![_エディプスを失った街で_表紙](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8658329/rectangle_large_type_2_c105ecaa3271590a8b86359e09e1ab89.jpg?width=1200)
「自己の体験」に付随する他者の視点~短編『エディプスを失った街で』あとがき~
お久しぶりです。
少々パソコンの調子が悪く、あとがきの更新が遅くなってしまいました。
今回は、11月12日公開の短編『エディプスを失った街で』のあとがきを書いていこうと思います。
さて、『エディプス~』を読んだ方々は、あるひとつの疑問を抱いたのではないでしょうか?
疑問というのはつまり、
「これって齋藤迅の体験じゃなくない? 語り手が本人以外だよね?」
というものです。
そう、今回の『エディプス~』は、作者である僕の記憶と視点を受けついだ登場人物だけではなく、周囲の他の人々にまで語り手の範囲が広がっています。
これって自己体験作家って言えないんじゃないの?
という疑問はもっともなものです。
というわけで今回は、どうして今作はそんな書き方をとったのか、ということに焦点を当てながら話していきましょう。
そもそも「自己体験作家」の「体験」って?
「体験」という言葉はそもそも何を意味しているのでしょうか?
コトバンクには「体験」が「経験:一般的,客観的」に対して「個別的,主観的」であるとしています。
この意味でまず、僕は僕自身のことを「自己体験作家」と名乗ろうと考えました。
しかし、そこまで考えたところで同時に僕はこうも考えました。
僕のしてきた体験は果たして僕一人で可能なものであるのか?
今作において、その主題は「父子家庭」という環境によって語りえたものです。
父子家庭というものは、僕一人ではもちろん構築できない環境で、「両親の離婚」「父親の存在」「母親の不在」という、最低でもこれらの3つの要素があってこそ成り立ったものだといえるでしょう。
そう考えると、僕が書こうとしていた作品は僕一人が語り手となっても不十分じゃないか。
そもそもの話、僕の体験を真に語るためにはその環境を語らなければいけない。
つまり、関わってきた他者の語りが必要なんじゃないか。
そのように考えた末で、今月公開した『エディプス~』は様々な人物が語り手となる複雑な作品となりました。
僕は今作を自信をもって「自己体験作家齋藤迅としての作品だ」ということができます。
また、10月12日公開の『夜の花嫁』、9月12日公開の『母が死んでは』。
この両作についても恐らく、「体験」という言葉についての話をいずれせねばならないと思っております。
しかしそれを書き始めれば文字数が膨大になってしまいますので、そちらはまた後日とさせていただきます。
今回の話に関しては様々な意見があるでしょう。
疑問質問批判など、ありましたら是非、ここへのコメントやTwitterにてお願いします。
親は子であったことを忘れ、子は親になることを知らない。
それでは満を持しての内容について。
今回の作品は主人公「真司」とその父親をはじめとする多くの語り手の手によって進行します。
語り手が多いことの理由は上述した通りですが、そのきっかけは「真司」と「父親」の語りがどうしても必要だと考えたからです。
僕は僕の父の子供です。
そしてまだ(或いは考えたくもないが今後ずっと)、誰の父親でもない。
僕が今作を書くにあたって構想を考え、また父の取材をした時、このことがずっと頭にありました。
恐らく、父子家庭という環境の中で父は、僕の知らない苦労を多くしているのでしょう(そしてそれは逆もまた然りということになります)。
それを僕が知らなかったのは、僕がまだ子供だったから。
そして知らないが故に僕は、そのことについて父に感謝することができていない。
じゃあ知らなかった父の苦労を知ったら、僕はどうするのだろうか?
これがひとつ、出発点になりました。
家族、とはある種の呪いです。
家族という言葉には、人を縛る力があります。
家族同士は別に、すべてを知っているわけではない。
それに、すべてを許せるわけでもない。
でも、知っていること。知らなかったけれど明るみに出たこと。
それらについて感謝したとき、少しだけ家族は分かり合えるんじゃないか。
そんな風に考えました。
さて、これ以上語ることは、『エディプス~』から読者の皆様の自由な解釈を奪う結果となってしまいます。
作者が言うには烏滸がましい話ですが、タイトルに含まれる「エディプスを失う」「街」という言葉の意味を考えていただければ嬉しいです。
また、すべての語り手にはもちろん、それぞれの役目があります。
そういう色々を考えたら、また楽しんでもらえるんじゃないかなぁ。
そう思います。
長くなってしまいました。
それではまた12月12日、新たな作品を公開するその日にまたお会いしましょう。
ここまで目を通していただき、ありがとうございます。