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インタビュアー note ① すべての始まりの夜中のやりとり

「どんなきっかけでインタビューを始めたの?」 とご質問いただくことがあります。

「カメラをやりたい友人と、夜中にTwitterでやりとりしてるうちに盛り上がって、勢いで始めちゃいました」
と ざっくりお答えすることが多いのですが、
ふと思い立って、当時のログを振り返ってみました。

それは2014年3月某日の深夜。

タイムラインに流れてきた誰かのツイートを、私がシェアしたことから始まりました。

誰かのツイート →
「 “ あーちゃんママ☆ ” みたいに、【子どもの名前+ママ】ってハンドルネームを見るたびに、「藤原道綱母かよ」と思う」 (※注)

すると、十年来の友人、ちひろちゃんが
「わかる!」
とリプライをくれたのです。

同い年のちひろちゃん。
そう、これまで数々の取材を共にしきたカメラマン、橘ちひろちゃんです。

このときは、私もちひろちゃんも、
第一子(3歳)の幼稚園入園を目前に控えた専業主婦でした。
そこからのやりとりをざっくりまとめると

↓↓↓

・「〇〇(ちゃん)ママ」というハンドルネームを見ると「あなたのお名前は?」と言いたくなっちゃう

・「誰かのママ」がアイデンティティになってて、それで満足してるってことだよね

・ランナーズハイならぬ、「初めての子育てハイ」になるのもわかるけど

・うん、特に産後一年はどんなに浮かれようと取り乱そうと大目に見てほしいとは思うw

・とはいえ、「〇〇ちゃんのママ」だけに埋没するのはつらい。母とはいえ個人。自分を大事にしたい

・子どもにも、「すてきなママ」より「好きなことやってるママ」を見せたいし

・子育てしてても大河ドラマにかまけたい

・飲みたいしね

・うん、飲んだくれたい

いちばん最初の最初から、
「誰々のママ、誰々の妻 じゃなく」
「母とはいえ個人。自分を大事に」
というやりとりをしていたんだなあと、感慨にふけりました。
(そして、大河ドラマと飲酒への欲望‥‥人は変わらない‥‥😅)

ちひろちゃんは、久しぶりにカメラをもって、写真を撮りたいと言いました。

「ママのソロ写真がいい。子どもを抱っこしてではなく、ママがひとりで堂々と立っている姿」

文章を書くのが好きな私は、言葉でその人自身を表現してみたいと言いました。

「ポートレートを撮るように、その人自身が表現されたインタビュー記事を作りたい」

いいね、いいね。一緒にやろうよ。

真夜中特有の妙なハイテンションが実際の行動にまで結びついたのは、
今にして思えば、私たちの中に、衝動以上の「意思」のようなものがあったからだろうと思います。

子どもの入園でできるまとまった時間は、自分のために使いたい。
「母になっても私は私」だと言いたい。
しかも、他のママたちとも共有する形で‥‥

企画のネーミングは、すんなり決まりました。
以下は、最初に作ったチラシに載せた文章です。

「ママじゃない私、ポートレート」

今日はママとしての顔じゃなく
「あなた」の顔を撮らせてください。

20年、30年、生きてきた「あなた」がママになった。

あなただけの顔、あなただけの言葉。

あなたも忘れてたあなたかも。
まわりがびっくりするあなたかも。

いつものあなたの、いつもと少しだけ違う顔。
いろんなママたちの
「ママじゃない顔」ポートレート。

(※注) 藤原道綱母‥‥平安時代の古典、「蜻蛉日記」の作者。女性の名前は歴史書に残っていないことが多いんですよね。誰それの母とか誰それの娘とか。あるいは、紫式部や清少納言のように、夫や父親の官職バージョンだったり。

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