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架空インタビュー:それでも「幸せになっていいんだ」と ~ カンバセーション・ピース イノウエ エミ(前編)

いつもは人にインタビューをしている私が、久しぶりにインタビューされる側になってみました。
とはいえインタビューしてくれる人が見当たらないので、ひとりツッコミ・ひとりボケ的な架空インタビューです。(10年ぶり2回目)
自分について語ることをおすすめしている私が語る自分について、ご笑覧くださいませ。

聞き手&話し手 イノウエ エミ
撮影 橘 ちひろ
(2024年8月)


◆ どっちつかずの人間ですが


――自分ではどんな性格の人だと思っていますか?

おお、私もインタビューでよくこの質問をしますが、聞かれてみるとけっこう難しいのがわかりますね(笑)。

私は‥‥うーん、どっちつかずの人間かなぁ‥‥。
外向的でもあり内向的でもあり、大雑把でめんどくさがりだけど真面目ではある。会社勤めも長かったし協調性はまぁまぁもっているはずだけど、もうだいぶ長いことフリーランスをやっています。

――インタビュアーが困るような回答ですね‥‥。

ですよね(笑)。ひとついうなら、反抗的? よくいえば抵抗精神が旺盛な人間かな?

――何に抵抗するんですか?

ルールに。昔から、納得できないことがすごく多かったんです。
すでに小学生時代、学校の決まりごとや先生の指示に「何で?」とモヤモヤすることがよくありました。「理不尽」という言葉は知らなくてもそういう気持ちでしたね。連帯責任に人一倍憤っていたり。

――そんなときは実際に抵抗していたんでしょうか。

ガンガン抵抗してましたよ! 
と言えたらかっこいいのですが、実際は‥‥。我慢ならずに「おかしいと思います」と言うときもあるけど、まわりの目はそれなりに気になるし、抵抗するってエネルギーが必要じゃないですか。心の中でモヤモヤしてることのほうが多かったかな。

――もしかして、だいぶ生きづらかったりしますか?

あ、それがそうでもないんです、日々おもしろいこともたくさんあるので。
あちこち目移りしながら生きてます。ほんとにどっちつかず‥‥! でも、人間ってそういうものですよね? 

――ポジティブ(笑)

息子によると、私の口ぐせは「適当でいい」「細かいことは気にするな」だそうです(笑)。

◆ いろんなことに夢中になったり飽きたり

――子どもの頃、どんな人やものに影響を受けましたか?

たくさんありますが、やっぱり家族の影響は大きかったと思います。基本的に空想家の私ですが、地に足のついた生活を大切に思っているのは、堅実でよく働く親の姿を見て育ったからじゃないかと。

間接的な影響もあります。両親は忙しくて、割と放任されて育ちました。ヒマな子どもでしたね(笑)。学校のあと友だちと遊んで、暗くなって家に帰ったあとも毎日たっぷり時間がありました。

――どんなことをしていましたか?

本を読み、テレビを見て、折り紙を折ったりかぎ編みをしたり、日記も交換日記も書いて、音楽を聴いて好きな歌詞をノートに書き写して‥‥。
5歳離れた姉が好むテレビ番組や雑誌をのぞき見て背伸びしながら、いろんなことに夢中になったり飽きたりしていました。ありあまる時間に自分の好きなものに気ままに向き合って過ごした子ども時代が私のルーツだと思います。

―― 十代のころの思い出は?

部活とアルバイトですね。中学の頃はソフトボール部で、高校・大学ではファミレスやファーストフードなどアルバイト先で鍛えられ、協働のおもしろさに目覚めました。
もともとマンモス団地で育ったので“行きずりの子と遊ぶ”ことはよくありましたが、部活や仕事となると、いろんな人とそれなりに深くかかわらなきゃいけないじゃないですか。

――それが大変なところですよね。

いつの時代も人の悩みは人間関係ですもんね。でも、同じ目的をもって日々を共にするうちに、自分とまったく違うタイプの人と仲良くなったり、仲良くなれなくても連帯感を抱いたりできます。それがすごく良いなと思って。

――そういえば、小さい頃から、ジュニア向け小説「おちゃめなふたご」シリーズや、当時少年ジャンプで連載中だった「SLUM DUNK」のような群像劇が大好きだったそうですね。

はい。部活やバイトをするようになって、群像劇を実地で経験したというか(笑)。人間誰でもクセがある。だからおもしろいし、それぞれの強みが合わさってできることがあるんだな、と実感しましたね。

1冊だけ本棚に残してました

◆ 専業主婦になって小説を書いていました

――大学卒業後は、地元の企業に入社し、主に経理を‥‥?

