であれば良いと思う。
夢が無い自分への
”第一肯定者” であれば良いと思う。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
良かったら私のプロフィールをちらっとのぞいてみてください。