『ウチの娘は彼氏が出来ない』最終回 愛も加齢もポエムもおそれない物語
見ると終わってしまうから大事にとっておいた最終回をついに見た。「母と娘はこれからも楽しく暮らしていくのだ」エンドで大満足!
「半分、青い」同様、北川悦吏子さんは「おそれない」ドラマを書くなぁ、そこが大好きだなとあらためて思った。もう少し細かく言うと、
「1.ディテールに宿る神」
「2.ポエムを語ることをおそれない」
「3.愛し愛されて生きるのさ」といったところだろうか。
●1.ディテールに宿る神
これはクドカンや坂元裕二、森下佳子などうまい脚本家に共通する能力で、一見なくてもいいような設定をものすごくたくさん盛り込んでいる。本作でいうと
「ウソウソウソウソコツメカワウソ! ナイナイナイナイナイルワニ!」
「たい焼きはあんこが多すぎてJKには重いから、細身の“さんま焼き”」
「耳をつければもっとかわいくなるヤドヴィガ」
「着物の下にパーカーを合わせてる俊一郎さん」
などなど。こういう細かい積み重ねで世界観を構築しているから、キャラクターや筋立てが多少ぶっとんでいても納得できるんだよね。神は細部に宿る。ひとつひとつの設定が実に工夫されているうえ、発想が天才的!
最終回、担当編集者の漱石に「来週の水曜日の便でニューヨークに行きます」と打ち明けられた碧(菅野美穂)が、間髪入れず
「羽田? 成田?」
と返すの、爆笑モノだった。遠くに移り住む異性に「一緒に行こう」と誘われる展開を人生で100回くらい見てきたが、「羽田?成田?」ってレスポンス初めて見たよww
「ちょっと待って! 私なりに言うこと考えてた、作家だけに」
“作家だけに ” って一言が倒置法的に付け加えられるところも神w
●2.ポエムを語ることをおそれない
最終回、ニューヨークに赴任する担当編集者 漱石に、碧(菅野美穂)が語りかける言葉。
ポエムである。まるで、マンガのモノローグである。
菅野美穂が小説家という設定だからじゃない。北川さんのドラマではみんなポエムみたいなセリフを語る。
恥ずかしくない!!
人はみんな心をもつ。心は動く。そして言葉が出てくるのだ。言葉が誰かの心を打つかもしれない。それが人間だ!
ドラマの中でくらい、物語の中でくらい、大人ぶらず、冷笑せず、思いっきりポエムを堪能したいよね。北川さんのドラマを見ているとつくづくそう思う。
●3.愛し愛されて生きるのさ
碧(菅野美穂)は40代で、首を横に振ると頬肉が遅れてついてくる(なんと秀逸な弛みの表現!)し、書く小説はネット上でも出版社でもオワコン扱いされている。
そんな彼女が沢村一樹、トヨエツ、Alexandorosのボーカルの3人に思いを寄せられるのは、ご都合展開じゃない。
「愛される資格が十分にある」ってことだと思う。
碧に限らない。おばさんでも、おじいさんでも、オタク気質でもストーカー気質でも恋愛経験がなくても、人は愛し愛される資格があるし、能力がある。
不器用でも臆病でもワガママでも、人は愛することも愛されることもできる。
北川悦吏子は、100%、ひとかけらの疑いもなくそのことを信じている人だ。そして全員を愛していて、書き捨てられるキャラがいない。見ていると、その愛の強さとあたたかさが心の隅々にまで染みわたるのだ。
このドラマにおいて、その愛の中心はやっぱり母娘関係にあって、初回の碧は娘との関係について「私たちはこの世界を生き抜く相棒だ」と語ったものだった。
全10話のうちに、母娘に血のつながりがないことがわかり、母は誰かと旅立つこともできたし、娘は男子といい関係性を築いた。娘の父親も現れた。彼女たちは2人きりの母娘だけど、まわりにたくさんの愛がある。それでも、
これが母の気持ちなんだよね。セリフ書きおこしながら泣いてる😭
◆番外編:入野光!(岡田健史!)
浮世離れした存在感がただごとじゃない豊川悦司も、舌ったらずなゆるフワ女子だけど逞しいサリーを演じた福原遥も、顔と体の薄さが漱石にぴったりだったアレク川上洋平も、もちろん菅野美穂もよかったんだけど、このドラマのMVPはやっぱり空と光だ!!
もはや大きな丸メガネをかけていない浜辺美波ちゃんに違和感があるし、入野光は萩尾律(@佐藤健)に匹敵する男子だった‥‥! 優しくて、不器用で、ナイーブで、精いっぱいで。
このドラマずっと家族で見てたんだけど、もはや入野が出てくるたびに「かわいい、かわいい」と言い募るようになった私。ついには息子10歳をして「おれよりもか?」と言わしめたのであったw