虚無一周年記念 付ケタリ近況
誕生日を祝う風習が日本で普及したのは20世紀半ば以降で、この風習自体は遡れば古代ギリシャまで辿る事になる。何が目出度いのかは未だによくわからないが、また一年生きて過ごす事ができたという事を祝うのであれば七五三の感覚に近いか。とはいえ現代日本で乳幼児死亡率は数百人に1人程度であるし、多くの者にとりこれらのイベントはイベントの域を出るものではない。
さして目出度い理由が思いつかぬ誕生日を実際に目出度しからしめているのは、祝う者やプレゼントであろう。私も誕生日それ自体は何とも思わないが、フォロワーが欲しいものリストから何か贈ってくれるのならこれを目出度いとするのも吝かではない。
さて、しかし一年生き延びた事を祝うという事であれば、私の記念日は誕生日などより今日の方が余程相応しい。一年前のこの日―――私が深淵を覗いて落ちかけたのはこの日付である。過去数度あった「最終的決断」衝動の中でも群を抜いて最後の一歩が近かったあの日から一年を生き延びたのであるから、これは多少祝っても筋は違うまい。虚無感と多幸感、無欲と躁鬱といった様々且つ極端な精神状態を経て本日に至る。
鬱の精神症状は鳴りを潜め、最近では朝起きた瞬間から感じる吐き気や、時折生じる早朝覚醒といった身体症状が主となっている。気怠いまま煙草を吸ったら、食事・睡眠等を除いた殆どの時間を費やすいつもの作業を始めるという日々を繰り返す。この作業は何と呼んだものか未だ決めかねている。
私は大学に入って以降、卒業して今日に至るまで小説らしい小説はあまり読まず、学術書や何らかの参考資料になり得る本ばかり読んでいる。そしていつの間にか、そういう時は決まってルーズリーフ等に重要な部分を要約しながら書き写すのが習慣となっていた。どれだけ消費したか想像もつかない。後でそれを見返す事もあるが、読みながら書く事で流し読みするより遥かに内容を覚えやすくなるのが主な目的であろう。当然読むペースは遅くなるが、確実に吸収しながら読むのであればこの方法が私には最も良いようである。
最近読んだのは『図説 イングランドのお屋敷』『イン・ザ・ペニーアーケード』『英国貴族の令嬢』『雑草で酔う』『吉田式 球体関節人形 創作技法書』『吉田式Ⅱ 球体関節人形 創作指導書』『ヴィクトリア朝 英国人の日常生活』上下、今読んでいるのが『魔術の書』、次に読むのが『魔術 理論編』『魔術 実践編』。雑草以外は全て次書く小説の資料となる。まだ全く足りていないので、実際に小説を書き始めるのはいつになるかわからないが、それなりに熱量のある一冊になろうと思う。
といった具合で、起きている時間全てをゲームに費やす日々よりは随分建設的になった。そろそろ失業手当を貰えなくなった時の事を考えねばなるまいが、どの道二年足らずで引っ越そうと考えている以上それまではバイトで繋ぐ形になるだろうと思う。
そういえば、心療内科で鬱の診断を下されバイトを辞めたのも丁度半年前だ。虚無を食らってから機能停止するまでよく半年も持ったものだと思うが、あの半年は実に長く、そして極めて重要な期間であったように思う。げに涼しく、軽く、幸福であった。あれの再現と継続、及び進化ないし深化こそ最も幸福な道であろうと確信しているが、常なる道でもないのが、何とも悩ましくままならぬものである事よ。
然らば。