そうなんです。文学部卒だから簿記のボの字も知らず。いや正直にいうと、金融系の会社だったので、入社前、内定者には簿記の通信教育の教材が送られてきたんですが完全にスルーしてました。卒論で忙しかったんです‥‥というのは言い訳で、まったく興味がもてなくて。
会社負担で受験した簿記3級は15点だったかな。

――え、何点満点で?

100点満点の15点です!(笑) そんな人を経理に配属するんだから、会社も豪気ですよね。ただならぬ適性を感じたんでしょうかね? 
や、1から教えてくれた当時の先輩たちには本当に感謝しています。

――10年近く勤めたのだから、本当に適性があったのかもしれないですね。

あったと思います。能力はさておき(笑)、その仕事をおもしろいと思える感性をもっていたな、と。今や立派な簿記原理主義者ですから。複式簿記は神!(笑)

決算書って、会社のあらゆる取引や、その背後にある経営方針などが反映されているんです。
営業やスタッフ部門はもちろん、借り入れなどを行う財務部、新規事業を手がける開発部、債権回収を担当する管理部など、さまざまな仕事が有機的に絡み合って会社が回っていることを感じられる仕事でした。

――それもまたちょっと群像劇っぽいですね。

ほんとに! 実際の人間ドラマも濃厚でした。もちろん私自身も当事者で、大いにもがいていましたね。若く未熟で、恥ずかしい記憶もたくさんあります。いま思い出してもモヤモヤすることもある。それでもすべてが20代の学びでした。

――31歳、妊娠8か月で退社して専業主婦に。

辞めるなら今しかないと思って(笑)。

――おもしろい仕事だったのに?

いろんな意味で「もういいかな」というタイミングでした。付け加えると、会社の歴史上、当時は出産後に復帰した女性がいなかったんですよ。

――家事・育児に専念していかがでしたか?

すぐに息が詰まるかと思いきや、割とすんなり適応したような。子どもはすごくかわいいし、子どもを通じての新しい出会いも新鮮でしたし。
ただ、閉塞感のようなものはあったと思います。それで、やたらと文章を書いていました。小説も書きましたよ。賞に応募するとかネットで公開する気はまったくなく、ひたすら自分のための執筆です。

――小説!それは当時のエミさんにとってどんな意味があったんでしょうか。

たぶん、主体的にコミットする「案件」のようなものを持ちたかったんだと思います。
人のお世話って日々繰り返しになりがちだし、従属的な面がありますから。自分で主体的に考えて作り出し、明日・明後日と続くものが欲しかったんじゃないかと。

――書き上げましたか?

1年半ぐらいかけて完結させました!妙な達成感がありましたね。
作家の吉本ばななが何かのあとがきに「稚拙な小説ですが、嫌いになれません」と書いていましたが、まさにそんな気持ち。もちろん吉本ばななの小説とは雲泥の差ですけど(笑)。

◆ 変われなくてもいいんじゃないかな


――これまでルーツをうかがってきましたが、子どもの頃や若い頃と比べて変わったなあと思うところはありますか?

あんまりない気がするけど、若いときのほうが斜にかまえていたかな?

私もインタビューでよくこの質問をします。やはり「角がとれた」とか「寛容になった」という回答が多いですね。逆に「引っ込み思案だったけど自分の意見を言えるようになった」というパターンもあるかな。
どちらにもいえるのは、若い頃は自己防衛的なんですよね。経験が増えるにつれ、ある程度の自信がついて、鎧が外せるようになるんだろうなと。

――自分で「これはウィークポイントだなあ」と思うところはありますか?

いろいろありますよぉー。一番は、計画性がない! 昔からずーっとそうだと思います。流されながら生きてます。
最近思うのは、私にないのは計画性というより、大きな目標や欲なのではないか?ということ。欲をもたずにきたのは、自己評価が低いからかなと思うこともあり、「いや別に欲とかもつ必要なくない?」と思ったりも‥‥。

――目標をもてば、計画的に進められる?

う、うーん、どうだろう?(笑) なんか、基本的にものぐさな人間なんですよね。

――では、良いところは?

共感力でしょうか。
私はアドバイスなどほとんどできないのに、ふとご連絡をいただいて、いろんなお悩みやその後の報告などをうかがうことがなぜか多いんです。私に話し相手としてどこか心地よいところがあるとしたら、共感力なのかな、と。

――共感力はどのように養われたと思いますか?

