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緊急特別企画:『CONTINUE』にとっての「ひまわり」とは何か?

 いや、もう、すごいんですよ、オフコースって聴いてました?

――小田和正さんのいたバンドですよね? 別に聴いてないですけど……。

 いますぐサブスクでも何でもいいから聴いたほうがいいですよ! 僕なんて、いまも校了しながら延々聴いてますからね!(きっぱり)。

 何がすごいって、オフコースって都合二回、解散してるんですよ。1982年と1989年。そのたびラストアルバムを出して、解散ライブをやって、どっちのライブでも小田和正さんが「言葉にできない」を歌って泣く、という。

――ああ、1982年のライブって「ひまわり」ですよね。それは知ってます(編集部註:1982年6月30日に行われた日本武道館10日間公演の最終日、名曲「言葉にできない」を小田和正が涙を流して熱唱、ステージでは映画『ひまわり』の冒頭シーン、地平線まで続く「ひまわり」の映像が上映された)。

『Off Course 1982・6・30 武道館コンサート』より

 あの「ひまわり」がウクライナで撮影されていた、というのは今年話題になりましたけどね。ベタにオフコースの解散っていうと、あの「ひまわり」を思い浮かべる人がほとんどなんです。幼馴染のメンバー鈴木康博さんが脱退して、「言葉にできない」。でも、実はすごいのって一度解散してから再形成した後なんです。

――音楽的にすごい、ということですか?

 いや、全然(笑)。再結成して最初のアルバム『The Best Year of My Life』は、まだ「再結成した」ってことがモチベーションになってたんですけど、2枚目のアルバムは全編英語で海外進出を狙ったりして、早くも迷走してるんです。

 そして発売された3枚目のアルバム『as close as possible』が超問題作で。ちなみに、このアルバムの広島公演が当時、高校2年生だった僕の初デートなんですけどね。

――どうでもいいエピソードですね(苦笑)。

 このアルバム、驚くべきことにテーマと呼べるものがないんです。サウンドも華やかだし、大貫妙子さんがゲストボーカルに参加したりして、それなりに豪華ではあるんですけど、何ひとつ心に残らない虚無のアルバムなんですよ。その翌年、アルバム『Still a long way to go』のツアー中に突如解散を発表。一節には小田和正さんがブチ切れた、という話もありますね。

――「やってらんない!」って

 だから、よく言われる「バンドマジック」って、オフコースの場合、明確に「ひまわり」で終わってたんですよ。ただ、そこで人生は終わらなくて、バンドも続いていった。「青春が終わった後、人はどうやって生きていくのか?」ってことだと思うんですよ。それで言うと、ほら、『CONTINUE』って明確に再結成した雑誌なわけじゃないですか?

――確かに、そうですね。

 だから『CONTINUE』にとっての「ひまわり」っていつだったのかなあ、いまの『CONTINUE』って、再結成オフコースの何枚目なのかなあって考えるんです。校了やってるときなんか。

――じゃあ、林さんも泣きながら、この原稿を書いてるんですね(笑)。

 いや、泣きゃしないですけどね(笑)。でも、僕、Vol.50で『CONTINUE』を終わらせるとき、編集後記の写真を「ひまわり」にしようって、わりと本気で考えてたんですよ。だから、まあ、僕は僕として「言葉にできない」何かを『CONTINUE』で形にできるといいな、とは思ってますけどね。

(『CONTINUE』Vol.80より/取材・文=編集長・林)

『Off Course 1982・6・30 武道館コンサート』より


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