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愛が身近に溢れていることに気づいた
この境地に達したのは、本当につい最近のことで。
私は元々繊細な性格で、人の表情とか細かい仕草で
相手の気持ちがわかってしまう(本当にわかっているかはさておき・・・)
そんな性格なので、傷つくのを恐れて昔から心許せる友達は少なかった。
今考えれば、昔は結構傲慢な性格で、心を許せると思っていた友達に
意を決して自分の気持ちを伝えた時に、
欲しい言葉がもらえない。
自分が求めているレベルに相手が達していない、と勝手に落胆し、
バッサリ関係を切るようなこともしていた。
なんという上から目線!!
急に何も言わずに連絡先を消して音信不通になるみたいな。
今でいうリセット症候群ってやつかな?
思い出すだけでもモヤモヤしてくる😓
意を決して自分が悩んでいる心のうちを伝えた時。
友達に言われた言葉は
「なぜ、ふぁふぁがそれで悩むのか理解ができない」
そうか、結局、誰も自分のことを分かってくれないんだ。
学生の頃に周りのみんなが重要視していた、
”頭が良いか、勉強ができるかどうか”
”人より可愛いか、おしゃれかどうか”
”彼氏、彼女がいるかどうかどうか”
私にとっては本当にどうでも良かった。
表面上は自分も興味がある素振りをしていたけど、学校が本当に苦痛だった。
ひとり親家庭で親が忙しく、母は学校の話を聞いてくれる余裕もない。
母の仕事の愚痴を延々を聞いて、
そんな愚痴聞きたくない、と呟くと誰のお金でご飯を食べているんだと
そう言って母はいつも切羽詰まった顔をしていて。
親には迷惑かけられないから、学校行きたくないけど頑張って行って。
親に甘えられないと、甘えの捌け口を間違えて友達に向けていたので、こんな自分を理解してほしいと苦しむ重っ苦しい子供だったと思う。
それゆえにか、友達から嫌われてた。遊びに誘っても断られて、私が知らないところでみんなが集まって楽しく遊んでいた。
私は産んで欲しいと頼んでない。生きるのは苦しい事ばっかりだ。
ずっと歪んだ認知を保ちながら生きてきた。
時は経ち、だんだんと歳をとるにつれて、プライベートでは関わりたい人とだけ関われるようになった。
社会人になった今は、会いたい人にだけ会える。
歳を取ればとるほど、大事な人がなぜか増えていった。
今の夫、職場の同僚、さらに子供ができたことで、昔疎遠だった友達や近所の人、
今まで関わらなかった人たちと縁ができていく。
あれだけ心が荒んでいて、友達が少なかった私なのに、
今は年齢を問わずたくさんの人との関わりがある。しかも自分から求めていないのにたくさんの人が私を助けてくれる。
何故変わったのか、自分なりの答えを出した。
昔の私には圧倒的に”感謝”が足りなかったということ。
今は、全部がありがたい。
ちょっと気づくには遅かったけど、30半ばで気づけて良かった。
母親は必死に私を女手一つで育ててくれて、
父親はいろいろあって一緒に住んでいないけれど、父親が存在したから
私がここにいて。
色んな人の支えがあったから今まで生きてこれたんだと。
やっと気づけた。
被害者意識があるうちは、本当に何もうまくまわらなくて。
人は絶対に一人じゃ生きていけなくて、
誰かのおかげで今日も生きている。
このマインドを持っていてから、私には味方しかいない
心の拠り所になる人しか周りにいなくなった。
愛の感度を上げていけたら
簡単にすぐそこに見つけられる。
恵まれている部分にフォーカスを当てるだけで
心がこんなにも穏やかでいられるとは。
お腹にいる9ヶ月の子供も、愛そのもの。
私の周りには、愛が溢れている。