『手を伸ばす』第二話
講義を終えた二人は、大学を出てすぐの西千葉駅から電車に乗り、一駅隣の千葉駅に降りた。
改装を終えたばかりの千葉駅は小綺麗だが東京にある駅ほど人が多いことはなく、それが怜を安心させている。
貴幸に言わせると「少しはマシになった程度」の千葉駅に怜が訪れるのは、月に一度か二度程度だ。そしてそれも珈琲豆を買うだけのためなので、彼はいつもすぐに千葉駅を離れる。
だから改装後の千葉駅を、怜はよく知らなかった。
「こっちだ」
と、説明もなく歩き始めた貴幸について行くと、貴幸は何の躊躇いもなくレディースファッションのお店に入った。
「おい、どういうつもりだよ。彼女へのプレゼントを選ぶ手伝いなら、そんな役が僕に務まるはずがないことくらい知っているだろう?」
「違うよ。そういうのじゃない。いいから、とりあえず服でも見てみろよ」
学食でそうであったように周囲を忙しく見ている怜に気付いた、ピンクに近い茶髪の女性店員が二人のもとに歩いてきた。
「彼女さんへのプレゼントですか?」
独特の抑揚と、普段よりもまず間違いなく高音で出されているだろう声に、怜は顔をゆがませそうになったのを何とか我慢する。
怜が否定の言葉を並べようとしたのを遮るようにして、貴幸が口を開いた。
「えぇ、そうです。こいつの彼女に。彼、口下手なんですけどちょっと相談に乗ってもらってもいいですか?」
「もちろんですよ! 彼女さん誕生日ですか? いつも彼女さんが着ている服がどんなものかを教えてもらえれば、私も考えます」
矢継ぎ早に繰り出される店員の言葉に、怜はなんとか言葉を返していく。殆ど適当に答えたと彼が思っている割には、その話に矛盾する点はひとつもなかった。
「で、どういうことだよ」
凡そ三十分後、ベンチで項垂れて、酷く疲れた様子の怜が恨みがましくそう呟いた。
貴幸はそれに対して一切悪びれた様子はなく、赤い缶コーヒーを傾けている。
「店を見てた時さ、何考えてた?」
「そりゃあ、君が一体何を企んでいるのか、っていうことと、周囲の視線から一刻も早く逃れたいっていうことの二つさ」
「……俺が店に連れて行ったのはさ。想像して欲しかったからなんだ。怜が告白してきた……あのバイト先の女の子と付き合ったとしたらどうなるか。
誕生日にはそりゃプレゼントを渡すだろう。クリスマスだってある。長く付き合っていれば記念日なんてものも訪れるだろうし、或いは何でもない日にあげるプレゼントで喜んでもらえるかもしれない。
怜は、その子にプレゼントを選ぶ自分を想像できるか?」
怜が上目遣いに、立っている貴幸を見た。
貴幸は飄々とした様子で、缶コーヒーをつまらなそうに飲んでいる。
小さくため息をついて、しかし怜はそれまでの疲れた表情を俄かに自身の内側へと隠す。
「煙草を一本だけ吸おう。そうしたら、別のお店に行ってみよう」
「……そうだな」
「怜、さっきはあの子のことを考えていたんだろ?」という言葉を飲み込んで、貴幸は先を歩く怜に続いた。
何事にも慎重な怜が、彼に気になる人がいると告白したのは三か月ほど前のことだった。前の彼女と別れてから一年と半年が過ぎた頃。
女性を極端に恐れている様子の怜を心配していた貴幸にとって、その報告は僥倖だった。
煙草を吸い終えた二人は三店舗ほど、先程と同じように店を回った。
「うん、服は違うな。アクセサリーも、なんだかキラキラしすぎていて違うように思う」
駅ビルから出た二人は、中央改札の前で佇んでいた。共に一本の柱に寄りかかり、改札を背にするようにしてぼうっとしている。
「まあ、俺でも服はプレゼントしないよ。それを身に着けているその子……えっと、」
「結菜ちゃん。秦野結菜ちゃんだよ」
「そう、結菜ちゃんのイメージがつきやすいかと思ったんだけれど」
天井のほうを見ながら、貴幸は暫く考えていた。
昼の様子からして、貴幸は怜がほとんどもう結菜と付き合う気なのだと確信している。あとは貴幸が少しだけ背を押してやれば、それですべてはうまくいくだろうと思っているのだ。
「怜、上見てくれ」
「上? 何かあったのかい」
言われた通り怜は天井を見上げるが、しかしそこには何もない。何の変哲もない天井があるだけだ。
