作品に対する眼
ドヤ顔で創作論を語り始めたら創作をやらなくなる前兆、という主旨のツイートを随分前に目にして以来、俺はその見解に囚われている節がある。それを踏まえた上で、しかし以下のフォロワーの記事に呼応して散文を書こうと思う。創作者向けの話になるだろう。
俺はこうやって絵を描くんだ、というような話はあまりしない方が良い気がするので、アンチ君が作った流れに乗り、媒体についての持論を語るに留める。話の終着点を決めずに書くので、さてどうなるものか。
西君は現代芸術の話をしていたが、大の映画好きでもあり、映画を総合芸術として語る。アンチ君はゲームを総合芸術として語る。
総合芸術。そもそも総合的である事をあまり重視していなかったりはする、と言ってしまうと身も蓋もないか。どうせやるなら音楽も絵も文章もシナリオも(或いは他にも)拘りたいものだが、そういった広範なスキルを持ち合わせない俺がそれでも作るとすれば映画よりはゲームの方だろう(計画段階のものが幾つかある)。その中でも形態としてはRPGとノベルゲーなら「こう作りたい」があるが、他は特に無い。これは重要な事だが、作品を享受するに当たりどういった眼でその作品を観るかによって実際に自分が挑む時上手くいくか否かが分かれる。
例えば絵を見る時、この構図が、この陰影が、この絵柄が、とそれぞれ創作者的な眼で眺めるとある程度吸収できる。ああこの角度でこの形の手を見るとこんなシルエットになるのか、なるほどここに物を配置すると視線誘導がしやすくなるな、とか。小説ならこの語彙が、この表現が、この言い回しが、この展開がといったような見方ができる。この言い回しが好き、という話ではない。この言い回しの何がそれを良くさせているのか、である。そういった見方をし続けていると、やがていきなり創作し始めた時にそこそこ見どころがあるものぐらいは創れてしまったりする(俺は作品の完成度よりも、この点ならば負けないという武器を持った作品の方を積極的に評価したい)。勿論絵なら練習しない事にはどうにもならない(実はそうでもないんじゃないかと思う事もある)が、良い構図を描けるか否かといったものはそれまで如何に良い構図をインプットしてきたかによると思っている。何となく色んなものを眺めて「消費」するのでは駄目で、自分の中にある程度でも「吸収」されていなければこれは出来ない。
小説なら事はもっと単純で、いきなり小説を書き始めてそれで稼げるようになる人間がいる、とは以前も書いた事だ。あとは己の知見や思索の深さが表れるぐらいのもので、ノウハウがなくとも面白いものは書ける。一般に文才と呼ばれるものを構成する要素の一つがこのインプット効率であろうと俺は思っている。また、直近で読んでいた本の文章の影響を強く受ける事はある程度ものを書く人間ならば必ず経験していよう(それを意図的に行うのがペンシャープナーと呼ばれるものだ)。
その点で見ると、俺がまともにインプットしてきたものは文章・一枚絵(特に線画)・シナリオ・演出(というと随分広いが)、ぐらいのものだろう。去年漫画を描いてみてコマ割りに苦労したのはそれが理由だ。俺は今まで漫画を読む際コマ割りを意識する事が殆ど無く、例えばこの手の描き方上手いな、とかこのキャラを表現するのにこのエピソードを挟むのは効果的だ・・・・・・といったところしか吸収しておらず、あとはコンテンツとして消費していたように思う。特定のキャラの可愛さやカッコよさだけ見ている時、それは大抵ただ「消費」しているに過ぎない。もっと著しいのは音楽で、これはもう完全に俺は消費者でしかない。そして同じ理由で俺は映画の撮り方が分からない。映像そのものにはてんで注目していなかった為だ。映画を観る時は、この作品はどの系譜に属しどういう点が目新しくといったシナリオや設定についての評論的ないし創作史的な見方か、ストーリー展開や演出として「こういう例があった」という知見を増やすような見方をする事が多い(俺はこれを創作教養と呼んでいる)。
翻ってゲームについては、ノベルゲーは文章に重きが置かれる点で小説やシナリオ、演出の眼を持つ俺には相性が良い。一時期のノベルゲーが持つ独特の気分や雰囲気もある程度掴めんでいるとは思う。ただ、漫画がそうであったように実際にやってみると一度に表示できる文章の短さに手間取ったり、どの音楽が最適なのかについての深い知見が無かったりという他の眼の欠落による躓きは生じる事は想像に難くない。RPGについては一時期ひたすらやっていた事もあり、特に演出についてはやりたい事が色々ある。ただ、dot絵やマップ制作作業に必要な時間の量に躓いた。やるとすれば複数人でなければ完成しない。一人で作ろうとした事があったが、作業量の多さに諦めた。これに掛かる時間を俺は絵や小説に使おう、と。
絵描きがデザインをできるかと言われたらそうとは限らない、というのもここにあるのではないかと思う。無論ノウハウや練習量の差というものもあろうが、そもそも自分が創作者の立場から眺めねば、大枠すらも掴めぬものだ。俺はデザインはできない。
まあ、着目しやすいものとしにくいもの、というのもある。例えば漫画のコマ割りや小説の組版は上手ければ上手い程読者にそれを意識させず、絵や物語に集中させる効果を持つ為、普通は意識しない。シナリオならば「そうきたか~!」「あーこの展開はこうなりますね」といった見方をするのは寧ろ一般的・・・・・・と言ってしまった時に違和感を覚えた君は正解である。この言い方はどこに重点を置いて消費するかであって、表現されたものをエンターテイメントとして楽しんでいるに過ぎない。必要なのは、如何に表現されているかへの着眼である。誘導される事を楽しむのみならず、誘導の仕方を消化しなければならない(創作者目線で作品を見るようになると、その所為で純粋に作品を楽しめなくなる場合もあるが)。
さて、諸君らは各媒体の作品をどのような眼で見ているかね?