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『アド・エレベーターズ』


気がつくと、灰色にくすんだ壁に囲まれていた。広さはほとんどない。私が両の腕を広げれば左右の壁面に手が届きそうなくらいだ。
そのくらい狭いのだが、天井が高いおかげか左程窮屈さは感じなかった。
直方体の形をしている箱。どうやらその中に私はいるらしい。

何をしていたのだろう。
そう考えるが、不思議なことにどうして自分がこんな変な箱の中に入っているのか。てんで思い出せない。床はあまり綺麗だとは思えなかったから立ったまま、壁の一面に背を預けて腕組みをしたまま唸ってみるが、やはり分からない。


コーーーン。
底の抜けた音と言えばいいだろうか。何とも間抜けな音が箱の中に響く。
少々驚いたが、この空間にいることに気がついてから初めての変化だった。私がこの場所にいることに気がついてから、もう20分程が経つ。

と、私が背を預けていた壁が俄かにその姿を消した。
私は慌てて箱の中に身を引っ込める。消したと思った壁はどうやら扉だったらしい。そしてこの箱は、どうにもエレベーターのようだ。

開いた扉の先で、見覚えのある青年が腕時計を見ていた。

「時間ピッタリ。相変わらず、流石だな」

エレベーターの中には私しかいないから、この青年は私に話しかけているということになるのだろうか。見覚えはあるが、どうにも私はその青年が誰か思い出せない。
旧い知り合いだろうか。しかし、それにしてはどうにも若い。

「分からないのも無理はない。なんせ、俺とお前はまだ出会っていないんだからな」

「出会っていないとはどういうことだ? 現に、今君と私はここで出会ったじゃないか」

青年は眉を顰めて、私を訝しんでいるようだった。
仕立ての良さそうなストライプの黒スーツに、紺色のネクタイをしている。彼についてはその顔だけではなく、この服装についてもどこか見覚えがあった。
見れば見るほど見覚えがあるだけに、思い出せないのが不気味である。

「そうか。君は、どうして自分が……俺たちが今ここにいるかを忘れてしまったのか。
 だがまあ、心配することはない。俺が君の頃には確かに覚えていなかった気がするよ」

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