「若さ」概念雑記

若さについて書いてくれ、とアンチ君に言われた。あまり気は乗らんが、何か書きたい気分なので書いてやろう。

気が乗らないのは、現に俺が若いからだ。老いて過去を振り返り、あれが若さだったのかと気付くぐらいのものだと思っているので、そうするとかなり時期尚早である。


と言っていても仕方ないので、取り敢えず若さというものを分類してみよう(分類はこの手の取っ掛りの常套手段の一つである)。すぐに思い付くのは、未熟である事、活力がある事、柔らかい事辺りか。未熟についてはレベルの低さ、無知等が含まれる。具体的に何が未熟であるかは、まさに後になって気付くものである。活力はそのまま、何かに挑む時のジャンプ力であるとか、単純に体力であるとかだろう。年を食うと新しいものに挑む事が億劫になるし、徹夜は肉体年齢的に若い内しかできない(というよりした後のダメージが大きくなる)。柔らかさについては無論関節の柔軟性のみならず、受け容れる事に関する柔軟性が挙げられる。

・・・・・・分類といったが、意図せず別の常套手段を使っている。対義語からの想像である。老いが何であるかを考えた時、それはそのまま若さが何であるかの答えになる。受け容れられず、当然吸収もできなくなってゆき、体力は衰え、そして―――ああそうか、これがあった。客観視だ。若いという事は主観的であるという事だ。無論、老いれば必ず客観視ができるようになる等という事は断じてないが、ある程度レベルが上がらないとそれはできるようにはならない。その意味では未熟に分類されるものかもしれない。老いて尚未熟な者の浅ましさ(五七五)。


自分がどうであるか考えてみよう。客観は、完全な客観視等というものは存在しない事を踏まえた上で尚、可能な限りそれに近い視点を持つ事を癖にしてはいる(さりとて自己を客観視したところでそれを矯正するか否かはまた別の話である)。裏目に出る事もある・・・・・・冷めやすくなるのだなぁ。未熟は、何を以て成熟とすべきかを知らぬ程度には未熟だ。まあこれは道半ばなので当然だろう。活力はある。無ければ創作も無茶もできない。無茶ができる、というのは何よりこれが若さの証明かもしれない。それは徹夜の作業であったり一人旅の強行軍であったりする。柔らかさについては自信が無い。知識を蓄える程に失われていくものだろうと思うし、「それっぽいもの」を描けるようにはなりつつあるが中学生の頃に描いていた爆発的な想像力に依存するような絵はもう描けない。

想像力の話をしてもいいかもしれない。子供の想像力の豊かさについては、実際はそうでもないという見方も少なからずあるが、俺が中学生の頃に描いていた落描きたるや凄まじいものだった。機械の絵をよく描いていた。思いつくまま、手が動くままに何の機械であるのかわからないメカニカルな物体を時間とスペースが許す限りひたすらに描き足し続けられ、紙の端まで辿り着いてようやく終わるようなものだった(その性質の一部は今でも残っているが)。自分が自分である限りはいつでも似たようなものは描けるだろうと考えていた為に1枚も現存していないのが惜しまれる。高校〜大学の頃に描いたオリジナルの機械っぽい何かの絵はその頃描いていたものの系譜を継ぐ。それらだけは残っているので、以下に貼っておく。

画像1

画像2

画像3

拙さはさておこう。ファイレクシアっぽい? その通りだ(MTGには小学生の頃ハマっていた)。これでも既にある種のそれっぽさが含まれてしまっており、アウトサイダーアートじみた想像力全振りの絵にはなっていない。当時は描く為だけに描いていたのであまり人にも見せていなかった。嗚呼、本当に失われてしまった。当時は内心才能あるんじゃないかとか思っていたが、なるほどこれが若さか。随分前に親に言われた「アンタは美大行くより野良の強みを活かしな」といった趣旨の言葉に含まれるものの一つではあろう。習うという事は、行き過ぎると良くも悪くもそれに染まってしまいかねないという要素を多分に含む。それっぽいものが創れるようになりたいのならインプットは必須だが、そうでないのならそれが全てではないのかもしれない。

いつの間にか絵の話になってしまったが、この記事もそうだ。事実確認以外で何かを参照すべきではない。相談すればそれらしい知見のまとまったものにはなるだろうが、多分にエッセイ的なニュアンスを含むこういった記事についてはそれらは阻害しかしない。書きたいものでも、書くよう求めれているものでもない。直前に何かをインプットしてしまうと、吐き出されるものはその何かの色が濃くなり過ぎるものである(それを利用する事もあるが)。絵なら見て描けばある程度補えるが、文章そのものは本人が蓄積してきたもの、センス、知能、価値観、そういったものの結晶であろう。あまり好きな言い回しではないが、手ぶらで書く事に意味があると言ってしまってもいいのかも知れない。自由度の高い文章は、筆者の人生の総体であれかし。

然らば。


追記:俺は未熟である事に対してさほど悪いイメージは持っていない。その姿勢を決定付けたのはグラップラー刃牙第309話「完璧」(35巻)の渋川剛気の台詞。

「おぬしの技と ワシの技―――」「どっちが上でも構わんと言うにはこの渋川―――」「若すぎる!!!」

御歳75歳、大会最年長の人物の言葉である。こうありたい、と思った刃牙ファンなのであった。




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