うーん。共感力も計画性のなさも、つまり長所も短所も、生まれもった特性が大きいんじゃないでしょうか。

たとえば共感力は、他者への想像力と結びついている面があると思います。それは、本やドラマ、映画などから培われたのかもしれませんが、そもそも共感力や想像力にそこそこ恵まれていたから、物語の世界に入りこみやすいんじゃないかなあ。

――卵が先か、ニワトリが先か、みたいな話?

はい。良い悪いではなく「この人とは人間の種類がまったく違うな」と感じることってありませんか? 
人は生まれながらにしてそれほど多様なのだと思います。それが人類の生存戦略でもあるだろうし。

努力や環境の変化によって欠点が克服されたり才能が開花したりすることもあるでしょうが、変われなくてもあまり悲観しなくていいんじゃないかな。年齢を重ねて、ますますそう思うようになりました。

――今の世の中、成長しようとがんばる人も多いですが。自己啓発本とかもすごくヒットしますよね。

もちろん成長はすばらしいけれど、苦しいほど努力して成長しなければ楽に暮らすことができないなら、社会のほうがおかしいんじゃないかな、と思ったりするんです。

――よく「環境のせいにするな、自分を変えろ」と言われますが‥‥。

社会のせいにするというより、「社会のほうが変わればいいんじゃない?」と自分の考え方を変える、という感じでしょうか。そうすると、行動も変わり始めますから。そうやって人々が変わると社会も変わりますよね。

◆ 幸せを求める気持ちの中に幸せがある

出会った人や物事はいろんな学びを与えてくれるものですよね。
私にとって、4~5年前からファンをやってるBTSが学びの宝庫なんですよ(笑)。

――彼らこそ、努力の権化ではないですか?

ええ、「血、汗、涙」というヒット曲があるくらいハードな努力とチャレンジを続けてきた人たちでして。おっと、この話は長くなるので自重しますね‥‥(笑)

BTSを見ていると「努力するって生半可なことじゃないんだな」「結果はどうあれ、チャレンジした人だけが得られるものがあるんだな」と意欲がわいてくるのも確かです。

でも、彼らはいつからか、「今、幸せを感じること」をとても大事にするようになったように思います。熾烈な世界で潰れないために、幸せを求めることをおろそかにしなくなったのかな。
その姿を見ているうちに、幸せに生きることについて考え、意識するようになりました。

――幸せって何なのでしょうか。

いろいろな考えがあるでしょうが、幸せを求める気持ちの中に幸せの種があるような気がします。

幸せって、実はすごくわかりにくかったりすると思うんですよ。
これをやるべきだ、これをやりたいんだ、それが自分の幸せに向かう道なんだと思って努力を続けているうちに、体を壊したり、周囲との関係が悪くなったり‥‥そうなると当然、気持ちも塞ぎますよね。
でも、「幸せから遠ざかっているのでは?」「幸せへの道に戻るために何をしたら?」と自問するのはなかなか難しい。
逆に、他人から見てどんなにささやかな日々でも、その人が満ち足りているなら幸せといえそう。

「今、幸せなのか?」「自分にとっての幸せは何?」
いつでも自分にそう問いかけることができる。
そして、幸せに近づくために躊躇なく行動ができることが、幸せの秘訣なんじゃないかと。

――意外と難しいですよね。

そうなんですよ。「自分は幸せになりたいんだ」「なっていいんだ」と思えることが難しいのだと思います。そうでなければ「今、幸せなのか?」と問うこともできません。
幸せになるための行動にも、自分の心がブレーキをかけてしまったり‥‥。
多かれ少なかれ「私なんてどうせ」という自己否定にとらわれてるんですよねぇー。私も例外じゃないです。

――どうしたらいいと思いますか?

自分を知ろうとすることかな。
自分について語ること。自分が経験してきたこと、思っていること、「こうありたい」「こうなりたい」をたくさん語る。
それが、「だから自分はダメなんだ」じゃなくて、「いろいろ足りないところがあっても、自分は幸せであるべき存在なんだ」と思えるための第一歩になるんじゃないかと。

言葉にしなければわからないことが多いと思うんですよね。話そうとすることで思い出すし、話しながら人は考えるもので。
できれば、その話を誰かに聞いてもらうといい。人に受け止めてもらうことで、自分に優しくなれます。

――なるほど、そこで「カンバセーション・ピース」の個人インタビューなんですね。

はい! インタビューというと身構えるかもしれませんが、実際はゆるくて楽しいおしゃべりの時間です。どうぞお気軽に。

(後編につづく)

後編 <インタビュアー・ライターとしての私を語る> に続きます。
引き続きご笑覧ください。。。


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