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『太陽の子』その炎を炸裂させないために

8月に録画したままになっていたドラマ『太陽の子』を見ました。なかなか見る気になれなかったのは、三浦春馬くんの役どころを聞いていたから。
昭和20年、短い休暇で家に帰ってきた陸軍下士官、裕之。以前と同じように柔らかな笑顔と優しい挙措。帰隊が迫ってきた夜、急にいなくなる。必死に探すと、海に入水しかけていて‥‥。

「怖い」
「でも俺だけ死なんわけにはいかん」
その苦悶に満ちた顔。

後ろから追いかけて、水の中で揉み合う兄、修(柳楽優弥)。全身びしょ濡れになって岸に戻ってきた兄弟をもろともに抱きしめる幼なじみの世津(有村架純)。

冷たい海の中で、三浦春馬はどんな気持ちで慟哭していたのか。
共に演じた柳楽と有村は、まわりにいたスタッフは、彼がいなくなったあと、このシーンを思い出すとたまらないだろうな、とか‥‥。
3か月以上経った今も、そんな気持ちがわきあがるのを止められません。

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ドラマの主人公は、柳楽優弥が演じる修。
京都大学で原子エネルギーの研究をしている。

研究室の目標は、原爆の製造。
軍からも「早く早く」とせっつかれている。
これは史実。日本も原爆の開発を試みていたのです。

とても優秀な研究者といえど、ふつうの若い男の子たち。
日に日に厳しさを増していく戦況や、学徒出陣する友人たちを思うと、「成功の目途も立たないこんな研究より、今すぐ自分たちも軍服を着て戦うべきではないのか」と心は千々に乱れる。

そんな同輩を尻目に、一心に研究に打ち込む修は「実験バカ」と呼ばれていた。

「α線は危ないんや。ものすごいエネルギーを持ってる。目が潰れるかもしれん。けど、そうなってもええと思った。それぐらい綺麗なんや」

研究について聞かれ、万華鏡をのぞきこむようにうっとりとした表情で語る。

8月6日、広島への原爆投下の一報が入ると、研究室の面々はすぐに被爆地に入り、その威力をまざまざと目の当たりにする。

「これが、僕たちが作ろうとしていたものの正体なんですね」

それでもなお、修はこう言うのだ。

「広島、長崎。三発目は京都と噂されている。
 比叡山にのぼり、上空で核爆発する瞬間が見たい」

アルファ線は綺麗なんや、と言ったときと同じ目。
家族にも幼なじみにも、子どもや老人にも優しい修だけれど、優しさと、研究者としての狂気とが、矛盾なく同居しうるのが人間だ。

ドラマでは、アメリカのトルーマン大統領が演説するラジオが流れた。
戦争ドラマやドキュメンタリーでは、昭和天皇のいわゆる「玉音放送」がつきものだけど、こちらも必修にするべきなんじゃない?! と思ったよ。

「今から少し前、米国の航空機が、広島に1個の爆弾を投下し、敵の重要拠点を破壊した。この爆弾には、TNT火薬2万トンの威力がある」
「日本は、真珠湾の空爆によって、戦争を始めた。日本はその代償を数倍にして払ったが、まだ終わっていない」
「これは原子爆弾である。宇宙の基本的エネルギーを利用したものだ。太陽のエネルギーが、戦争をもたらした者たちに向かって放たれた」

きっとアメリカでも、修のような研究者たちが目を輝かせて、開発にいそしんだのだろう。
「原爆が戦争を終結させた」
アメリカは、戦後もずっと、そう言って正当化してきた。

このドラマでは、京大の学長や、研究室の教授や、修たちが言う。
「原子爆弾が完成すれば戦争は終わる」
「我々がやらなければアメリカかソビエトがやる」
「世界を変えるために科学をやるんだ」

どの国も同じなんだよね。
ただ、より多くの資源や資金をもっていたアメリカが、先にたどりついただけのこと。
もし日本が先に開発成功していたら、敵国にためらいなく投下したかもしれない。原爆に限らない。この国にも生物兵器開発の歴史がある。人体実験さえしていた。

凄惨な戦争の歴史から得られる教訓は
「強力なストッパーが必要」
それがないと、どこまでも暴走するのが人間。

見終わって真っ先に思ったのは、
「例の日本学術会議の会員6名を任命しなきゃ」
ということでした。

科学者はどこまでも突き詰める。
研究し、実験し、作ってしまう。
夢を持ち、夢に取りつかれて。
新たな科学が実現されれば、
商人はそれを売る。
権力者はそれを利用する。
一般人だって、家族や自分を守るためなら、長いものに巻かれてしまうでしょう。

そうならないように、別の知恵と力で止めないといけない。
世論の高まり。倫理や哲学、法律や歴史の専門知。
教育。

世津(有村架純)が未来に向かって問うモノローグでドラマは締められる。

「日本は、世界はどうなっていますか? 平和ですか? 幸せですか?」

抑制されたトーンのドラマのラストにしては、まっすぐ過ぎる球を投げてくるなと思ったけど、そこは敢えてのストレートなんだろうなと。
原爆、戦争だけじゃないよね。
どんな世界を残すか。残せるのか。

「いっぱい、未来の話をしよう!」
と言ったあと特攻機に乗り込んだ裕之も、裕之を演じた三浦春馬自身も、逝ってしまいました。
世界がどうなるか、世界をどうするか、遺された私たちに問われています。

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