加害者意識

欧州諸国は、イスラエルに軍備の提供を続けているらしい。

おそらく、だけれども、ナチスドイツの時代にナチスの支配下に置かれて、ナチスに逆らうこともできずにユダヤ人への迫害を続けてしまった、そのことに対する贖罪感というか加害者意識というか、自分たち(の父祖の世代)がやってしまったことへの償い、として、イスラエル支援を止めることができなかったりするんだろうか?
なんとなく、そんな気がする。
はっきり言えば、既に世代が違うわけだから、直接的な責任を負うべき人は今は生き残っていないんじゃないかという気がするけれど、それでも、責任感を感じていたりするんだろうか?わかるような気もするけれど。

日本の場合でも、いまだに第二次世界大戦の当時の話を蒸し返されることがある。あれこれ言われたって、私たちとは世代が違う。ましてや、当時の判断に関与した人など、もう皆無だと思う。当時子どもだった人に当時の政治の責任などあろうはずがない。
今の我々は全く違う選択(戦争放棄)をしようとしているのに、そういう部分を全く気にかけないで、むしろ戦争の準備を推し進めているような人たちに非難をされるのは、はっきり言って、不快極まりない。ただ、いちいち言い返さないのが私たちの国民性なのかも知れないけれど。
過去の出来事については一通りは理解しているし、それでもゴチャゴチャ言うのか?という感じだろうか。

その感覚から想像するに、欧州でも過去のユダヤ人迫害に対して、無期限にイスラエルを支援しなければならないような暗黙の前提があるかも知れないことは、かなり理解できる。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250101/k10014683691000.html

国連 “イスラエルのガザ医療施設への攻撃 戦争犯罪の可能性”

ただ、思う。他ならないイスラエルが、第二次世界大戦当時のアウシュビッツを再現するかのような行為を、一向に止めない。非難されてもやめる気配すらない。
その現状を目の当たりにしたら、「罪の意識」を感じること自体馬鹿らしくならないか?

かつてはナチスドイツに協力せざるを得ない立場に置かれてユダヤ人に対して人道的な罪を犯した、その「贖罪意識」で、今度はユダヤ人が人道的な罪を犯すことに加担している現実がある。ナチスドイツに協力したのと全く同じように、アウシュビッツの再現に手を貸している。
その現実に、いい加減に気づくべきではないか?方針転換すべきではないか?
とにかく、イスラエルへの軍備の協力をしている欧州諸国は、気づくべきではないかと、私は考える。(アメリカは、ユダヤ人ロビーの関係なんだろうか、何を言ってもどうせ聞かないと思うので、無駄な主張はしないけど。)

「これは、何かおかしい」と感じたなら、一秒でも早く止めるのが賢明だと私は思う。でなければ、今度は別の「罪の意識」を、次の世代が背負うことになる、と私は思う。


書き忘れた。

OHCHR=国連人権高等弁務官事務所が発表した報告書についてジュネーブにあるイスラエルの国際機関代表部は「イスラエルは国際法に従って活動していて、罪のない民間人を標的にすることはない」とSNSに投稿し、イスラエル軍の攻撃は戦争犯罪にあたらないと主張しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250101/k10014683691000.html

一般論として、罪のない民間人を殺戮したなら、議論の余地があるのはそれが「故意」だったのか「過失」だったのか、だけであって、民間人の殺戮に関する「罪」には(遺体がある以上)疑問の余地がない、と私は考える。

ただ単純に、故意だろうが過失だろうが、民間人を殺してはならない、民間人が死傷するような行為をしてはならない、それが「法」だと私は考える。

過失なら人を殺しても罪にならない、という記述がタルムードにはあるのかも知れないけれども、だとしたらユダヤ人社会が危険極まりない。
そうでないならば、国際法以前に、せめてタルムードくらいには従えないのか?

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