「そのままで答えてほしいんだけどさ、俺たちの正面にあるお店、何だったか分かる?」
「正面のお店?」
思い出そうとする手間もなく、怜の脳内には正面にあるはずの店の名前と、そこで販売されているものがすぐさま想像できた。
中央改札を出てまっすぐに進むと、長いエスカレーターが上りと下り、合わせて四本ある。そのエスカレーターに沿うようにして右へ左へと進むとあるのが、そのお店だった。
つまり、今の怜たちから見て店は正に真正面、エスカレーターの向こう側に位置している。
「花屋だね。僕は、服よりもあっちの方が寧ろ彼女にプレゼントするさまを想像できるよ」
俄かに貴幸が笑い始める。
腹を抱えて楽しそうにしている貴幸に、怜は顔をしかめた。
「おいおい、花をプレゼントすることの何がおかしいっていうんだ。おかしなことじゃないだろう? 女性は花をプレゼントされて喜ぶものだと、そう教えてくれたのは確か貴幸だぜ?」
「悪い、悪い。別におかしくって笑ったわけじゃないんだ」
そう言いながらも貴幸はやはり笑っている。
しかし、そろそろ怒りだしそうな怜を見て、ようやく口を閉じた。
「親友に選ぶ条件さ」
「親友に選ぶ条件?」
突拍子もない言葉だった。
怜は、確か記憶が正しければ自分たちは結菜の話をしていたはずだと、至極真面目に考える。それを感じ取った貴幸は、また小さく笑みを浮かべた。
「そう、親友に選ぶ条件だ。彼女ができたら花屋を探すような男は信用できる」
「なんだよ、それ。親友という言葉とは結び付きそうにないぜ?」
「簡単な話だよ。花ってのはさ、特別なタイミングじゃなくてもプレゼントできるもんだ。安く買うことができるし、何より貰って困るものじゃない。そういう花っていうものを普段から探すってことはさ、彼女と一緒にいない時でも彼女のことを考えているってことだと思うんだ。
大切な人のことを、その人が一緒じゃなくても考えている。だったら、きっとそいつは陰で悪口を言ったりはしないだろうし、友達のことも自然に考えてくれているだろうと思ってな。
だから、親友にするならそういう奴がいいと思ったんだ」
天井を仰いだまま、怜が右手で自身の首に触れる。
口を開いて何かを言いかけてはまた閉じてを数度繰り返して、怜は目を瞑った。
「相変わらず恥ずかしいセリフを」
「思いは、きちんと言葉にしないと伝わらないからな。伝わらないなら、その思いはないのと同じだ。
知ってるか、怜? 俺たちは、愛するふりはできるけど愛していないふりはできないんだ。言葉にしたり、行動したりした思いだけが、本当の思いとして受け取られていく。だから、俺たちは愛するふりをすることはできても、決して愛していないふりをすることはできないんだ」
貴幸は時折、こういう風なことを言いだす。貴幸自身はそのことを、あまりいいことだと思っていない。煙たがられることが多々あるのだ。
それでも彼がそれらのことを口に出すのは、思いが伝わらないことの虚しさと悲しさを、彼が十二分に理解しているからだった。
「肝に銘じておくよ」
急ぎ足の人々が改札から出てきては、改札の中へ消えていく。
そんな繰り返しの中で二人の時間だけが止まっているかのようだった。
「まあでも、」
「ん?」
ようやく貴幸の方を向いた怜に、貴幸が悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「告白された人にはそれが、十分すぎるくらいに分かっているんじゃないの?」
その日二度目のため息、しかも先程吐いたそれよりも随分大きなため息をついて、怜は軽く貴幸を小突いた。
「それが分かっていたらこんな相談していないさ。俺は確信が持てないんだ」
「誰かの気持ちに対して確信を持つだなんてさ、きっと一生かかっても無理だよ」
二人の目の前を、依然として大勢の人々が急ぎ足で歩いていく。
その中で、何組かのカップルが腕を組んで、或いは手を繋いで歩き、別のカップルが待ち合わせをして、そしてまた別のカップルは楽し気に会話を楽しんでいた。
「そうだとしても、俺は、信じられる根拠が欲しいんだ。それがないと、怖くて夜も眠れやしないよ」
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