子宮と女性性(女らしさ)を結びつける違和感
人生の諸先輩方が更年期障害の症状や不安など、訴えてくれていて、テレビやネットメディアで更年期について見聞きすることが増えた。
これから更年期を迎える40代前半の私にとってはありがたい限りで、未知なる「更年期」を見聞して、自分に症状?が出てきた時に気づけたらいいなと思っている。
そういう前提のもと、
更年期=生理が終わる=ホルモンバランスに変化が起こる
と理解した上で、先日あさイチで、「生理が終わるのが寂しい、遅らせることは出来ないか?」という質問に医師が回答しているのを偶然目にした。
いや、それは無理だろ…(きっと…いや多分、質問者さんもわかっている、でも)そういう質問したいくらい、女性性=生理と考えているんだろうなぁと想像した。
女性の身体の仕組み上、生理がある人は確かに多いだろうけど、何らかの理由で生理がない女性もいるわけで。
だから、生理が終わったからっていっても、女性が終わるわけではないというふうに考えたら、楽になれそうなのに、と私は思った。
と同時に、私自身はその点、生理終わるのヤッター!くらいにしか思ってない。私にとって、子宮の役割は、子どもを育み、出産した時点で終えている。あくまでも、私自身のいち価値観だ。
子宮は臓器で、体の一部。それが役目を終えるだけのこと。
女性特有の臓器であることにかわりはないけど、だからといって、子宮の存在(子宮の活動=生理)を女らしさとイコールにすることには違和感がある。
その相談者さんの中に、生理を女らしさととらえてしまう、なんらかの理由があるのだと思うけど…その思い込み、辛くない?違った見方もしてみたら?って伝えたい。(お節介発動)
更年期を終えても終えなくても、男性でも女性でもない、「人間になった」って考えると、仕事の「男社会」問題とか、いろんな問題のものの見方がちょっと違って見えるような気がする。
確かに器としての肉体には性別はあるだろうけど、思考や感情も全て性別に干渉を受けているのだろうか…なーんてぐるぐる考えてしまう私なのであった。