『夜の花嫁』第三話
バスで駅に降り立ち、そのまま普段なら歩いて五分とかからないであろう祭りの会場、出店が立ち並ぶ通りに着く頃には、段々と空が夕暮れの色に染まり始めていた。
この祭りが終われば、部活のイベントを残して僕の夏休みはもう終わったも同然。だからか、その夕暮れの色が夏の終わりを告げる蜻蛉の姿に見えてきて、少しだけ寂しくなった。
通りは大勢の人で埋め尽くされている。
どこにこれ程の人が隠れていたのかと、不思議になるくらい沢山の人がいた。普段は数えられるくらいしか人が居ないこの街も、こうやって活気が生まれる瞬間があるらしい。
「りんご飴、欲しいの?」
屋台の前で急に立ち止まった曜に、僕がそう声をかける。
曜は、驚いたような、不思議そうな目で僕を見た。
「別に、大丈夫。それより、二人でお腹いっぱいになれるようなもの買おうよ」
無言のまま、僕は大小二種類のうち、大きな方のりんご飴を買って曜に手渡す。
曜の考えていることは、同じ境遇に生きる僕には手に取るように理解できた。
大きい方を買ったのは、僕のほとんどないようなプライドを満たすためだった。
「そんな、無理しなくて大丈夫だよ。わたし、ちゃんと分かってるよ? お互いの家のこととか……」
「今日は本当に大丈夫。お父さんが、たまには、って少し多めにお小遣いくれたから。だから今日は好きなもの食べようよ」
「……ありがと」
小さな声だったが、曜はとても嬉しそうだった。
僕も嬉しかった。
自分の顔と同じくらいに大きなりんご飴を舐める曜は、とても無邪気で楽しそうで。それになにより、浴衣姿でりんご飴を持つ曜は、とてもその場に似付かわしかった。
そのまま僕たちはたこ焼きを一つと大判焼き、葡萄飴を一つずつ買って、お祭りを存分に堪能した。屋台がある通りとは別の通りに出て、踊り流しを人混みの向こうにうっすらと見ながら買ってきたものを食べる。
付き合い始めてから二ヶ月が経って大分慣れてきたものと思っていたが不思議に緊張していた僕と曜は、ようやく普段の落ち着きを取り戻すことができていた。
しかし、落ち着いたのも束の間のことで、帰り道、僕はまた心臓を痛いくらいに脈打たせながら、どういう言葉が相応しいのかを必死に探していた。
バスに乗る前は駄目だった。緊張でうまく言葉を探せなかった。だから、バスから降りたら今度こそ。
でも呆気なくバスは到着した。
曜の家の近くにある、比較的大きな公園。二一世紀という言葉を冠した綺麗な公園だ。
「曜、あの、さ……」
「……どうしたの?」
曜も僕の様子に何か察することがあったのか、どことなく張り詰めたような空気が、僕たちの間に漂う。
「手」
「手?」
「その、手、繋がない?」
「繋がない?」なんて本当に間抜けでかっこ悪い。
緊張と恥ずかしさでおかしくなってしまいそうだ。
だけど何とか僕は僕の右手を曜に差し出した。曜はしばらく、呆けたように僕の右手を眺めている。
駄目だったろうか? やっぱり、「繋がない?」なんて誘い方、男としてみっともなかったんだろうか。
「わたし、手汗酷い……」
しかし、曜は僕と同じか、もしかすると僕よりもずっと顔を赤くしてそう言った。
左手を胸の前で隠すように握ったその姿に、僕は頭が真っ白になっていくのを感じる。
「お、俺も実は手汗酷くて……」
と、言ってしまった時にはもう遅くて、僕は一体何を言っているんだろうと、また恥ずかしさが重なる。
だけど、気付くと僕は曜と笑い合っていた。
「それじゃあ、気にならないね」
曜はまだ恥ずかしそうだったけれど微笑んで、僕の中空に浮かんだままの右手をとった。
心臓が一際大きく跳ね上がる。
曜の手は折れてしまいそうなくらいか細く、今まで触れた何よりも柔らかく滑らかで、でも緊張のせいかひんやりしているのが心地良かった。
そして確かに、しっとりと汗で湿っている。
「ちょっと待ってね」
曜は僕にそう言うと、空いている右手で胸を押さえて深呼吸を始めた。
その様子がとてもおかしくて僕は笑う。
笑って僕も、同じように空いた左手で胸を押さえて深呼吸をした。
「真似しないでよ……緊張してるの。手を繋ぐなんて初めてだから」
「俺もだよ。俺も初めて……緊張だってしてる」
もう一度同じように深呼吸すると、曜が僕の右手と繋がった左腕の肘で小突く。
「少し、公園歩かない?」
「……そうだね、そうしようか」
僕と曜の気持ちは同じみたいだ。
街灯に照らされてはいるものの、暗闇に落ちかけた公園を僕たちはしばらく無言で歩いた。
カランコロン、カランコロン、と曜の下駄が僕たちの気持ちを代弁するかのように陽気な音を鳴らす。
昼間、幼い子どもたちがお母さんとじゃれ合っている芝生の周り、色とりどりの花が咲いていて、夕方になると犬の散歩をしている人が多い小道。
公園の三分の二ほどを歩いて、僕たちは四阿に腰掛けた。もちろん手は繋いだままだ。
「今日は、ありがと。りんご飴とか、その他にも」
「こっちこそ。楽しかった。曜もそうかもしれないけど、旅行とか全然行かないし……今年は良い思い出ができた」
「わたしも。毎年毎年、皆の話を聞くだけだったけど、今年はそうじゃないもん。本当に、楽しい」
膝に置いた手を見つめながら、曜は目を細めて口元に小さな笑窪を作る。
そんなの無理だって言われるかもしれないけれど、僕はこの笑顔をずっと見ていたい。見ていられるように頑張りたい。そう思った。
「ねぇ」
そろそろ、と立ち上がって歩き始めようとした僕を、繋いだままの曜の手が引き留めた。
「どうしたの?」
「分かるでしょ?」
曜が立ち上がる。
普段なら十センチと少しは身長が違う。でも今は曜が下駄を履いている。それを忘れて油断して振り返ると、曜の顔が思っていたよりずっと近くにあった。
少し首を傾ければ、重なってしまうほどに。
「えっと……」
「……」
「ちょっと、曜、待って」
「……」
「俺、そんな」
「……」
「っ……」
「…………」
「…………」
「嬉しい、ありがと」
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